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アル・ジャジーラが世界に伝える沖縄、辺野古の闘い #Henoko

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新たな米軍基地の建造に抵抗する沖縄の戦い





2015427日公開


日本の安倍晋三首相は貿易と防衛の連携に主眼をおいて、1周間にわたる訪問で米国に到着しました。安部首相は日本の首脳として初めて米国議会で演説することになっています。しかし、ワシントンと軍事面で連携を強化するという首相の計画は、大規模な米軍基地が置かれている沖縄で強まる反対運動に迎えられています。アル・ジャジーラのハリー・ファーセットHarry Fawcettが沖縄からお伝えします。


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カテゴリ:ニュースと政治 ライセンス:標準の YouTube ライセンス



0:01

これは沖縄の辺野古で日常的な海上のにらみあいです。一方には、米国海兵隊の航空基地の建設を阻止しようとする抗議団がいます。他方は、日本の海上保安庁です。


0:17

20年近くも闘いがつづいてきましたが、緊張が高まったのは最近のことです。


0:22

ヘリ基地反対協議会ダイビングチーム、牧志治(まきし・おさむ)さん

「この埋め立てに反対する知事が、大きな票差で知事に当選しましたので、人びとはわたしたちの味方なのです」


0:31

海上保安庁にとって最も頭が痛いのが、カヤッカーたちです。彼らは規制海域の標識ラインに沿って漕ぎ周り、乗り越えられる場所を探しています。


0:38

ここは間違いなく、基地建設を阻止する闘いの緊迫する最前線ですが、抗議行動は沖縄の島ぐるみで盛り上がる支持を得てきました。最近の選挙で、シングル・イシューを掲げた一派の候補が選挙戦で勝利したことで、この闘いは、いよいよ沖縄と東京の政策決定者らの戦いの色を深めています。


1:00

この闘いの核心に普天間の米国海兵隊航空基地があります。これは民間の建物群に危険なほど近接して居座っています。2004年にはヘリコプターが墜落し、抗議の声が高まりました。日本と米国は施設を辺野古に移すことに合意しました。


1:14

安倍晋三首相は、米国がアジアの軍事的均衡の回復を追求するにあたり、より強力で、より積極的な軍事パートナーでありたいという彼の欲求を実現するために、この取り決めは不可欠であると高く評価しています。


1:25

翁長雄志知事は、新しい基地は沖縄の外で建造されなければならず、日本の国外であれば、なお結構だと主張しています。


1:32

知事を支持する人びとの動機には…



環境面と政治面の理由が混じりあっています。


1:38

これは沖縄がその領土をみずから引き渡す最初の例になるだろうと人びとはいいます。


1:42

沖縄県議会議員、新里米吉さん

「なぜ沖縄人は反対するのか、知事は極めて明確なことばで説明しています。だから、人びとは、わたしたちが非常に筋の通った主張をしており、政府が高飛車な姿勢でこれを押し通そうとしてきたことをわかりはじめているのです」


1:58

東京の日本政府は最近、湾内埋め立て準備作業に対する知事による中止命令を覆しました。


2:04

知事の次の手は、前知事による合意の法的な取り消しを試みることになります。


2:08

その間にも、活動家たちは作業の進行を遅らせようと試みつづけ、戦いに注目を集めています。


2:14

彼らは連日、拘束され、連日、浜に戻り、連日、ふたたび現場に戻っています。


2:20

アル・ジャジーラのハリー・フォーセットが日本の沖縄からお伝えしました。



フェアーウィンズ・エネルギー教育インタビュ-:スペンサー・スミス、朗読劇『チェルノブイリからの声』脚本作者

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FAIREWINDS Energy Education




チェルノブイリからの声
Voices From Chernobyl



長かった冬のあとの春の到来は、咲き誇る花、鳥たち、陽光を連れてくるはずであり、核のメルトダウンでなかったはずだ。スリーマイル・アイランド、チェルノブイリ、フクシマNo. 1――核産業製の惨事はすべて、春の季節に勃発し、いまもわたしたちに核の力は危険だと警告しつづけている。アルバート・アインシュタインが語ったように、「核の力の解放は、すべてのものごとを変えてしまったが、われわれの考えかただけは別だった…この問題の解決は人類のこころのなかに宿っている。わたしにわかっていたなら、わたしは時計作り職人になっていたはずだ」(1945年)。



フェアーウィンズ・エネルギー教育は3月と4月に福島第一原発とスリーマイル・アイランドの核惨事を偲んだのだが、426日の日曜日は、ウクライナ、チェルノブイリで勃発した、凄まじく、忘れがたいメルトダウンの29周年記念日である。朗読劇『チェルノブイリからの声』を脚色したヴァーモント州バーリントンの脚本家・作家、スペンサー・スミスは、今週のフェアーウィンズ・ビデオに出演し、今もつづくチェルノブイリの悲劇について、感情に訴え、心に響く対話を、フェアーウィンズ・エネルギー教育理事長、マギー・ガンダーセンとともにした。


スペンサー・スミスは、1986年とチェルノブイリのメルトダウンが引き起こした核の混乱を回想し、2001年から2003年までウクライナで平和部隊任務に従事したことで、チェルノブイリ・メルトダウンといまだに重大な人間への影響に苦しんでいる人びとに対して、さらに関心が深まったと語る。今日にいたっても、居住が許されない放射能汚染地帯では、チェルノブイリから飛来した放射性化学物質の痕跡が残っているので、スペンサーは平和部隊のボランティアとして、湖で泳がないこと、採ってきたベリー類やキノコ類を食さないこと、水は絶対に飲まないことと言い渡された。チェルノブイリ核危機のさなか、ソヴィエト連邦が事態を隠蔽したので、その結果、数十万の人びとが高線量の放射能に被曝したことを、スペンサーは現地の人びとから直に説明を受けて知った。


スペンサーは平和部隊任務を終えたあと、ヴァーモント州に移り、モントピーリア(州都)でヴァーモント・ヤンキー解体同盟にかかわるようになり、ヴァーモント・ヤンキー原発の閉鎖に注目を集めるために活動している。スペンサーは、ソヴィエトのジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシーヴィッチの高評価を得ている著作『チェルノブイリからの声』*を読み、ウクライナの人びとがいまだにこうむりつづけている破局的な惨事について、世界の人びとに気づいてもらうための活動の一環として、朗読劇『チェルノブイリからの声』を創作した。自国から亡命したスヴェトラーナ・アレクシーヴィッチの作品は、被災者たちに面接取材するために命をかけて放射能汚染地帯に入り、核の力の真実にまつわる彼らの物語を浮き彫りにする、真に献身的なジャーナリストの仕事になっている。

*訳注:英語版タイトル(Voices From Chernobyl)。日本語版は原書にもとづき『チェルノブイリの祈り』。


スペンサーの朗読劇は、スヴェトラーナのインタビューを受けた6人の人たち、消防隊員の妻、物理学者、科学者、チェルノブイリの幹部、汚染区域に戻った小農、母親の物語を伝える。


スヴェトラーナ・アレクシーヴィッチはこう語った――「ソヴィエト時代と脱ソヴィエト時代とともに、わたしたちの歴史の全体を振り返ると、人間の共同墓所であり血の洗礼、死刑執行人と被執行人の永遠の問答、執行すべきことはなにか、責めるべきはだれか、憎むべきロシアの詰問。革命、矯正労働収容所、ソヴィエト・アフガン戦争は人民から隠され、大帝国は破綻、巨大社会主義本土、大地のユートピアは破綻し、いま宇宙次元の課題――チェルノブイリ。これが、地球上の生きとし生けるものすべてに突きつけられた課題である。このようなものが、わたしたちの歴史なのだ。そして、これがわたしの本のテーマ。これが、わたしの道、地獄巡り」。


フェアーウィンズ・エネルギー教育インタビュー:スペンサー・スミス

(トランスクリプト作成日:2015420日)

MG:マギー・ガンダーセン Maggie Gundersen(左)
SS:スペンサー・スミス Spencer Smith(右)

0:14

MG:本日はフェアーウィンズ・エネルギー教育ビデオをご視聴いただき、ありがとうございます。本日のビデオ録画にお招きしたのは、スペンサー・スミスさんです。わたしたちはチェルノブイリからの声について、お話しすることになっています。スペンサーさんは著作分野でヴァーモント大学の芸術学修士号を授与されています。彼女はフィクション作品、演劇脚本2本と小説“Depth of Field”[『被写体深度』]を出版なさっています。彼女はニューヨーク市で、作家、商業テレビのプロデューサーとしてご活躍なさっています。そしてスペンサーさんは目下、2001年から2003年にかけて米国平和部隊のボランティアとしてウクライナに赴かれた経験の回想録をご執筆なさっておられます。彼女は2006年と2009年にウクライナを再訪なさり、今年の6月にも再び行かれるそうです。スペンサーさんはまた、アメリカのカレッジや大学で文芸、フィクション、脚本、回想録の講義をなさっており、ウクライナでも教えておられ、ベラルーシとロシアにはフルブライト・プログラムで赴任なさっています。スペンサーさん、本日はご出演いただき、ありがとうございます。


SS:お招きいただき、ありがとうございます。ご一緒できて、うれしいです。

1:17

MG:こちらこそ、ご一緒できて、すてきです。最初にチェルノブイリに関心を抱かれたのは、どういう経緯からですか?


SS:そうですね。1986年の惨事を憶えています。スウェーデン人たちが放射能の兆候を捕捉し、自分たちの原子炉のひとつではないかと考えましたので、なにが起こっているのだろうと疑問に思ったのを憶えています。そして、ほどなくして――もちろん、ソ連の人たちは完全に沈黙を守ろうとして、なにか理由があったのか、自分たちでできると考えたものですから――とても残念なことに、彼らが世界に告げなかったので、大勢の人たちが被曝しました。ウクライナ西部で平和部隊の訓練を受けたとき、あれは最初のウクライナ行きではなかったですが、一緒に住んでいた家族を憶えているのですが、後に再び訪問しに行くと、家族の若い奥さん――そのお母さんがわたしと同い年でした――その若奥さんが、わたしとは母が放射能の雨のなかを外出したというのです。わたしたちはだれにも口外しませんでした。彼女はもちろん、その後に子どもをもうけましたが、ありがたいことに健康なお子さんでした。でも、わたしの友だちがもうひとりドイツにいて妊娠していました――妊娠8か月か9か月の双子で、もちろん彼女はうろたえていました――というのも、とてもひどい目に遭い、雨のなかを一日中、お宅の菜園で仕事していたのです。ですから、わたしは何年ものあいだ、情報を少しは拾いあげてきたのです。ところで、わたしが2011年から2013年にかけて初めてウクライナにいたとき、だれもチェルノブイリのことを話したがらなかったのです。もちろん平和部隊の隊員たちは話していました。彼らは、水泳に行ってはならない、野生のベリー類やきのこ類を食べてはならない、水を飲んではならないなど、ありとあらゆる事前注意です。それに、もちろん別の問題もありました。チェルノブイリを措いても、別の産業汚染がどっさりありましたが、もちろん最悪のやつです。そこで――また今でも、ウクライナで新たな核反応炉の設置計画に対する関心が浮上しています。

3:05

MG:いま新たに建造しようとしているのですか?


SS:そうです。エネルギー問題のせいです。彼らは脱天然ガスを欲しています。ところで、原発はヨーロッパのいたる所にあります。もちろん、フランス人たちが先頭を走っています。彼らはそれをクリーンだと信じています。昨夜、インタビューをちょっと観たのですが、彼らが言うには、そうですね――なにかの広報係がご立派なことを言って、少なくともわが国フランスにはクリーンなエネルギーがあります――ご存知でしょうが――彼らの原子力は何パーセントでしたかしら。

3:36

MG:わが国では19パーセント内外です。


SS:この国ですか?


MG:そうです。フランスではそれより高いですが、いま彼らの原子炉が何基かトラブルを抱えています――わたしの頭から抜けて、よく憶えていませんが。あの国の汚染もひどいものです。再処理システムが正常に動いていなくて、大量の放射能が漏れています。それになにが他にあるか――彼らはあの廃棄物をそっくり、どうしたらよいのかわからず、シベリアで投棄しています。だから、彼らのシステム全体がうまくいかず、そこで今…


SS:シベリアで捨てているのは、フランスなのですか?


MG:フランス人が捨てています。


SS:ロシア人はラッキーなこと。

4:10

MG:ロシア人はなにを再処理すると考えられているのでしょう。


SS:どこでも、ひどいニュースばかり。さて、あなたはチェルノブイリについて、またわたしがあちらにいたとき、なにを知っていたか、お訊ねです。そうですね。わたしが帰国したとき、この本が1997年にロシア語で出版されました。別のタイトル――Molitva Tchernobylskaiaこれは『チェルノブイリの祈り』という意味ですが、英語翻訳版は『チェルノブイリからの声』というタイトルで出版され、著者はスヴェトラーナ・アレクシエヴィッチ、この人は知名度の高いソヴィエトのジャーナリストですが、ただ彼女は亡命者――亡命者ではないですが、身の安全のために国を離れました。

4:54

MG:では、その方にお会いになったのですか?


SS:お会いしたことはありませんが、その本が翻訳されたとき――たぶん2005年に翻訳され、2006年にそれを見たとき――わたしは虜になりました。ウクライナを再訪した直前か直後のことだったと思います。その後、モントピーリア[ヴァーモント州の州都]に住んでいたころ、わたしはヴァーモント・ヤンキー原発解体同盟にかかわるようになりました。3月末か4月初め、ねえ、チェルノブイリ記念日は1か月後よ、とわたしはいいました。21周年だったと思います。そこでわたしは、人びとの注目を促すために、なにかすべきだと持ちかけたのです。するとみなさんは、そうだ、それはいい考えだ、なにをするとおっしゃるのです。そこで、わたしはこの本を読んだばかり、たぶんこれを材料に朗読劇を書けると考えました。

5:42

MG:あなたは映画や演劇の脚本家なので、いい答えですね。


SS:わたしは書きあげました。実に2日前のことでした。ナレーターを創作し、本から6人の登場人物を借用しました。実際には本の登場人物は100人います。でも、わたしは6人を採りあげ、ナレーターを創作して、まとめあげたのです。非常にうまくいき、まずモントピーリアで2回、その後、バーリントンとシェルバーンで上演しました。

6:09

MG:わたしがあなたに初めてお会いしたのは、実にバーリントンの初演日のことでした。


SS:そうでしたか。バーリントン大学での公演かしら? それとも、ヴューU教会だったのでしょうか? 2か所で上演しました。


MG:わたしは両方とも観ました。とても感動し、ただただ胸を打たれました。涙を誘い、感情に訴えました。人びとのために、とても悲しみを感じました。


SS:そうですね。人びとはみずからのことばで自分の物語を紡いでいますので、それはすごいことです。彼女は明らかにとても腕の立つインタビューアであり、質問を本文に差し挟まず、あの人びとのみずからの物語の独白として提示しています。そこでわたしはさまざまな人、無学の百姓女性、防護もなく現場に送り込まれ、2週間後には亡くなる消防隊員の妻を採りあげました。さらにわたしは、ベラルーシの上層部――だと思いますが――よく知りませんが、核の――とにかく、ベラルーシのトップ科学者を登場させました。

7:08

MG:わたしはその人物がとても好きでした。


SS:そして後ほどにもうひとりの科学者が登場し、250,000人の兵士が犠牲になるのがどんなものか、語ります。また、もちろん何トンもの放射性物質が放出されていますので、彼らは閉じ込めようとしておりますが、そのためのお金の持ち合わせがありません。ヨーロッパは――これに何十億ドルもの――資金を注ぎこんでいますが――まだ安全になっていません。

7:30

MG:さて、だれもが尻込みし、わたしの理解では、あの石棺は2018年までに再封印されなければなりません。しかし、いま――目下のところ、そのための資金が得られません。わたしたちが観るに、つまり来年には――2016年には、この完全メルトダウンの――この悲劇の30周年になります。ですから、このことについて話すのは、実に意識的なことだと思います。


SSさて、また別のことがあり、わたしたちはこれをお話したと思いますが、あの地域には森林がたくさんあります。森林の部分がありますが、たいがいかつて農地だったのであり、人びとが――そこにはいくつか小さな町があったのです。だが、放棄されて、人びとはもはや安全に生活できなくなりました。森林が生い茂り、いま森林火災が勃発しています。ですから、あの放射性物質がすべて燃えあがり、放射能を送り出しています。

8:22

MG:あれが再発するのは実に大変なことですので、わたしたちはウェブサイトで話題にしましたし、Twitter IDでいくつかツィートしました。また、このビデオがサイトに掲載されるさい、その記事にリンクを貼るつもりです。わたしは、あなたが以前に言及なさった、あのベラルーシの人物――科学者――にとりわけこころ打たれたのですね。


SS:それが勃発したのはウクライナでしたが、ベラルーシとのまさに国境線でしたし、風がたいてい北方のベラルーシへと放射能を吹き流しましたので、あそこの人の大方はベラルーシから来ていました。後ほどわたしがベラルーシにいたころ、ジョークがあり、雲が北方に流れてきたとき、ミンスクを迂回して通ったので、ミンスクのわれわれは被曝していないと大統領が述べました。おわかりでしょうが、ソヴィエト流のユーモアです。

9:14

MGフェアーウィンズ・エネルギー教育の閲覧者のみなさんはご存知でしょうが、わたしたちはスリーマイル・アイランドに関する大量の資料を仕上げたばかりです。スリーマイル・アイランドにいた人が話したことのひとつは、あなたの劇でベラルーシの科学者が話したことであり、金属の味、そして静けさ、鳥たちはすべてさえずりを止め、音がなかったこと、そしてその意味することです。プルームの問題も私たちが話題に上げたことであり、イグナズ・ヴァージナー博士がスリーマイル・アイランドのそばの川をさかのぼったとき、博士はすべてを学びました。それは、あなたがここでおっしゃてることと同じです。プルームは気象学にもとづいて動きます。そして、このことがスリーマイル・アイランドで完全に研究されておりません。博士の証言は削除されました。それに、あなたのおっしゃる一部の人たちが主張いていることは、ミンスクではプルームがわれわれを避けて周りを通ったので、われわれに届かなかったというようなもの。ところで、福島第一の日本で起こったことといえば、気象学者たちが避難施策で役割を求められなかったので、人びとはプルームのまっただなかへ避難しました。


SS:そうですね。もしもプルームがほんの少し違った方角に向かっていたなら、彼らは東京の人びとを避難させなければなりませんでしたが、それは――ニューヨーク市を考えてもわかるように――考えても信じられないことですし、もちろん、ニューヨーク市の北方64キロには原発があります。

10:55

MG:そうです。インディアン・ポイントですが、避難計画は…


SS:立てようもない。


MG:そうです。避難する方法はありません。望みはまったくなし。 


SS:ですから、これは実にいい本です。わたしは推薦します。劇が題材を採った原典です。その劇はテキスト形式でオンライン化されると思います。あなたがたはオーディオ版を公開なさっておられますが、劇を上演なさりたい人たちがいるなら、テキスト版も使えますし、ダウンロードして、地域で朗読会を開くこともできます。

11:22

MG:あなたにお聞きしたいことがひとつありました。誰に連絡すればよいのでしょう? メールすべきですか? メールで許可をお願いするか、あるいは…


SS:必要ありません。あなたがたにお送りしたテキストの冒頭に、入場料を徴収しない条件であれば、どなたでもこの劇を上演できますと記しておきました。それに、少額であれば――入場料ではなく、上演なさるのに会場を借りなければならないとか、その類いのことで寄付をお願いするのはかまいません。


MG:すばらしい。


SS ええ。それに、アメリカ版の実務を取り仕切ったのはダルキー・アーカイヴ出版なのですが、わたしたちのグループに弁護士がいて、 そのベン・スコッチが同社と契約し、わたしたちが金を稼ごうとするのでない限り、  私たちに利用権があるというのが契約条件であると同社も申しています。

12:06

MG:   それはすてき。とても重要なことと思います。わたしが言ったように、あなたはいまでも現地のたくさんのみなさんと接触なさっておられ、6月に戻られますね。あちらに戻ったら、なにをなさりますか?


SS:そうですね。わたしの友人たちに会いにいきます。そして、たぶん――地域図書館で、わたしの著作の朗読をします。わたしの友人である大学の外国語学部長が無料滞在を可能にしてくれましたので、もちろんのこと――たぶん2009年のことですが、わたしは大学に1か月間滞在し、1か月丸まるで100ドル使ったと思います。あの地へ行き、お金の節約です。それが、肝心な点ではありませんが。ああ、それに、スウェーデンに高校生のときから知り合っている友人がいるのですが、ウクライナで見たことから回復するために会いに行きます。

13:03

MG:こころ痛むのですね。


SS:ええ。とても気が滅入るのですが、それも――ロシア人が――プーチンが突きつけている、このすさまじい戦争のせいなのです。プーチンがクリミアを併合しましたので、彼らは非常に心配しているのですが、もしだれかが――いまではたぶんウクライナの地図を見て、周知のことになっていますが、クリミアはウクライナの南部から突き出た半島なのです。そして、ロシア人たちは、分離主義者を通してですが、じっさいはロシアの主導で、東部を通じて活動し、わたしがやがて行く街、ムィコラーイウを狙って、南進し、南部全体を併合しようとしているのですが、というのも、そこに唯一、暖水海域に立地する造船センターがあるからです。もう一つの造船センターはムルマンスクにあり、そこは北極圏の内側です。

13:47

MG:さて、戦争ばっかりで、石棺を覆う資金はないという事実がある。コンクリートが劣化しており、その作業をする必要があります。それを踏まえたうえで、人びとの暮らし向きはいかがですか? 家計の状況はいかがですか? 閲覧者のみなさんに説明していただけますか?


SS:事実を考えれば、一般人には非常に困難な状況です。わたしはあの国で2年間過ごしたあと、2003年に出国しました。為替交換レートは51でした。1ドルで5フリヴナに交換できました。2009年に再入国したとき、10対1でした。いま――ふらつく変動相場で――25から351です*。国民の年金や給料は増えていません。わたしの友人の学部長がいうには、起こっていることとして、国の民生再建のために驚異的なエネルギーが注ぎ込まれていますが、彼のことばによれば、すべて停滞しています。つまり、例の腐敗したエリートと例の寡頭制支配者が万事を取り仕切っており、旧弊を打破するのも彼らしだいなのです。加えて、ロシアのKGBがウクライナの軍隊とそれに諜報機関にずいぶん浸透しています。ウクライナとロシアが絡みあった長い歴史がありますが。西部がロシアの一部だったことはほとんどなく、東部は1800年ぐらいからロシアの一部でした。

*現時点で、1プリヴナ=5.7

15:20

MG:わたしはちょうど今日、ビデオ、若い女性のTVビデオを見ましたが、20歳代でカンサス・シティのハーフ・マラソンで走っていました。そして、彼女はチェルノブイリ事故の子どもなのです。もともと医者たちのグループが彼女を米国に連れてきました。


SS:ああ、子どもたちにそういうことをする全体プログラムがありますね。


MG:彼女は――彼女の両脚は膝で生育が止まっており、医者たちが彼女の人工装具の両脚を造りましたが、彼女には足がないのです。ですから、彼女は走る練習をしていました。チェルノブイリ――彼女の母親が放射線被曝をこうむった影響で、彼女の手は指がたくさん欠けていました。


SS:とても多くの子どもたちが――そう、恐ろしいことです。

16:10

MG:彼女はいまもご自分の家族と連絡しあっていますが、彼女は通常のシステムでやっていけませんので、試行錯誤しながら支援してくれる特別学校に入学させなければなりませんでした。でも、医者たちが――米国の医者たちがあの地域に行き、他の子どもたちを手術で助けられないか、検査しはじめ、わが国に連れ帰るのです。彼女は7夏か8夏、わが国で過ごし、実に多くのことを学びました。彼女はホームステイ先に落ち着き――3家族のホームステイ先がスポンサーになって、彼女をわが国の大学へ通わせました。彼女はカレッジを卒業し、いまカンサス・シティに住んでおり、このハーフ・マラソンを走っているのです。彼女がいうには…


SS:彼女はベラルーシからか、それともウクライナからか、ご存じですか?

16:55

MG:番組は――ウクライナといっていました。そういっただけです。でも、それ以上に詳しいことはわかりません。一般チャンネルのメディア、ニュース番組でした。


SS:わたしがベラルーシにいたとき、ベラルーシ国内の外れに巨大な癌センターがありました。永久にバスで通わなければならないのです。基本的にあれを人びとに見せたくなかったのだと思います。わたしの目に小さな腫瘍ができて、地元の医者が、おやまあ、あなたはたぶん癌にかかっているので、癌センターに行きなさいというので、行ってみました。そこの女性、医者が、明日、切ってあげることができるといいました。わたしは、帰国するまで待ちたいといいました。もちろん、それはひとりでに消えました。でも、そこには非常にたくさん――ほんとうに気落ちするような外観の場所です。ところが、そこには数台のヴァンが停めてあり、明らかに子どもたちを連れ帰る他の国ぐにのものでした。国名までは思い出せません。西欧の数か国が、やはり夏ごとに子どもたちを連れてきて、放射能から疎開させていました。いまだに放射能がベラルーシにあるからです。

17:51

MG:近ごろ、そういうことをしていますね。福島県には非常に大量の放射能がありますので、子どもたちを助けるために、日本から大勢が世界の諸国に連れてこられています。大きな課題です。調べ物をしたあと――あなたに後ふたつ、質問します――この資料を調べ、朗読劇を執筆なさったいま、原子力に対して、あなたのご意見はどのようなものでしょうか?


SS:そうですね。とてもはっきりしていると思います。つまり考えかた全体――原子を分裂させるのは、まさしくよくない考えだったとわたしは思います。核分裂は単に軍事目的で実施され、彼らはこの代物をやたらと配備しまくっています。こんなもので、なにをするのでしょう? あら、お湯を沸かせましたね。

18:36

MG:アインシュタインは、お湯の沸かしかたにしては、最悪の考えだと述べました。ヴァーモント・ヤンキーで起こっている事態について、どのように感じておられますか? あなたはヴァーモント解体に関わっているとおっしゃいましたので…


SS:彼らは閉鎖を命じられ、熱を生産せず、もはや電力を生産していないことは知っています。だけど、あの代物はまだあそこにありますし――閉鎖の前に修理しておくべきだったものがどっさりあり、それがいま問題を引き起こしているかもしれません。たぶんわたしよりあなたのほうが、最新情報を掴んでいるでしょう。でも、あなたがおっしゃった――たぶんあなたがさらに言及できた――なんだったかしら――あなたがお話していたこと…

19:22

MG:さあ、わたしたちの閲覧者と聴取者にとって、連邦政府が解体政策に変更を加えようとしていると理解することは、実に重要です。電力会社とエネルギー企業が実行しない場合、地域社会が廃棄物を保管しなければならず、さらなる浄化の責任を負うことを彼らは明確にしようとしているのです。それは地域社会なり諸州なりが引き受けたことではありません。企業は大金を稼いだのであり、解体と浄化全般のコストを負担する完全な責任を負うべきなのです。法規――連邦規制基準――は明解です。


SS:だから、法律ははっきりしています。

20:07

MG:  法律は明解です。これは連邦規制基準…


SS:たぶん訴訟の必要があるでしょう。よく知りませんが、州は提訴することを考えているのですか?


MG:わかりません。そこまでわたしは知っていません。わたしたちは実に深く入れ込んだ調査を実施し、その結果を原子力規制委員会(NRC)と州に提出しました。リンティルハク財団の助成金をいただいて、1年間かけて実施した調査です。目下、米国で7か所の原発が解体されようとしていますので、ヴァーモント州が資料を提出し、わたしたちが資料を提出し、国中さまざまな仲裁人が資料を提出し――あれやこれやの集団がすべて関与していますので、いま実に由々しいありさまです。彼らなりのルールを仕上げるためにNRCに提出するのですが、彼らはさっぱりウェブサイトに掲載しようとしないのです。彼らは、見解がどんなものか、だれもが観ることを許さず、舞台裏で、業界が助かるようにルールを変えようと、業界とともに動いているのです。ですから、まったく驚くべきことです。


SS:実に不道徳。

21:07

MG:そうです。わたしも不道徳だと思います。


SS:スヴェトラーナ・アレクシーヴィッチから短い引用を読んでさしあげたいと思います。本を執筆した女性、実に献身的なジャーナリストであり、わが身を危険にさらしてゾーン入りし、人びとにインタビューしました。彼女はいいます――「ソヴィエト時代と脱ソヴィエト時代の両方、わたしたちの歴史の全体を振り返ると」――彼女はソヴィエト期のジャーナリストでした――「これは人間の共同墓所であり血の洗礼、死刑執行人と被執行人の永遠の問答、執行すべきことはなにか、責めるべきはだれか、憎むべきロシアの詰問。革命、矯正労働収容所、ソヴィエト・アフガン戦争は人民から隠され、大帝国は破綻、巨大社会主義本土、大地のユートピアは破綻し、いま宇宙次元の課題――チェルノブイリ。これが、地球上の生きとし生けるものすべてに突きつけられた課題である。このようなものが、わたしたちの歴史なのだ。そして、これがわたしの本のテーマ。これが、わたしの道、地獄巡り」。重たい内容です。

22:07

MG:非常に重たい。スペンサーさん、引用の分かち合い、そして本日は参加していただき、ありがとうございました。ご一緒できて、とてもよかったです。


SS:こちらこそ、ここに来て、とてもよかったです。


MG:終わりにあたって、閲覧者のみなさんにお願いしたいのですが、わたしたちのサイトの資料をぜひご覧ください。わたしたちは福島第一原発惨事を回顧し、追憶する作品を仕上げ、またスリーマイル・アイランドに関して、大きなスペースの2ページと大量の読み物を仕上げました。いまスペンサーさんにご親切にもお越しいただき、チェルノブイリについて語っていただきました。スペンサーさんはあの地に赴かれて、ウクライナの人たちに会い、ご自分の目でお知りになり――すばらしい朗読劇を執筆なさったので、どうかお聴きになるようにお願いします。オーディオがわたしたちのサイトにアップロードされています。より維持可能なエネルギーの未来を見つけるために、みなさんがわたしたちとともに活動なさるように願っています。


原文:


【姉妹記事】



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【関連書籍】

チェルノブイリの祈り―未来の物語


BBCが世界に伝える沖縄、辺野古の闘い #Henoko

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 BBC
NEWS


沖縄住民は新たな米軍基地に抗議する

2015427


日本の安倍晋三首相は米国を訪問しており、ワシントンへ赴いて、日本の首脳として初めて議会両院合同会議で演説することになっている。


訪米の目的は、両国間の同盟の強さを示し、通商・防衛協力を強化することにある。


安倍氏はオバマ大統領に対し、南の島、沖縄で地域住民が抗議しているにしてても、巨大な米国海兵隊基地の建設はすでにはじまっていると説明することになっている。


BBCの東京特派員、ルパート・ウィングフィールド=ヘイズが沖縄から詳しく伝える。




0:00

午前630分、沖縄のキャンプ・シュワブの外側です。地元住民は騒がしくなってきました。彼らはこれまで295日間、毎朝、このような行動をしてきました。


0:16

彼らはこの米国海兵隊基地の大規模な拡張を阻止しようとしています。


0:22

沖縄平和運動センター事務局長 大城悟沖縄県土は日本の国土面積の1%に満ちませんが、在日米軍基地の70%が当地に置かれています。これは民主主義国でありえないことです。彼らは新たな基地を作りたがっています。わたしたちはその実現を許すわけにはいきません。


0:39

計画では、この自然のままのサンゴ礁に数百万トンの岩や土砂を投入して、その埋立地に新たな滑走路を建設することになっています。


0:48

昼近くになり、抗議者たちは海上に繰り出しています。彼らは小さなカヤックで海上保安庁の警備をすり抜けようとします。


1:00

だが、強力な高速艇に乗り組んだ海上保安官らがたちまち彼らを封じ込めてしまいます。


1:04

これまで、この抗議行動は非暴力を旨としてきました。だが、怒りは募ってきています。


1:13

当地、沖縄では住民の圧倒的多数、80%またはそれ以上がここに新たな基地を造ってほしくないと考えています。それでも、日本政府は強行しているのです。そのため、当地、沖縄の住民は、またもや日本政府の米国政府に対する軍事関係強化のために民主主義にもとづく権利が踏み潰されていると感じているのです。


1:36

在沖縄の日本航空基地に響く、この警報はスクランブルの合図です。日本の領空に向かう中国の軍用機が検知されました。昨年、日本の戦闘機のスクランブル発進回数は943回に達しました。これが、日本政府が米軍の駐留継続を望んでいる理由です。


2:02

数キロ離れた丘の上で具志堅隆松さんが人骨を掘り出しています。今になっても、沖縄人たちは第二次世界大戦の終末期に起こったことを忘れたり赦したりすることができません。


2:18

3か月におよんだ殲滅戦(せんめつせん)のさなか、この島で25万人が死亡し、そのうち数千人は日本軍司令官たちに自殺を命じられた民間人でした。


2:30

遺骨収集活動家 具志堅隆松世界中の軍隊で、日本軍が民間人や兵士たちに降伏するよりも自殺しろと命令したのは唯一の例でした。わたしは、女たちや子どもたちの遺骨を掘り出していて、当時の教育を赦すことができません。


2:52

日本政府に対する当地の敵意はこれまでになく強烈になっています。いまでは少なからぬ人びとが日本からの独立さえも要求しています。


3:00

安部首相がオバマ大統領に、沖縄の万事がアンダー・コントロールされていると告げるとすれば、そのはずがないというべきです。BBCのルパート・ウィングフィールド=ヘイズが沖縄からお伝えしました。



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名古屋の超高線量パーティクル…【論文概要】ハウスダスト汚染物質による人体被曝の評価

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ハウスダスト汚染物質による人体被曝の評価


マルコ・カルトーフェンMarco Kaltofen

理学修士、専門技術者、(Civil, MA) C. NSE


土木工学博士号を取得する要件を補完するために

ワーチェスター工芸研究所の教授会に提出した論文


201545


概要


空中浮遊粉塵は、高度に蓄積された放射性同位体を含む個別の放射性ホット・パーティクルの形で放射性物質を運ぶことができる。これらの空中浮遊粒子が吸引されたり摂取されたりすると、内部放射線被曝の線源になる。2011311日、北日本の福島第一原子力発電所で勃発した核反応炉事故のあと、日本の環境試料を85点と米国およびカナダの試料を234点収集し、ガンマ線分光計、放射能写真術、エネルギー分散エックス線分析による走査電子顕微鏡法(SEM/EDS)、アルファおよびベータ総量計測法を用いて分析した。試料収集活動において、ソーシャル・メディアとボランティア団体が重要な役割を担った。放射能写真術とSEM/EDSを併用することによって、個別放射性ホット・パーティクルを分離し、分析することが可能になった。日本の粒子状物質試料85点のうちの62点から、検出可能レベルのセシウム134とセシウム137が見つかった。日本の試料における粉塵個別放射能量の中間値は2.5 Bq g-1± 1.6 Bq g-1であり、粉塵個別放射能量の平均値は71 Bq g-1(残差標準偏差=335%)であった。平均値が上方に偏っているのは、5点の粉塵試料が突出的に高レベルの放射能を帯びていたからである。これら5点の試料が帯びていた個別放射能量は、167 kBq g-1から5.2PBq kg-1におよんでいた*。米国およびカナダの環境資料234点のうち、4点だけが検出可能なレベルのセシウム134とセシウム137を両方とも帯びていた。

       *訳注:PBq1000兆ベクレル

日本の試料の総ガンマ分光計分析によって、ヨウ素131とコバルト60もまた検出された。米国およびカナダの試料では、基本的に自然起源の核種が検出された。日本の粒子をSEM/EDSで分析すると、セシウム、アメリシウム、ラジウム、ポロニウム、テルリウム(テルル)、ルビジウム、その他の必然的または潜在的に放射性である元素を含んでいることが判明した。米国の試料の場合、セシウムを含むホット・パーティクルは見つからなかったものの、粉塵粒子の一部にウラニウム、トリウム、プルトニウムが含まれていることが判明した。これらの米国の粒子はすべて、特定済みのウラニウム鉱山または核物質貯蔵所および処理施設と関連していた。


本研究によって検出されたホット・パーティクルを吸引した場合、個々の人間にとって、重大な被曝線源になりうる。環境中にホット・パーティクルが存在する場合、放射線量モデルたるものは、正確であるために、この被曝成分を含んでいなければならない。


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世界を破砕した原爆~トリニティ、その70年後

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 “Political Newsletter.” Out of Bounds Magazine
Tells the Facts, Names the Names


世界を破砕した原爆

トリニティ、その70年後

The Atomic Blast That Shattered Our World


ジョセフ・マンガノ JOSEPH MANGANO

ジャネット・シャーマン医学博士 Dr. JANETTE SHERMAN, MD


ニューメキシコ州アラモゴード近郊の核実験場、ホワイトサンズ実験場でトリニティと命名された最初の原子爆弾が爆発したのは70年前、1945716日のことだった。それは、世界の歴史を永遠に変えてしまい、健康と安全の面でこの惑星上のすべての生命を悩ませる新たな脅威を出現させた事件だった。


トリニティについて、これまでにも細部にわたって記録されてきたが、長年の時間の経過とともに記憶は薄れるので、改めて振りかえることにも意義がある。二つの趨勢――核分裂の発見およびナチス・ドイツの台頭――がぶつかった結果、1942年末にマンハッタン計画が発足した。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、ドイツ人による核兵器の開発と使用を恐れ、その兵器を先んじて開発するようにと米国陸軍に指示した。科学者たちは懸命に働き、3年もしないうちに爆弾の製造にじゅうぶんな核物質を製造した。ドイツが爆弾を開発すると懸念する向きもあったが、歴史家たちがそれに疑問を唱え、やがてドイツそのものが敗北したのだが、米軍はまだ日本軍と戦っていた。


爆弾を使う前に、実験が必要だった。爆弾を設置する高さ30メートルの塔が建てられ、観測者用の塹壕が2本掘られた。


爆発がどれほど強力なものになるか、じっさいに知る者はいなかったので、塹壕は16キロと27キロの距離に用意された。


現地時間529分、耳をつんざく轟音が弾け、目をくらます閃光が砂漠を輝かせ、その光は320キロ彼方から見ることができた。深さ3メートル、直径340メートルの大きなクレーターが口を開けていた。160キロ以上離れていても、爆発の衝撃波を感じることができた。プルトニウム爆弾の威力はTNT火薬23,000トン分であると推定された。陸軍は機密保持のためにプレス・リリースを発行し、「弾薬庫」が爆発したが、負傷者はゼロだったと公表した。


爆弾開発チームを率いていたJ・ロバート・オッペンハイマーは後に、爆発がバガヴァッド・ギータの一節を連想させたと回想した――


「千の太陽の輝きが


空で瞬時に弾けるなら


それは強力な一者の光輝に似ているだろう…


わたしは死となり


世界の破砕者となる」


トリニティによるデブリはたちまち空中10,000メートルまで立ち昇り、卓越風に乗って、北東方向に移動した。科学者たちはファールアウトをそれほど正確に追跡しなかったが、雲は長大な距離を移動した。70年後のいま、実験場の残留放射能のレベルは、実験前に比べて、いまだに10倍高い。


相当数の科学者たちが国際社会のオブザーバーたちに爆弾実験を視察させるべきだと主張していたが、いわゆるマンハッタン計画の指揮官、レズリー・グローヴス中将がこの意見を退けた。グローヴスは3週間後、「手に入れたものは使え」という見識を堅持して、広島と長崎に対する爆弾投下を命じ、それが86日と9日に夥しい数の民間人を殺戮することになった。


トリニティ、ヒロシマ、ナガサキとともにはじまった国際社会の議論がいまもつづいている。この実験は、歴史上初の大量破壊兵器に位置づけられるものであり、大規模な殺戮がほんの数秒間のうちに起こりうることを実証したのである。それはまた、その後の原子爆弾実験の原型であった。米国と旧ソヴィエト連邦は422回の大気圏内実験を実施し――その総威力は広島原爆40,000発分に相当していた。


ジョン・F・ケネディ大統領とニキータ・フルシチョフ首相が1963年の条約(部分的核実験禁止条約)に署名するまで、すべての実験が地下に追いやられていたわけではなかった。実質的に世界のすべての実験が30年前に終わっているものの、北朝鮮、パキスタン、インド、さらに最近ではイランに向きあえば、核実験の再来とそれにつづく戦時の核兵器使用の懸念がいまだに募ってやまない。


たぶんさらに重大なリスクは、核物質の採掘、処理、加工、廃棄に伴うものである。爆弾材料を製造するために、テネシー州オーク・リッジとワシントン州ハンフォードの施設でウラニウムを兵器級資材に加工するための大規模な作業がおこなわれており、ハンフォードは米国で指折りの汚染地域になっている。この工程によって、100種類を超える膨大な量の放射性化学物質が生成され、これらは自然界に存在せず、なんの使途もなく、廃棄物になるだけである。


できるだけ早く爆弾を製造することが国家安全保障目的のために差し迫って必要であるとされたため、安全性と健康にかかわる配慮、国民への公表が二の次になり、この状況が今日までつづいている。開発プログラムが集めた放射性物質の利用法を探るさいにも、事情は同じだった。


1953年、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領が国連演説で「核の平和利用」を唱えると、核反応炉の建造に弾みがついた。原子力委員会のルイス・ストラウスの謳った「検針するのがバカバカしいほど安価」といったような約束が、建造ラッシュを引き起こした。リチャード・ニクソン大統領は、やがて米国は1000基の反応炉を保有することになると予言したが、建設費と維持費が高上りになること、そしてスリーマイル・アイランド、チェルノブイリ、フクシマで相次いだメルトダウンによって、安全上の不安が露わになったことにより、科学者たちと一般国民は、すでに汚染されている、わたしたちの地球上で、さらに原子力発電所を追加しようとする賛成派の倫理を問い詰めることになった。


米国で今日、104基の反応炉が稼働し、全国発電量の19%を占めている。1978年以来、新規反応炉は発注されていない。


核反応炉には、もうひとつのストーリーがある。核産業の指導部は炭素排出がもたらす環境不安に乗じて、老朽化反応炉の運転継続と新規反応炉建造を後押しするうえで、この10年間、割のよい役柄を演じてきた。彼ら幹部たちは、現在の景気停滞よりずっと前から、ウォール・ストリートの投資家の関心をさほど引きつけず、それに代えて米国政府の顔色をうかがったが、いままでのところほとんど支持を得ていない。


トリニティ爆発と同じ100種強の放射性化学物質――ストロンチウム90、セシウム137、ヨウ素131、プルトニウム239――のカクテルが、核反応炉で生成される。それぞれが発癌物質であり、植物から、虫、鳥類、哺乳類、人間にいたる生物に有害である。平均的な原発は、トリニティ爆弾の数百発分に相当する廃棄物を貯蔵しており、この廃棄物は幾千年にわたり環境から隔離しておかなければならない。オバマ大統領は核兵器拡散を抑制する努力のゆえに賞賛されるべきだが、彼は兵器と反応炉を区別するべきではない。両者ともに70年前のニューメキシコにおける途方もない爆発の申し子であり、両者とも、この地球上の生命の名において、抑制されなければならない。


【筆者】


ジャネット・D・シャーマン医学博士Janette D. Sherman, M. D.は、Life’s Delicate Balance: Causes and Prevention of Breast Cancer and Chemical Exposure and Disease(『いのちの微妙なバランス~乳癌の病因および予防と化学被曝と疾患』)の著者、内科医学および毒物学の専門家。ニューヨーク科学アカデミー2009年刊、AV・ヤブロコフ、VB・ネストレンコ、AV・ネストレンコ著Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and Nature(『調査報告:チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店2013年刊)の編集者。彼女の基本的な関心は公教育による病気の予防にある。

ウェブサイト:www.janettesherman.com


ジョセフ・マンガノ公衆衛生学修士・経営学修士Joseph Mangano, MPH MBAは、2012年刊Mad Science(『マッド・サイエンス』)の著者であり、原子力の影響に関する多数の記事・論文を執筆。疫学者であり、Radiation and Public Health Project(放射線・公衆衛生プロジェクト)の専務理事。

ウェブサイト:www.radiation.org


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2014817日日曜日


2014624日火曜日


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調査報告 チェルノブイリ被害の全貌


@fairewinds フェアーウィンズ【書評】ヘレン・カルディコット『核の力は解答にならない』

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FAIREWINDS Energy Education







ヘレン・カルディコット著『核の力は解答にならない』(仮題)

フェアーウィンズ理事、キャロライン·フィリップスCaroline Phillipsによる書評


核の力のコストと影響の問題となれば、40年にわたる生粋の反核活動家の名を馳せる熟練物理学者、ヘレン・カルディコット博士Dr. Helen Caldicottは弁舌豊かで博識である。カルディコット博士は著書“Nuclear Power Is Not the Answer”(仮題『核の力は解答にならない』)において、まず1979328日にはじまったスリーマイル・アイランド(TMI)のメルトダウンによって見せつけられた核の悲劇に直面したさい、核産業と政府が正しく対処できなかった失策を論じる


カルディコット博士は、原子力規制委員会(NRC)の元委員長、ジョセフ·ヘンドリーがTMI事故時に吐露した次のような告白を引用している――「わたしたちはほとんど闇雲に対処しており、(ソーンバーグ知事の)情報は曖昧模糊としており、わたしといえば、情報の持ち合わせがなく――さっぱりわかりませんが――視覚障害者の両名がウロウロしながら、決定を下しているありさまです」(p.67)。


わたしたちはTMIから大量の放射能が漏れだしたことを知っているけれども、核産業と政府が特定の毒性同位体に関する放出量推定値を収集しそこねたことを銘記すべきである。このことは、放出された具体的な核種と放射能量に関して、今日にいたるまで情報を入手できないことを意味している。カルディコット博士は、放射能の全量が漏れだした補助建屋のガンマ放射線モニタが高濃度放射能を測定するための設計になっていなくて、メルトダウンの初期段階で針が振り切れていたと指摘する。カルディコット博士はこう書いている――「メルトダウンが最初にはじまったときからほぼ8日後の45日まで、希ガスの測定は開始されなかった。アルファ放射線やベータ放射線は測定されていなかった。スリーマイル・アイランドから放出された放射性物質は長距離を移動したと知られている。たとえば、キセノン133は、反応炉から375キロ離れたニューヨーク州アルバニーで19793月末から4月初めにかけて測定されている」(p.66)。


TMIの反応炉の核燃料が溶融したので、核産業やその他の責任ある機関が言及しなかったにしても、毒性の高いプルトニウム、ストロンチウム、アメリシウムなど、特定の原子が環境中に放出されたことがわたしたちにはわかっている。『核の力は解答にならない』は、TMIメルトダウンからほんの3日後、NRCの許可を得ないまま、4,870立方メートルの高レベル放射能汚染水をサスケハナ川に放出するなど、核産業による破壊的行為を明るみに出している。


カルディコット博士は、核惨事の1週間後、ペンシルヴェニア州ハリスバーグの高等学校の体育館で数千人の脅えた住民たちに放射線の影響について説明した体験を語っている。地元の医者たちが家族を連れて逃げだし、入院患者たちを自衛するままに放置したと彼女が聞かされたのは、その場でのことだった。数百人の住民たちが、鼻血、脱毛、皮膚発疹、吐き気、下痢など、急性放射線疾患にともなうさまざまな症状を訴えた――何年もあとになって、チェルノブイリに隣接する町、プリピャチの住民がこうむったのと同じ症状である。


この本はまた、ペンシルヴェニア州の乳製品産地の牛乳を規制する食品医薬品局(FDA)報告にまつわる恐ろしい逸話を記している。FDATMIメルトダウンの最中とその後に、北にはるか240キロも離れた産地で生産された牛乳からセシウム137を検出した。ハーシー社のチョコレート工場はスリーマイル・アイランドからほんの21キロの地点に立地しており、ハーシー社品質保証部長、CJ・クロウェルが事故直後の411日付けでハーシー社科学技術部、WJ・クルックに宛てたメモに、「事故から数日後以降、検出可能な放射能は見つかっておりません」と記されていた。この陳述は明らかにFDAの知見とつじつまが合わない。いずれにしても、ハーシー社は牛乳をチョコレートに加工していたのである。


カルディコット博士は、事故による線量の推計値を癌症例の増加と関連づける徹底的な研究を実施したフェアーウィンズの盟友、スティーヴ・ウィング博士の重要な調査に言及している。その研究がきっかけになって、ウィング博士はスリーマイル・アイランド集団代表訴訟に役割を担うことになった。スティーヴ・ウィング博士はフェアーウィンズ主任エンジニア、アーニー・ガンダーセンとともに、メルトダウンによる放射性物質の放出量が核産業および政府職員らによって公式に主張されている量よりもずっと大きかったと言い立てている約2,000人の住民を代表している。数回の却下と抗告を終えたいま、産業のイメージと信用がデータの正確さと住民保護より重要であることが明らかになった。


TMIに反応炉が2基あり、そのうちの1基は現在も発電し、2009年に免許期間の延長を認可されており、そのことが2034年まで操業可能であることを意味していると明記しておかなければならない。


評者はスリーマイル・アイランドのメルトダウンに論点を絞ったが、カルディコット博士の著作は、ユッカ・マウンテン、チェルノブイリ、核兵器の拡散、核の力の法外な財務コスト、その他の論点も扱っている。ヘレン・カルディコット博士著『核の力は解答にならない』は、真実を明らかにし、わたしたち全員が学んでいること――周知のとおり、核の力がいのちに謂れのないリスクを負わせること――を確証している。


Nuclear Power Is Not the Answer

#VICE:ゲルト・ラドウィッグが撮影した世界最悪の核大惨事

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ゲルト・ラドウィッグが撮影した


世界最悪の核大惨事

201551

写真:ゲルト・ラドウィッグ GERD LUDWIG
テキスト:アリーナ・ルディア ALINA RUDYA


©Gerd Ludwig(ウクライナ、プリピャチ)25年たって、遊園地は観光の目玉。


初出:VICE Germany


29年前、1歳だったわたしは、両親とともにウクライナの小さ町――キエフから約100キロ――プリピャチに住んでいた。暮らす町がチェルノブイリ原発から3キロでなければ、これはごく普通の物語になっていたことだろう。あるいは、わたしの父がエンジニアとして――原子炉の一つを動かし――働いていたという事実がなければ。


当時のプリピャチ住民の平均年齢は、26歳くらいだった。4号炉がシステム試験中に爆発し、高レベル放射性物質のプルームを大気中に放出して、住民(約50,000人)は一人残らず36時間以内に逃げなければならなくなった。今日にいたるまで、これは史上最悪の核事故である。


この破局的な惨事がわたしの生きかたを決定づけ、わたしの父、コンスタンティンをはじめ、放射能が健康にもたらす影響のために多くはもはや生き永らえていない数千の人たちの命運を決めた。

写真家、ゲルト・ラドウィッグの最新シリーズ、"The Long Shadow of Chernobyl" (Edition Lammerhuber, 2014) (『チェルノブイリの長い影』)は、災害現場周辺の立入禁止ゾーンを訪れた20年間にわたる9度の旅の結果が蓄積した作品である。わたしは、写真について作者と語りあい、たがいのゾーン体験をわかちあう特権に恵まれた。


©Gerd Ludwig. 防護服を着込んだゲルト・ラドウィッグ


あなたは旧ソヴィエト諸国でずいぶん仕事をしていらっしゃる。どういうことに関心を抱かれたのでしょうか?

若いころからです。第二次世界大戦のさい、わたしの父はドイツ陸軍に徴兵され、ソ連に侵入した部隊にじっさいに配属されていました。父は戦闘に明け暮れ、スターリングラードに達しました。帰国後、父の体験談がわたしのベッドのお伽話になりました。わたしが成長すると、質問しはじめました。父の説明はまったく不行き届きで、わたしは、ロシアとその他のソヴィエト共和国に対して、途方もない罪意識を抱きながら成長したのです。そういうことですので、初めて"Geo Magazine"*ゲオ・マガジン)からロシア派遣の仕事を獲得したとき、ロシア――ドイツに侵略されて、あれほど苦しめられた国――を批判するような写真を撮るべきでないと自戒しました。
  *ナショナル・ジオグラフィックに類似したドイツ発祥の国際誌


チェルノブイリの撮影は、どのような結末になったのですか?

2度目の本格的な派遣は、ナショナル・ジオグラフィックに依頼された1993年の仕事でした――旧ソヴィエト共和諸国における汚染を取材する仕事です。チェルノブイリを含める必要を感じたのは、その時でした。仕事のごく小さな一部と思っていたのですが、それ自体が取材対象になってしまいました。主題としてのチェルノブイリへの関心が深くなりはじめ、再訪しなければならないことがわかっていました。実際に再訪するまで11年かかりました。2005年、2011年、2013年に再訪し、長期間、滞在しました。被災者、プリピャチのゴーストタウン、立入禁止ゾーン、原子炉そのもの、そしてベラルーシ、ウクライナ両国のフォールアウト被災地域を撮影しました。

©Gerd Ludwig (ベラルーシ、ヴェスノワ、2005年)5歳のイゴルは、身体障害、知的障害、情緒障害を併せ持った聾唖者。孤立感と不安感にとりつかれ、たいがい子ども部屋のカーテンの後ろに隠れてすごす。Chernobyl Children International(チェルノブイリの子どもたちインターナショナル)による支援がなければ、精神障害児施設は存在すらしなかっただろう。

わたしも何回か、実際に自分自身の物語を撮影するためにチェルノブイリへ行きました。事故はわたしたちの人生を根元から変えてしまいました。わたしの熱望と熱情はいろいろな意味で、チェルノブイリの廃墟から湧きでるのです。時には、事故が起こらなかったとすれば、わたしの人生はどうなっていたのだろうと考えたりもします。たぶん、まだあの町に住み、結婚し、子どもを二人ばかりもうけているでしょうし、ひょっとすると、わたし自身が核物理学者になっていたかもしれません。
では、あのすべてが起こったとき、あなたはあの町にいらっしゃったのですね?


ええ、わたしたちはプリピャチで暮らし、わたしの父は2号炉を運転していました。事故の夜、父は遅番に就いていました。父の友人たちは4号炉の制御室で勤務していました。父は、その人たちが状況を打開するために――できることはなにもなかったのですが――走りまわっていたのを見たとわたしに言いました。父は夜勤が明けるなり、母に電話して、窓を閉め、屋内にいなさいと告げました。でも、その理由を告げるわけにはいかなかったのです。いまになってわかるのですが、ある種の秘密保持契約に署名しなければならなかったのです。あるとき母は、あの日のうちに友だちに警告してあげたのに、その人たちはビーチに出かけてしまったとわたしに言いました。その人たちには、危険を知る手がかりさえなかったのです。

あちらに初めて行かれたとき、怖くはなかったですか? ご自分の健康を危険にさらしていると思わなかったのですか?

一回目の訪問の準備は万事怠りなく、3週間ほどかけて調査しました。ガスマスク、線量計、長靴カヴァー、オーバーオール防護服など、防護用品を1ケースそっくり詰めこみ、移動していました。ところが、チェルノブイリに到着すると、無防備のまま作業している人たちを怖がらせるので、防護装備を着用しないでほしいとお役人たちが頼むのです。プリピャチの墓地――高度に汚染された場所――や出戻りした人たちを訪問したとき、わたしは無防備のままでした。写真家として仕事するために、危ない橋を渡って、人びとの協力を得る必要があるのです。チェルノブイリで、わたしは汚染地帯で穫れた卵、魚、じゃが芋を食べました。心配はしましたが、恐れてはいませんでした。

優れた写真をものにするために、そのようなリスクを引き受ける価値があるとお考えですか。

わたしたちはジャーナリストとして、 しばしば危ない橋を渡ります。しかし、わたしたちは罪のない被災者たちのために――そうでなければ、聞いてもらえることのない物語りを聴きとるために――そうするのです。この人びととともにいること、彼らとともに食べたり飲んだりすること、それが彼らの苦しみを聴きとり、彼らの魂を見ることになるのです。


©Gerd Ludwig (ベラルーシ、オクトジャブルスキ、2005年)教室や管理事務室が間に合わせの診療所に様変わりした。甲状腺の異常と癌の発症は、議論の余地なくセシウム沈着の結果である。


あなたに敵意を向ける人はいましたか?

どこにいても、敵意をもった人に出会うものです。たいていの場合、わたしが撮影した人たちは感謝の思いを見せてくれました。ナショナル・ジオグラフィックの仕事をしているとき、ほんの23時間滞在するというのではありません。わたしは、頭をもった人間ではなく、カメラ装備の人体として人びとの生活に踏みこむのではありません。まず人間として、一人ひとりにお会いするのです。みなさんとお話し、自分の来歴を打ち明けて、初めてみなさんがわたしにこころを開いてくれると期待するのです。カメラを荷ほどきするのは、そのときです。この人たちがみずからの物語を分かち合ってくれるのは、雄々しいことだとわたしは考えています。苦しんでいる人たちにカメラを向けると、わたしがみなさんの悲しみをかきたて、一瞬にしてみなさんの記憶をさらに痛々しいものにしてしまうのです。


あなたは長い時間をかけて、放射能が人びとの健康におよぼした影響を撮影なさりました。たぶん障害を負った子どもたちの写真がわたしのこころを最も激しく揺さぶりました。
チェルノブイリ事故が人びとの健康にもたらした結果は、科学界で実に物議を招いています。しかし、議論の余地がない統計があります――被災地では、白血病とその他の癌の統計レベルが他の土地に比べてはるかに高いのです。ゴメリ州で――これは、災害の重大な影響を受けたベラルーシ南部の領域ですが――汚染地帯出身の若い女の人たちに会ったのですが、彼女たちは未来の子どもたちの幸福と健康について極度に心配していました。そのような恐れとストレスだけでも、人の健康に有害になりえます。わたしは、ソヴィエト体制の伝統のせいで、親たちが障害を負った子どもたちを安易に諦めることが、欧米の国ぐにに比べて多いと気づきましたが、ベラルーシ政府が発達障害の発現に対するチェルノブイリ災害の寄与を余りにも過小評価していると思い知りもしました。このことについて、あえておおっぴらに発言する数少ない人たちは、増えつづける健康問題と災害が放出した放射能との関連をはっきり見ています。

ゾーン内で最も印象的な経験は、どのようなものでしたか?

2005年のことですが、わたしは西側の写真家のだれよりも深く4号炉の間近にあえて踏みこみました。わたしは労働者たちが――完全防護装備で身を固めていても――1日あたり15分しか作業できないような区域を撮影しました。アドレナリン放出レベルが途方もないものでした。わたしは2013年に原子炉を再訪し、前回よりさらに間近に踏みこむことができました。暗い廊下の奥深く、わたしをエスコートしていたエンジニアが重い金属ドアをこじ開けました。


エンジニアがわたしを引っ張りだす前に、素早く何回かフラッシュを炊くことができただけですが、それでも、壁にかかった時計を捉えることができました。時計は午前123分――原子炉が爆発し、チェルノブイリの時間が永遠に止まった瞬間――を指したまま、止まっていました。

©Gerd Ludwig. 4号炉の放射線レベルはいまだに非常に高く、ゲルトが時計の写真を撮るのに数秒間しか使えなかった。1986426日、正確には午前12358秒、時間が永遠に止まった。


原子力について、どのように感じておられますか? また、あなたの写真で人びとになにを語りたいですか?

わたしは自分自身にラベルを貼ったり、ジャケットに反核の類いのバッジをピン止めして歩きまわったりするのは好きになれません。世の人はわたしが偏向しているといとも簡単に決め付けるものです。わたしはわたしの写真そのものが語ってほしいと願っています。わたしはこの目で見たものを撮影し、観る人が自分自身の結論を引き出してほしいと願っています。しかし、わたしの写真を見たあとで、それでも原子力が安全だと考えることができる人はいないのではと思っています。


チェルノブイリ再訪を計画なさっていますか? それとも、これはあなたにとって閉じられたページなのですか? フクシマなど、他の核事故については、いかがでしょう?

フクシマに行く計画はありません。世界のすべての核惨事を追いかけるつもりはありません。しかし、30周年に合わせてチェルノブイリ写真集をもう一冊――小ぶりな静物コレクション――を計画しています。目下の本は小休止――振り返り、さらに続けるための休止符――なのです。



ゲルト・ラドウィッグGerd Ludwigウェブサイト:http://www.gerdludwig.com

他の作品を閲覧したり、著者サイン入り写真集 The Long Shadow of Chernobyl (『チェルノブイリの長い影』)を購入したりもできます。

©Gerd Ludwig(ウクライナ、プリピャチの近接地)放射能汚染の危険を警告する道路標識。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、プリピャチ、1993年)ウクライナに隣接する最も汚染された地域のひとつ、いわゆる赤い森の区域で定期的に放射能を測定する科学者たち。その名は、木々のジンジャーブラウン色[金と茶の中間色]にちなむ。その木々は、事故直後に放出された膨大な放射能に被曝した結果、枯れ死んだ。赤い森の多くは燃やされ、その残骸は「廃棄物墓地」に埋められている。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、キエフ、1993年)チェルノブイリの近くで生まれた子どもたちは両親世代の無知の代償を支払わなければならない。診療所で少年が皮膚炎の治療を受けている。この子は、地域内で大幅に増えているアレルギー疾患発症例の一例にすぎない。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、キエフ、1993年)この少女は、同級生や友だちが初めてのパーティを楽しんでいるとき、病院で皮膚炎の注射治療を受け、苦痛な数週間を過ごさなければならない。



©Gerd Ludwig(ベラルーシ、ミンスク、2005年)オレグ・シャピロ54歳、ディマ・ボグダノヴィッチ13歳はふたりとも、甲状腺癌を患っている。彼らはミンスクの病院で治療を受けている。これはシャピロにとって3度目の甲状腺手術だった。ディマの母親は息子の病状は核フォールアウトのせいだと言い張るが、医者たちはもっと慎重である――「ベラルーシの政府はそのようなあけすけな物言いを好みません」。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、ロソッカ、1993年)浄化作業中に使用され、「放射性物質墓地」に長期埋葬される時をじっと待っている、トラック、ヘリコプター、戦車、ブルドーザーなど、高度に汚染された何千もの車両や機器類。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、プリピャチ、2011年)当局がプリピャチの住民を避難させはじめるまで36時間かかった。住民たちは、避難はほんの一時的なものであり、文書類と重要な私物を数点だけ持っていくべきだと告げられた。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、パリシェフ、2011年)立入禁止ゾーン内、農場家屋を覆って繁茂したつる草。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、ラジャンカ、2011年)出戻りのウラジミール・バイチフスキは54歳であるにすぎないが、彼の肌が健康状態を憂慮すべき病識を伝えており、医者たちにしても、それを高レベル放射線で説明できるだけである。妻が2006年に亡くなってから、彼は立入禁止ゾーンで孤立・孤独なままに暮らしている。



©Gerd Ludwig(ウクライナ、プリピャチ、2005年)立入禁止ゾーンで食べるものを探している犬たち。野生的な風貌から、狼と牧羊犬の雑種だと間違って主張されることが多い。

©Gerd Ludwig(ウクライナ、チェルノブイリ、2005年)チェルノブイリで毎年恒例の災害記念日、夜の祈りに交代勤務労働者たちがローソクの明かりで集う。


TOPICS: 



クレジット】


この日本語訳稿は、Gerd Ludwig Photography Studio(ゲルト・ラドウィッグ写真スタジオ)のご斡旋により、VICEの担当者のみなさまにご承認いただいて、当ブログに掲載しています。


出処:VICE

Gerd Ludwig Photographs the Effects of the World's Biggest Nuclear Catastrophe, May 1, 2015: http://www.vice.com/en_uk/read/chernobyl-gerd-ludwig-photo-201.


VICE Japanによる日本語訳:

「ゲルト・ラドウィッグが撮り続けた未だ収束しないチェルノブイリの惨劇」

アリーナ・ルディア『プリピャト・モン・アモール』、生まれ故郷の町、プリピャチへの旅

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プリピャト・モン・アモール

プリピャチ、わが愛


アリーナ・ルディアAlina Rudya




19864月、チェルノブイリ核惨事のあと、わたしのようにプリピャチから避難した人びとを記録するフォト・エッセイ。


このプロジェクトについて…


わたしは、ウクライナ出身でドイツのベルリンに居住している30歳の写真家です。わたしは1986年、チェルノブイリの破局的な原発災害のあと、ウクライナのプリピャチから避難させられました。


わたしは、いま見捨てられている壁のあいだで失われたものを再発見する旅にみなさんを誘いたい。みなさんを禁断の土地を通る写真の旅にお連れし、わたしの根源に遡る旅の記録、物語、写真を分かち合いたいと思います。


わたしは、これほど多くの人びとの変えた物語は、いつでも、どこでも、今日にでも起こりうることであり、この物語を示し、語ることは重要であると信じています。このプロジェクトは、わたしの故郷の町、プリピャチに捧げられたオリジナルの写真展の続編にあたります。最終作品は本の形にして、惨事30周年を記念する2016年春に出版します。


1985年、プリピャチにて、幼いわたしと父のコンスタンティン

わたしの背景のストーリー


わたしの家族は、わたしが1歳のときにプリピャチから避難させられました。事故の夜、わたしに父はエンジニアとして原発で働いていました。当時、父は28歳、母はまだ23歳でした。


1985年、プリピャチのレーニン通りにて、わたしと母のマリーナ


2011年、上の写真と同じ地点に立つわたし


その当時、プリピャチ――チェルノブイリから3キロ離れ、原発労働者の家族のために建設された小さな町――の住民の平均年齢は26歳でした。500,000人近くの住民の全員が、1986426日の惨事から2日もたたないうちに町を離れなければなりませんでした。チェルノブイリ原子力発電所の第4反応炉がシステム試験の最中に爆発し、高レベル放射性排出物の雲を大気中に放出し、それが広大な地域に拡散しました――これは、いまだに現代史上で最悪の核惨事とされています。


惨事後のチェルノブイリ原子力発電所第4反応炉。資料写真


わたしは2011年、26歳のとき、初めて故郷の町――まったく知ることがなかったし、これからも知ることがない町――を再訪問しました。原発の事故は、わたしの両親の人生、そしてまたわたし自身の人生を根元から徹底的に変えてしまいました。わたしの欲求と情念のすべては多くの意味で、チェルノブイリの廃墟から湧きあがっています。わたしが亡くした多くの人たちは、チェルノブイリのせいで逝ってしまいました。わたしは2012年に、プロジェクトのセルフ・ポートレイトの部を仕上げるために再度の帰還をしました。


プリピャチの市標はいま、周囲に育つ森にほとんど隠されている


プリピャト・モン・アモール第1部は、いまゴースト・タウンになっている町、わたしの人生の起源となり、また(わたしの不在によって)わたしに最大の影響を与えるようになった小さな町へのわたしの再浸透を記録したものでした。これは、201211月にベルリンで成功裏に展示することができました。わたしのウェブサイトで閲覧することができます――http://alinarudya.com/Prypyat-mon-Amour.

「プリピャト・モン・アモール」シリーズのセルフ・ポートレイト


「プリピャト・モン・アモール」シリーズのセルフ・ポートレイト


「プリピャト・モン・アモール」はドイツの高級紙シュピーゲルのウェブサイトで特集記事になった。


現在のプロジェクト


チェルノブイリ30周年が近づいているいま、わたしの人生ではなく、他の人びとの人生に焦点をあてるために、プリピャチに戻りたいと願っています。1986年の昔、やはりゾーンから避難させられた人びとです。


わたしの父のアルバムからプリピャチの写真


1985年、プリピャチにて、家族写真。父のアルバムから


その人たちの何人かはわたしと同じ年齢であり、何人かは年長でしょう――他にもご自身がすでに子持ちの人たちもいるでしょう――が、すべての人たちがチェルノブイリ核惨事によるなんらかの影響を受けているのです。わたしは、そうした人びとの一部なりとも接触し、チェルノブイリがその人たちの人生を変えた様相を見たい――そして、その人たちと連れ立って、プリピャチに戻り、現在のその人たちの生きかたの出発点――グラウンド・ゼロを刻印したいと願っているのです。わたしの仕事の肝心な部分は、その人たちの写真を、プリピャチを背景にして、その人たちのアパートで過去からの懐かしい環境のなかで撮影することになるでしょう。


キャンペーンの重要性


チェルノブイリ惨事は、他の数十万の人びとの人生と同じく、わたしの人生を変えてしまいました。30年後のいまも放射能汚染の悪影響は顕著であり、フクシマのような、さらなる惨事を考えると、核の力の安全性に巨大な疑問符が付くことは明らかです。


生身の人びとの真実の物語ほど、わたしたちを動かすものはありません。


レーニン通り17番地、わたしたちの見捨てられたアパート24号室の床のうえにあった、わたしと母の写真

わたしはゾーン出身者の物語を写真に撮影し、語ることによって、決して起こるべきではなかった、また二度と繰り返すべきではなかった惨事に、もうひとつの人間的な感触を加えたいと願っています。わたしはプリピャチに生き、プリピャチから避難させられ、また人生が惨事の影響をもろに受けたアーティストとして、この主題に対してユニークな手法を提示できると信じています。これは長年にわたり論争の渦中にあってきた主題なのです。


1985年と2012年に同じ場所――プリピャチ市レーニン通り17番地、わたしたちのアパート――で撮影された写真のコラージュ


キャンペーンの目標


わたしのキャンペーンの目標は、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所に近接する規制区域、ゾーンに――かつて1986年に避難させられた町で人びとを撮影するために、その人たちと一緒に――帰還する数回の撮影旅行の経費を賄う資金を募ることにあります。最終結果は本として出版されますし、写真展で展示もされます。写真展は、事故30周年を記念して、20164月に開催することが計画されています。


写真集


わたしは現在のところ、ざっと80枚の写真を収録した150部内外の高品質中版・写真集を出版する計画を立てています、目下、出版社募集活動中です。


「プリピャト・モン・アモール」セルフ・ポートレイトの部、写真展初日のわたし

                                              

*** ご閲覧、ありがとうございます! ***


[訳注]KICKSTARTERウィキペディア)はクラウド・ファンディング・サイト。


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2015514日木曜日



『救援』第553号「放射能と被曝戒厳令」

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放射能と被曝戒厳令
福島県郡山市 井上利男


放射能は不可視である。物理的に目に「見えない」だけではない。政治・社会的に「見させない」。そして、心理的にわざわざ「見たくない」。


被曝戒厳令も不可視である。軍事力や警察力の形では目に「見えない」。官民一体となり、メディアが総力をあげて「見させない」。世間に楯突くのが怖いので「見たくない」。


だから、意志・意識的に「見なければならない」


***


あの20113月の当時、放射能プルームが吹き抜けた街、郡山市の対応は早かった。当時の原市長は県内で率先して小中学校の校庭などの除染に着手した。親たちの不安の声に応え、大手スーパー資本の協力を得て、子どもたちがのびのびと遊べる大規模な屋内遊戯施設「ペップキッズこおりやま」を開設した。


この施策は大当たり。満員つづきで順番待ちがひどく、屋内遊戯場がもっとほしいという要望が大きくなった。そこで、市街地の外れ東西南北四か所に同様な大型施設を整備する計画が策定された。


ところが核惨事3年目の昨年あたりから、雲行きが怪しくなった。


昨年九月の郡山市議会定例会で昨年度の補正予算案が可決された。そのうちの一項目が

「屋内遊び場等整備事業設計委託費」。設計費だけで7000万円。公文書で使われる“等”が曲者である。事業の実態として、屋内運動場が1か所、残り3か所は屋外運動公園である。これに反対したのは、共産党と市民会派の6議員だけで、社民を含め、残りの会派議員の起立によって、賛成討論もないまま可決成立。


事業構想の変更理由がまたふるっている――「屋内運動施設を4ヶ所整備することで、『郡山は危険だから屋内の遊び場を作った』などと間違った情報発信になる可能性がある」。


これは構想策定にあたった官民合同「検討会」での発言であり、小生が議事録を開示請求してみると、開示されたのは要録のみであり、発言者の氏名は黒塗り。議会資料にも「議員のみ」と刻印されており、よほど知られたくないものと推察される。

 

大安場史跡公園運動施設イメージ図(『救援』紙面では割愛)

古墳時代にタイムスリップ~古代人になって遊ぼう~

***


「屋内遊び場等整備事業」はほんの一例。被曝都市は伏魔殿と化し、除染、復興、先端技術、医療など、多面にわたる利権あさりの百鬼が夜行する。


市民は押し黙り、あるいはアパシーな理屈にすがる。


ある懇談会で吐露された市民の意見。「現在の放射線レベルは安全だという専門家がいます。危険だという見解もあります。わたしがどちらかに賛成すれば、中立じゃなくなるでしょ」。


***


フクシマ核惨事翌年の六月、野田政権の大飯原発再稼働方針に抗議して、霞ヶ関で金曜日デモ行動がはじまった。この「あじさい革命」に呼応して、わが街でも「原発いらない金曜日!郡山駅西口ひろばフリートーク集会」が発足した。


ほんの少人数だが、それ以来延々と毎週ほぼ欠かさず、駅前モニタリング・ポストのそばで幟を立て、バナーを拡げて、マイクを握り、「原発はいらない!」「子どもたちを被曝から守れ!」と訴えている。無関心を装いつつ、行き交う人びとを前に、吶々と呼びかけるだけであり、気分は時として荒れ野のヨハネ。


***


ものの本によれば、行動の結果は、その本人には知りようがないという。ベルリンの壁の崩壊、アパルトヘイト体制の廃止、冷戦の終結などなど、その直前まで想像できなかったはずである。


そして、このネットで結ばれた時代。すべての状況は相互連関している。どこかで不安と緊張が過飽和に達して、一瞬のうちに状況が転換するとき、世界全体がどのような変貌を遂げるのか、まったく未知のままである。


このようなことを思いながら、今週の金曜日にもJR郡山駅前に立つ。


(いのうえとしお。ブログ「原子力発電・原爆の子」、ツイッター:@yuima21c




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2014913日土曜日



20141018日土曜日



【『救援』寄稿記事】


2012314日水曜日


2012715日日曜日


2012817日金曜日


20121015日月曜日


201348日月曜日


2014415日火曜日


2014918日木曜日



英紙ガーディアン【極限の町】世界で最も放射能で汚染されている町は?

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Winner of the Pulitzer prize 2014

極限の町――

世界で最も放射能で汚染されている町は?
What's the most radioactive city?


われわれにとって電離放射線はありきたりの事実であっても、一部の市町村の住民にとっては、日ごろの心配の種であることを思い出させる――そして、それはチェルノブイリの近くの町だけではない



フクシマの放射能汚染土壌と廃棄物の保管準備作業。Photograph: Asahi Shimbun


ジェサ・ギャンブル Jessa Gamble

2015515日金曜日



今年2月、双葉町は厄介な決断を迫られた。2011年の(そして、太平洋に毒性廃液を漏らしつづけている)フクシマ核放射能漏れのあとに設定された立ち入り禁止区域に位置する、この無人の町は、何年も地域周辺の田畑に居座っている放射性表土とガレキ類の袋のための放射性物質貯蔵所を受け入れるように求められた。町外に逃れている町役場は――いつの日か放射性物質が一掃され、ふたたび住めるようになるとして、町の命運を封印して――同意した。



  [訳注]地図の埋め込みはすべて訳者による。


放射性物質は30年以内に持ち去られると約束されてはいるが、「暫定」が「恒久」に溶けこむのが世の習いである。その一方、120,000人の福島県民が避難したままであり――われわれにとって電離放射線はありきたりの事実であっても、一部の市町村の住民にとっては、日ごろの心配の種であることを思い出させる。


しかし、自分の市町村の放射能がどれほどのものか――あるいは、少なくともどれほど危険になっているのか――知るのは常に容易であるわけではない。環境に存在する放射性物質の量だけが唯一の要素ではないのだ。生物活性的な作用の多くは放射線から直接的に派生するのではなく、呼吸する空気、あるいは食べる植物に潜んだ放射性物質を摂取することから生じるのである。


損壊した福島第一原子力発電所の周囲20キロ圏・立入禁止区域内の双葉町。Photograph: Issei Kato/Reuters/Corbis


たとえば、スコットランドのアバディーンはラジウムに富む岩のうえに建設され、「放射能都市」と呼ばれることが多い。だが、その岩にラドンが漏れる亀裂がなく、この危険な気体は封じこめられたままなので無害である。この街がほんの数キロ北方に位置していたなら、そこの岩床にたくさんの亀裂があるので、話が違っていただろう。建物の一階の換気を図るために相当な仕事が必要だったはずである。

ラドンガスは肺癌の第2の誘因であり、その効果は最大原因である喫煙によって強化される。カスピ海沿岸のイランの街、ラームサルは自然バックグラウンド放射線レベルがとても高く、科学者たちが住民32,000人の移住を勧告したほどである。その近郊の町、タルシュ・マハレは、自然放射線レベルが居住地としては世界最高であり、長期間にわたる研究の対象になっている。




ラームサルの住宅にも問題がある。ウラニウムに富む火成岩が地下水に溶けこみ、それが9か所の温泉になって地表に出てくる(そして、入浴に使われる)。そこで、ラジウムが石灰岩に入りこみ、地元の家屋はたいがいそれを建材にしている。それはまた飲用水に紛れこみ、農作物に蓄積する。


それで、危険なのだろうか? 人口規模が小さいので、統計学的に有意であるかどうかは保証の限りではないが、ラームサルの肺癌発症率が平均より高いというわけではない。わたしたちの生涯癌発症率が40%であることを考えれば、小さな町の「癌集団」の病原を地域要因に名指すのは、悪運というのにも増して無理がある。


統計的な曖昧さは、ネヴァダ*のトリニティ核兵器実験場から56キロ、ニューメキシコ州トゥラローサにも付きまとっている。米国軍が1945716日――ヒロシマ原爆投下のほんの数週間前――に核爆発の予行演習を実施し、トゥラローサの家いえの裏庭を灰で覆ったのは、この実験場だった。住民たちはフォールアウトの悪影響を証明しようと苦闘し、その後、何年にもわたり法廷闘争を貫徹した。米国議会はついに1990年、トゥラローサ被災者の立証責任を免除し、明白な癌を患った風下住民全員に50,000ドルの賠償金を提供した。


  *[訳注]原文のNevadaは、Alamogordo(アラモゴード)の取り違えと思われる。



農場から逃げだし、フクシマ周辺の立入禁止区域に取り残された車のそばを闊歩するダチョウ。Photograph: Issei Kato/Reuters


電離放射線の厄介な点のひとつが、その深刻度を測る方法が1ダースもあることだ。国際単位が2つあり、グレイ(Gy)はじっさいに受ける線量、シーベルト(Sv)は線量当量、キログラムあたりのエネルギー量のジュールを表す。たとえば、タルシュ・マハレの住民は平均して年間10 mGy――国際放射線防護委員会が勧告する人工線源放射線の限度の10倍――を受けている。1軒の家は年間131 mSvを記録しており、これは世界平均の80倍以上に相当する。理論上、1シーベルトは癌になる可能性を5.5%高める。影響は、胎児と子どもたちに対して深刻度が高く、年配者に低い――もっとも、1シーベルトが非常に短い時間内に照射される場合、だれであっても、放射線の毒作用が数日間以内の死を招く。


失われた要因が、人間活動である。たとえば、南アフリカのウィットウォーターズランド盆地の金鉱――ヨハネスブルグ経済の基盤――は、鉱山120か所に相当する黄鉄鉱の選鉱くずを残し、それに450,000トンのウラニウムが含まれている。おそらく気候変動のためだろうが、激しい降雨が選鉱くずの溜池と地下保管場を冠水させ、放射性核種を地下水系に押し流した。ヨハネスブルグの住民が地元の水を飲んでいたなら、これは明らかに問題になっていただろう――が市当局は水道供給水をランド・ウォーター社から購入しており、同社は80キロ彼方のヴァール川から取水している。



あるいは、チェルノブイリ原子力発電所から約50キロ東にあるウクライナの街、スラヴィティチを例にあげれば、この都市は、ランカシャー州(英国)と同じ広さの立入禁止区域内にある、有名な見捨てられた街、プリピャチからの避難民を収容するために特別に建設された。それなのに、チェルノブイリで最後まで現役で稼働していた原子炉が2001年に停止されるまで、従業員たちはスラヴィティチ鉄道駅から直行列車で通勤して働いていた。住民たちはまた、立入禁止区域――地球上で最悪に汚染された場所であり、オオヤマネコ、ヨーロッパ野牛、狼、ヒグマが住処とする、ヨーロッパ最大の自然保護区――周辺の警備員として雇用されている。なお悪いことに、スラヴィティチ住民のうち、8,000人は1986年のメルトダウンのときに子どもだった。

空気、水、食物に含まれている放射性物質から数多くの生物活性作用が生じる。Photograph: Majid/Getty


放射線関連の疾患と甲状腺異常はスラヴィティチでありふれている(もっとも、危険を相対的に見ることは重要であり、スラヴィティチの若者たちの自殺リスクは甲状腺癌に比べて20倍高い)。人が被曝する放射線量は、地場産食品を食べる程度によって決まる。チェルノブイリ地域では、地表レベルの放射能被曝は時の経過とともに深刻度が低くなってきたものの、放射性セシウムが土壌に深く浸透している。特にキノコ類は組織内で重金属を濃縮するので、ひどく汚染されている。それでも、否認がはびこり、(多くの人が、ウォッカが体内の放射能を洗い流すと信じるなど)ガセ情報がのさばり、住民の多くが軽はずみな自信をもって、地場産品を食している。


チェルノブイリはいまだに歴史上最悪の原子力発電所事故である。しかし、最近になって、その深刻さにも折り合いがつき、フクシマがなお悪い苦境にはまっている。放射性物質の多くは風と波に乗って海へと運ばれたが、その残りは原発から北西方向の居住地に撒き散らされた。富岡町の住民は帰宅を許されたが、今のところ、日中だけである――そして、住民の40%内外は戻らないと決めている。

町を見て、ほんの4年前には、どこでも人が住んでいたとは思えない。野生イノシシが家畜のブタと異種交配し、人間に対する遭遇体験――あるいは、恐れ――もなく、町を荒らしまわってきた。建物は崩れ、ネズミがはびこっている。心配な同位体を挙げれば、甲状腺に蓄積し、被曝後に数週間もその臓器に放射線を浴びせつづけていた(しかし、いまは富岡町では減衰している)ものとして、ヨウ素131があり、富岡の表土層に5センチ以上も深く浸透したセシウム137がある。だから、双葉町で保管するために――特に校庭の――表層土を袋詰めする作業がおこなわれている。


富岡町の放射能は、どれほどのものだろうか? いつものことながら、確実なことを言うのはむつかしい。ここで、2013年に富岡を訪れた作家、ウィリアム・T・ヴォールマンのことばを引用してみよう――「パチンコ店のすぐそばで、シンチレーション検出器の表示が1時間あたり4.2マイクロシーベルト――久之浜の中程度に危険な雨樋のレベルの約10倍――を示した。危険を知らせる黄色テープを張り巡らせた近くの家では、雨樋受けで1時間あたり22.1マイクロシーベルトを記録した。1日あたり線量は530.4マイクロシーベルト、年間線量は193.6ミリシーベルトになる。少しばかりヤバイと言わねばならない。草地は1時間あたり軽く7.5マイクロシーベルト――年間65.7ミリシーベルト――であり、除染トラックがホコリを舞い上げつづけている幹線道路は1時間あたりほんの3.72マイクロシーベルトだったが、それでも勧告されている年間線量の32倍になる」。


驚くこともないが、町の近くの農民たちは事故初年の農産物を廃棄し、2年目は価格を下げた。漁業は壊滅である。地上の放射線レベルが安定しても、セシウムが地下水まで達する緩慢な旅路の途上で地中深く浸透し、富岡町と福島県全土が相続した遺産は末永いお荷物になるだろう。人の住む町としては怪しげな栄誉ではあるが、富岡は世界で最も放射能で汚染された町である。

台湾ニュース「馬総統、輸入食品偽装ラベル問題について台日共同の真相解明を提案」

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台湾ニュース Taiwan News



馬総統、輸入食品偽装ラベル問題について台日共同の真相解明を提案フォームの始まり

President urges probe into false labels on Japanese food imports
Central News Agency

2015518


台北、518日【CNA】馬英九(マー・インチウ)総統は18日、日本産食品の規制強化をめぐる紛争を解決する方策として、日本から輸入された食品の一部に貼られていた偽造ラベルの出所を台湾と日本の共同で突き止めることを提案した。馬総統は、台湾が課した措置が貿易障壁を設けたり、両国間の関係を損なったりすることを意図したものではないと強調した。


「これは短期的な措置です。われわれは日本の関係当局がわれわれとじゅうぶん協力していただけるように望んでいます」と、馬総統はメディアとの非公式会合での質問に答えていった。この措置は、偽造ラベル問題が解決されしだい、できるだけ早急に撤回される可能性があると総統は述べた。


台湾の食品薬物管理署は515日、日本産の食品の輸入規制を強化し、文書に製品の原産国名だけでなく原産国内の原産地も記載するように求めていた。


この新たな規制は、輸入禁止対象になっている日本の5地域の食品が、偽造ラベルを使って台湾に持ちこまれたことが3月に判明したことにより、課されたものである。台湾は現在、20113月に日本が大震災と津波に襲われたあと、福島第一原子力発電所のメルトダウンの影響を受けた福島、茨城、栃木、群馬、千葉各県からの食品輸入を禁止している。


台湾は、日本政府または日本政府が公認するか認証した機関が発行する原産地証明書を求めた。新たな規制のもとではまた、東京都と静岡県の含む日本の一部地域から輸入される茶、ベビーフード、養殖水産品について、放射能汚染がないことを試験した証明書の添付が求められる。この試験は日本政府または国際的に認定された機関によって実施されるものでなければならない。


日本は規制に対して強硬に抗議し、台湾が新規制を撤回しないならば、世界貿易機関に提訴すると脅した。(By Lee Shu-hua and Y.F. Low)


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201541日水曜日

ディプロマット誌 @Diplomat_APAC 小沢一郎「危険な日米防衛協力ガイドラインの改定」

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THE | DIPLOMAT アジア太平洋評論誌ディプロマット

危険極まる日米防衛協力ガイドラインの改定

日本の野党指導者が日米防衛協力ガイドラインの改定の問題点を論じる。


小沢一郎 Ichiro Ozawa

2015513


画像クレジット:ホワイトハウス

日本とアメリカ合州国*の両国政府は「日米防衛協力のためのガイドライン」を18年ぶりに改定することに合意した。この改定は、その実質的な内容からいっても、改定手続きの実施手順からいっても極めて問題である。まず、内容に関していえば、新ガイドラインは「途切れのない…二国対応」を求めており、従来のガイドラインにあった「日本周辺事態」に言及する部分が抜けている。これでは、日本と米国は世界のどこでも共同軍事行動に踏みこむことができるといっていることになり、非常に重大な変更である。

  *[訳注]the United States of Americaの直訳。


日本の防衛と安全保障のためであれば、もちろん、日本と米国が共同軍事行動を実施する必要がある。わたしは、この事実そのものを否定するつもりはない。しかし、「日本周辺事態」概念が抜け落ちれば、自衛隊が世界のどこに派遣されても許されることになり、これは明白に憲法を侵犯している。


国会は1999年に「(日本)周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」(日本周辺事態法)を採択した。しかし、日本政府が提出した元の法案では、行動を要する「日本周辺事態」になんの制限も設けておらず、日本周辺で発生するいかなる事態であっても、日米が共同で軍事行動を実施すべきであるかのように読めた。おそらく日本政府が、特に外務省が、そのような文言を使えと米国から圧力をかけられていたのだとわたしは思う。


当時、わたしは自由党の党首の立場にあって、たまたま自由民主党と連携していた。わたしは「この文言は日本国憲法の基本理念に抵触する」述べて、政府提案の内容に強く抗議した。その結果、その文言は「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」*という条文に改められた。わたしが介入した結果、この法律は、このような特別な事態の場合だけ、日米が共同軍事行動を実施することに改められることを余儀なくされた。


しかしながら、改定されたガイドラインから、この「日本周辺事態」概念が消されてしまっており、いまでは日本と米国は無制限の共同軍事作戦を実施できる。これは、日本が集団的自衛権を行使できるとした安倍内閣による昨年71日の閣議決定と軌を一にしている。これらの両者とも、憲法、とりわけ第9条の理念に叛くものであり、明白な憲法違反である。


集団的自衛権の行使を容認すること、またガイドラインから「日本周辺事態」の文言を抹消することに意を決しているなら、安倍内閣はまず憲法改定を国民に提案するべきであり、国会で論議したうえで、この問題に関して決定を下すよう、日本国民に求めるべきである。この意味で、採用されている段取りは、順序がこれとはまったく逆であり、政治手法として問題である。憲法改定が日本国民に支持されているなら、政府はまず憲法を改定すべきであり、そのうえで初めて集団的自衛権の行使を容認し、ガイドラインから「日本周辺事態」を抹消すべきなのだ。これが正しい順序である。


既成事実


しかし、安倍晋三首相のやりかたは、まずガイドラインに関して米国と合意を達成し、これを既成事実として使い、日本の法律を変えるものである。政府は米国からの圧力を口実に使って既成事実を積み上げ、好き勝手な方向にものごとを動かしている。だが、これでは、立憲主義の美点を賞揚する独立主権国家にふさわしい振る舞いとは、とてもいえたものではない。


第二次世界大戦につながった状況を振り返ると、日本国民は「さて、事態がこれほど進んでいるのだから、どうしようもない。われわれにできることは、なにもない」とみずからに言い聞かせて、もっぱら軍部の独断的な行為を黙認していたとわれわれは見る。この状況が最終的に太平洋戦争に行き着いたのである。これが、ものごとを段階的な五月雨(さみだれ)方式で進め、国民が「われわれにできることは、なにもない」といって終わる雰囲気を生じさせてしまう、奇妙にも日本的な流儀なのだ。われわれが過去を悔やむなら、二度とこのような流儀でものごとを決めないと結論するべきである。わたしはこの観点から、今回のガイドライン改定のやりかたは極めて危険であり、弥縫(びぼう=つじつま合わせ)策に他ならないと信じている。


わたしは、日米同盟を日本にとってもっとも重要な二国間関係としばしば言い表している。しかしながら、健全な同盟であれば、締約国は対等の立場で意見を交換し、双方が受け容れる結論を出し、相互協力に進むだろう。日本政府が「米国がこういっているので、わが国には受諾する他に道はない」というなら、これは対等な同盟の兆しではなく、むしろ上司・部下関係の表明になってしまう。


わたしは、安倍氏が本心から、米国路線を踏んでいくことにあれほど熱心であるとは信じていない。彼がじっさいに考えているのは、おそらく、日本が憲法に定められている軍事的制約を取り払えば、世界における国の地位を高めることができるはずだという彼自身の信念を実現するために、アメリカからの圧力を使えるなら、それこそ使うに越したことはない手段だということだろう。


これは非常に危険な手段である。わたしは、首相が選んだ方途が日本の行末に巨大なリスクをもたらそうとしていると信じている。わたしは、日本国民がこの現実を真に理解するようになってほしいと真摯に願っている。


【筆者】

小沢一郎は日本の政治家、生活の党と山本太郎となかまたち代表。


【関連記事】

2015414日火曜日


【メディア】

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英紙ガーディアン【ビデオ】福島ウォーター:高エネルギー栄養ドリンク発売中!

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Winner of the Pulitzer prize 2014


福島ウォーター:架空栄養ドリンク発売中!





ベルリンで活動中のアート・ディレクター3人組が、進行中の汚染水問題を浮き彫りにするためにフクシマ核惨事サイト産の偽装栄養ドリンクの販売を促進中


マーカス・トンプソン Marcus Thompson

2015310


高エネルギー栄養ドリンクがフクシマ核惨事の現場から湧きでている。ありえない話だが、事実である。だが、このデジタル・キャンペーンの背後、ベルリンにいる3人のアート・ディレクターにとって、この架空ドリンクは重要な問題を提起している。フクシマ核惨事から4年たって、いまだに――冷却に使われた――汚染水が太平洋に漏れ出しているのだ。


「ぼくたちは、いまだに汚染水が太平洋に注ぎこまれ、世間がまったくわかっていないのが、なんとも異様で、ぶっ飛んでしまいました」と、キャンペーンの背後にいる3人組のひとり、ケンジ・ベナブダラーはいう。


「水はひどく汚染されているので、保管しておく必要があります。だが、(汚染水貯蔵タンクは)漏れており、水は海に流れています。東京電力はなにも教えてくれませんし、グリーンピースはとんでもなく高い数値を言うでしょうから、正確な数値を知るのは非常に困難です」と、共同制作仲間のステファン・ウィットマンはいう。


ステファン、ケンジ、フローリアン・シャーフの友だち3人組は、進行中の汚染クライシスに対する認識を促す企てとして、“Fukushima Water”ブランド夜光ミネラル・ウォーターの架空ウェブサイトとコマーシャルを制作した。


福島ウォーター・キャンペーンは、汚染水の太平洋漏出に対して認識を促すことをめざしている。Photograph: Fukushima Water

「ぼくたちは、メディアの基本的な意識から抜け落ちているなにかに迫り、みなさんがパロディーのドキュメンタリーを閲覧すると、フクシマの破局的危機の重大さが胸に直に響くような形で、それを再構成しているのです」と、ケンジはいう。


大望は、関係者たちに圧力をかけて、漏れだしている汚染水についてなど、もっと情報を公開することを余儀なくさせることにあると、ケンジは語る。「変化を強いる最良の方法は、ソーシャル・メディアの活用です。企業を晒しものにして、起こっている事態の情報を一般の人たちに公表させるのです」。


問題の性質が敏感であり、微妙な状況を風刺を使って発信するのは、だれにとっても綱渡りのような芸当だが、日本人たちの反応は非常によいと、彼らは口をそろえる。


「だれもが、主として企業の不透明性について議論を始めたがっています。これは、だれにとっても心配な問題であり、特に日本のみなさんにとってはそうなのです」と、ケンジはいう。


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【関連サイト】

福島ウォーター

【ガーディアン記事】

【ビデオ】福島ウォーター #FukushimaWater(日本語トランスクリプト)

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2015/03/10 に公開

フクシマ第一核惨事から4年、新発売の栄養ドリンク、福島ウォーターが日本の飲料市場を席巻し、すべての年代層のカルト的な商品になった。ドリンクそのものが不誠実なマーケッティング戦略に乗って、「エネルギー水」――人工添加物入りの天然ミネラル・ウォーター――と謳っている。日本の飲料会社のいたずらっぽい広告芸にすぎないのだろうか? それとも世界で最もバカげた製品なのだろうか?



Credits:


福島ウォーターFukushima Water

Copyright 2015 Film Academy Baden-Württemberg


出演 Tomas Spencer, Yuki Iwamoto, Lieko Schulze

協賛出演 Jasmin Q., Kansei Hara


監督 Florian Tscharf

制作 Astrid Schäfer & Marc Donaubauer

立案・キャンペーン Kenzi Benabdallah & Stefan Wittemann

脚本 Robin Liebetrau & Florian Tscharf

撮影監督 Jonas Schneider

編集 David Kuruc

音楽 Andreas Pfeiffer & Alexander David

音響 Marvin H. Keil & Tobias Adam

大道具 Kristina Kozlova

芸術監督 Shoko Hara

Postproduction TVC: DONDON Berlin
Full credits: https://vimeo.com/121992489


カテゴリ:ニュースと政治 ライセンス:標準の YouTube ライセンス


トランスクリプト

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やあ、イアム・ゴティエです。わたしは日本に来て、次に来る大ブームのうわさを追っています。ここ日本では、文字どおり市場に溢れている栄養ドリンクがあります。その人気たるや、これまでの1年間、なぜか爆発的です。この売れ筋商品がなぜ人気を得たのか、世界的にヒットして、明日の必携品になるのか、探るためにやってきました。


0:22

2011311日、日本の福島第一原子力発電所の核反応炉3基でメルトダウン事故が発生し、2400平方キロを超える土地が汚染されました。


0:36

浄化作業に何十年もかかるでしょう。コストはざっと2800億ドルになるだろうと見積もられています。


0:43

これほどの破局的惨事にしては、日本はかなり平穏です。


0:48

日本文化の重要性は面目を失わず、力強いビジネス・センスと結びついて、新製品「福島ウォーター」を生み出しました。


0:57

このドリンクはソーシャル・メディアで大いに注目され、物議をかもす品名だからだけというわけではなく、たちまちカルト的な商品になりました。


1:06

日本の飲料会社が打ち出した、いたずらっぽい広告は世界一バカバカしい製品というものでした。


1:16

「福島ウォーターは機能性食品の分野で最も革命的な製品です。わが社は単に栄養ドリンクを代表する商品ではなく、まったく新しいタイプの栄養ドリンクを開発したいと思いました。福島ウォーターは、タウリンやカフェインを添付した他のどのようなドリンクよりも効用があります」


1:33

福島ウォーターの効能書きは、他のどのドリンク類に比べても最大30パーセント強い効能があると謳っています。人体に効用のある補助的な栄養物は、日本で機能性食品と呼ばれています。


1:45

「あのマグネシウムやカルシウムなどのミネラルに加えて、さらにある種の濃縮添加物を含んだ飲料水です」


1:56

添加物の製造工程は、この複合装置で処理されています。企業は狙い目の物質であるセシウム137の研究開発に3年間かけました。批判的な人たちは、会社の添加成分表示が不正確であり、何倍も多く添加しているといっています。




セシウム137
セシウム137は福島ウォーターのエネルギー源です。

少量であれば人体にまったく無害です。
2:14

「セシウムの濃度は非常に低くなっているため、過剰摂取はまず考えられません。われわれは短期間ながら、試験をおこなった結果、非常にいい結果を出すことができ、この度めでたく市場投入ができる運びとなりました」


2:42

ドリンクが瓶詰めされ、封印され、ラベル貼りされ、梱包されておりますが、騒音がすごいもので、聴きとることができませんでした。1日あたりの製造能力は、どれくらいになりますか?


2:55

「この最先端装置は、日産約300,000リットルの福島ウォーター製造能力を備えています」


3:07

1日あたり300,000リットルとは、将来に向けた会社の野心を雄弁に語っているようです。


3:11

「ここ日本で、わが社は極めて好調のうちに製品の市場投入を果たしました。カナダ市場への試験参入も成功裏に推移しています。わが社の特命チームが世界展開を立案しています」


3:23

批判勢力の懸念をものともせず、会社のマーケッティング計画は世界を手中に収めようとしています。


3:30

そして、国際広告キャンペーンがすでに次の時代の究極的なエネルギー源を提案しています。


3:37

終わりにあたって、問うべきことがあります。福島ウォーターは。事実の歪曲にもかかわらず、世界飲料市場のビッグ・ヒットになるのでしょうか?




 

【キャンペーン・サイト】

福島ウォーター



【解説記事】


2015521日木曜日



日本語字幕付き【ビデオ】核分裂エネルギー発電入門、短所と長所

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CBSニュース「フクシマ周辺の鳥たちに迫る災禍」

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CBS NEWS





マイケル・ケイシー MICHAEL CASEY CBS NEWS April 16, 2015416


フクシマ周辺の鳥たちに迫る災禍


研究員の手のなかで、白色化した羽毛の斑点を調べられているツバメ。T.A. MOUSSEAU


フクシマ惨事*から4年、損壊した原発周辺では鳥類を滅多に見なくなっている。


鳥類学ジャーナル掲載の論文は、鳥類57種の半分が生息数の減少に見舞われていると認めた。サウス・カロライナ大学の生物学者、ティム・ムソーと研究仲間たちは、時間の経過とともに――放射線の脅威が減じても――鳥類の数が減りつづけていることに気づいた。


「鳥類の数が劇的に減少しており、これはあの地の全般的な様相にもとづいているはずです。フクシマのツバメについていえば、わたしたちが研究していた町村の多くで、何千羽とまでいわなくても、何百羽もいました。いまでは数十羽が残っているのを見ることができるだけです。途方もない減りかたです」と、ムソーはCBSニュースに語った。


ツバメだけでなく、ニシオオヨシキリ、ウグイス、ホオジロも見つけるのが極めて難しくなった。


ツバメの羽毛の寄生虫と非対称性の検査。T.A. MOUSSEAU


研究者たちはいまも減少の厳密な理由とフクシマ惨事の果たした役割と突き止めようとしている。日本は2011311日に地震に見舞われ、津波が発生して、福島第一原発の予備発電機を損壊し、チェルノブイリ以来で最悪の核惨事を引き起こした。


ムソーはフクシマにおける初期研究で、核惨事の悪影響が広範な生物種におよび、鳥類、サル、蝶類*、その他の昆虫の遺伝子損傷の原因になったことに気づいた。彼が今月初めにネイチャー誌サイエンティフィック・リポーツに公開した研究論文**では、ツバメ雛の個別検査の結果、放射能による遺伝子損傷を認めることができなかった。それでも、詳細な調査の結果、ツバメの数と雛の割合の両方において、生息数の減少が放射線量と比例していることが実証された。


「わたしたちは惨事後のあの最初の夏、最も線量が高い地域に入ることができず、翌年の夏も中程度の高線量地域の一部に入ることができただけですので、この論文では、比較的に小さな範囲内のバックグラウンド線量を対象に研究できただけです。ですから、この種の関係を検証するには、統計検出力がかなり力不足であり、おまけにツバメがわずかしか残っていないとなれば、なおさらのことです」と、ムソーはいう。


ツバメの体長を測定する研究員のアンドレア・ボニゾリ=アルクアティ。 
T.A. MOUSSEAU


ムソーはまた、フクシマにおける環境への影響を、1986年の最悪な原発事故の現場、チェルノブイリ*のそれと比較するプロジェクトを主導する研究者のひとりである。彼はチェルノブイリ+フクシマ研究イニシャティヴ**の管理者として、両現地における鳥類に対する影響に注目した。


鳥類学ジャーナル今月号掲載の第2の論文において、ムソーと彼の古くからの協力者、フランス国立科学研究センターのアンダース・モラーは、チェルノブイリ周辺では渡り鳥のほうが周年留鳥に比べてひどい状態であることに気づいた。フクシマにおいては、その逆だった。


「フクシマの留鳥種は惨事勃発時、現場にいたのであり、放射能放出にもろに遭遇したのです。渡り鳥は惨事のあとまで現場に登場せず、被曝線量は惨事のあとのレベルに限定されていました。線量レベルが低くなっていたのです」と、ムソーは語った。


チェルノブイリでは、ツバメやサンショクツバメなどの渡り鳥は、生体保護物質――飛翔中に消費されるビタミンEGSHグルタチオン)など――が到着時すでに消耗していたとムソーは信じている。


「渡り鳥は数千マイルの距離をわたって飛来し、生理的なストレスを抱えていたのです。舞い降りたとき、繁殖に必要なエネルギーと相まって、鳥たちは放射能に対して無防備だったのです」と、ムソーは述べた。


ムソーは、フクシマ周辺において、最悪期はまだ到来していないと予測している。


「最初の夏、放射線量と生息数の関係は否定的なままに始まりましたが、年ごとに関係がじっさいに強くなっています。そこでわたしたちは今になって、鳥の数と鳥類種の数の衝撃的な減少を目撃しているのです。だから、放射線レベルが高いこれらの地域では、そのレベルが低下していても、劇的な影響が認められるのです」と、ムソーは述べた。


その理由は放射線による長期的影響に帰せられるとムソーはいう。


彼は寿命の短縮と繁殖力の減衰に触れ、「自然個体群に突然変異効果が出現するまで、数世代の期間が必要です。ある時点で、突然変異の悪影響と生まれて間もない新世代の鳥の渡りが拮抗するでしょう。この均衡点に達するのが何時になるのか、わたしたちはまだ予測できるほどわかっていないのです」と語った。


© 2015 CBS Interactive Inc. All Rights Reserved.

本稿は、公益・教育目的により日本語訳・公開するものです。


【関係論文】


2015518日月曜日

(末尾にT・ムソー関連記事とブログ内【論文】日本語訳稿のリンク集)


【解説記事】


2015422日水曜日



スミソニアン誌「フクシマ核惨事から4年、鳥たちの苦境」

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Smithsonian.com総合雑誌スミソニアン


フクシマ核惨事から4年、鳥たちの苦境


まるで鉱山のカナリアのように、鳥の多寡が野生生物に対する核惨事の影響の悲惨な全体像を反映しているのかもしれない


スズメはフクシマ周辺で生息数が減っている鳥類30種のひとつである。(Takao Onozato/Corbis


ベン・ミリン Ben Mirin

スミソニアン誌 SMITHSONIAN.COM 
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ティム・ムソー(Timothy A. Mousseau)が初めて鳥類の生息数を数えに福島へ赴いたとき、彼が訪れた各地の放射能レベルは通常のバックグラウンド値に比べて1,000倍に達するほど高かった。それは20117月、東北地震とそれが引き起こした福島第一原子力発電所の部分的メルトダウン事故*4か月後のことであり、日本は社会基盤の甚大な被害からの回復途上にあった。ムソーの彼の共同研究者が車をレンタルし、東京から北上したさい、いまだにちょっとした路上の難所に行き当たるありさまだった。


「だれもほんとうに予想しないような(放射能汚染の)初期の影響を把握できるように、わたしたちは現地に赴かなければならないとわかっていました」と、ムソーはフクシマ惨事のニュースを見て考えたことを振り返った。「わたしたちは結局、あの最初の年にできる最善の方法は単純に鳥を数えることだと納得しました」。


4年間かけて福島第一原発の周辺400か所で鳥類の個体群を調査したいま、ムソーと彼の研究仲間たちは鳥類個体群を指標システムに使って、地域野生生物に対する惨事の影響に関する険悪な姿をまとめあげた*。放射能が県土全域で減少してはいても、鳥類種の数と個体生息数が急激に減っており、状況が年ごとに悪化していることを研究チームのデータが示している。


「最初、ほんの数種に放射線の影響の有意な兆候が認められていました。今では、(安全地帯から)もっと、もっと線量レベルの高い、そうですね、曲がり角あたりまで5キロか10キロも深入りすると、死のような静けさです。運がよければ、1羽か2羽、目にすることでしょう」と、ムソーはいう。


ムソーの研究チームは鳥の個体計数調査を総計2,400回実施し、鳥類57種のデータを収集しており、それぞれの種がバックグラウンド放射能に対する特定の感受性を示していた。彼らは鳥類学ジャーナル3月号で公開した論文で、鳥類のうちの30種で調査期間中に個体数の減少が認められたと報告した。そのなかでも、ハシボソガラスやスズメなどの留鳥は、3月上半期の部分メルトダウンから数週間後まで県土に到来しなかった渡り鳥に比べて、感受性が高いことが認められた。


人類史上で核事故は稀であり、野生生物に対する放射能の直接的な影響に関するデータの持ち合わせは非常に少ない。ムソーはこれまで15年間かけて、核事象ごとの比較研究を実施しており、わたしたちの知識基盤を構築し、隙間を埋めるために貢献してくれている。たとえば、チェルノブイリ惨事が野生生物におよぼした初期の影響に関する公式発表記録は存在しないものの、近年になって、地域の鳥類から森林の菌類*まで、事故後におけるチェルノブイリの生態系を評価するための研究が数多く実施されている。


ムソーは2012年にフクシマを再訪問したとき、放射線被曝地帯で白脱色した羽毛の斑点を有する鳥を捕獲しはじめた。これは馴染みのある兆候だった――「わたしが2000年に初めてチェルノブイリに赴き、鳥類を収集したさい、ある格別に汚染された農場の(捕獲した)鳥の20パーセントに、[体表の]あちこち――サイズが大小さまざま、文様が規則的だったり不規則だったりする――白色羽毛の小斑点が認められました」


ムソーの研究チームは、これらの白斑は放射線被曝に起因する酸化ストレスの結果であり、そのために鳥の羽毛やその他の体部位の配色を制御する鳥の抗酸化物質保有量が減衰したのだと考えている。チェルノブイリでは、白斑は、白内障、腫瘍、非対称体型、発育異常*、繁殖率低下、頭脳サイズの縮小など、放射線被曝による他の既知の症状と効率で一致している。

* Even Tiny Amounts of Radioactive Food Made Caterpillars Become Abnormal Butterflies


2013年になると、フクシマでムソーが計数していた鳥に、双眼鏡で見ることができるほど大きな白斑があった。


ムソーは兆候を総合して、チェルノブイリとフクシマのデータセットが、核惨事後のさまざまな段階における放射線の長期にわたる野生生物に対する蓄積的影響*の有意な証拠を提示していると考えている。だが他にも、入手可能な情報をまったく異なった形で解釈する専門家もいる。


「わたしは酸化ストレス仮説を無条件に信頼できない」と、“Chernobyl: Catastrophe and Consequences”[『チェルノブイリ~破局と帰結』]の編集・主著者にして地上・海洋生態系の専門家、ジム・スミスはいう。「フクシマでも、チェルノブイリでも、最近の放射線レベルは低線量であり、細胞の抗酸化能力は、このレベルの放射線の酸化作用に比べて、一回りも二回りも大きいのです」と、彼はいう。この説によれば、羽毛の白斑は――それに、たぶん鳥の衰退全体は――放射線以外のなにかに引き起こされたことになる。


鳥の羽毛は、わたしたちの髪色が年配になると変わるのとよく似た老化の副作用として、色が変わることが多い。羽毛はまた年に数回の換羽サイクルごとに生え変わり、そのたびに色素形成のために新たなメラニンの補給が必要になる。エール大学の鳥類学者、リチャード・プラム(Richard Prum)によれば、このことから――鳥の放射能汚染地帯における生息や通過の有無にかかわりなく――色素変異が極めて定期的に起こる可能性が浮上する。


プラムは鳥類の羽毛配色進化を研究しており、「これは車の修繕に少し似ています。問題は明瞭なのですが、可動部品が多いのです。白色羽毛など――メラニン関連のストレスは、多様な環境のもとで、これと同じように発現し、その背後にある原因は非常に多様なのかもしれません。この冬にも、わたしの自宅の給餌器に異常な白い色素沈着のある4種の鳥が来たのを見ましたが、わたしはニューヘブン*の放射線レベルをさほど心配しておりません」と語った。

  * [エール大学所在地。コネチカット州南部の港町]



イノシシはチェルノブイリ立入禁止区域に勢力を誇っていると見受けられ、隅に置けない。(VASILY FEDOSENKO/Reuters/Corbis


プラムはチェルノブイリの生態系はすこぶる好調であると聞いていると述べており、これはムソー批判派が擁護する見解である。スミスはかつて英国のポーツマス大学で、主として水生無脊椎動物を研究し、チェルノブイリ事故のあと、いくつかの最も汚染された湖で生物多様性レベルが上昇したのをじっさいに観察した。


「たくさんの文献を読みこんでも、事故後短期間の高線量による早期の影響ともっと低い残存線量による晩期の影響を区別することは困難です。しかも、文献の一部は人間の退場が生態系にもたらす影響を適切に説明していません」と、スミスは語る。


かつて2000年、テキサス工科大学のロバート・ベイカーとロン・チェサー(Ron Chesser)は、チェルノブイリを事故以来の人間不在*のおかげで成立した野生生物保護区とみなす論文を発表した。彼ら科学者の両氏とも、チェルノブイリとフクシマにおける生物多様性と種個体群の豊かさは、長期的に見れば、放射線の悪影響を受けないと断言した。

* How The Fukushima Exclusion Zone Shows Us What Comes After The Anthropocene


チェサーは、「最善の努力を尽くしても、事故後の野外研究は明確な全体像を提示できるほどにはじゅうぶんではありません。事故前のデータを扱って研究しているのではありませんので、良質のコントロール群(比較対照区)を提示できないのです」という。チェサーは、ムソーが観察した類いの生理異常を慢性的な放射線被曝の最終的な結果ではないのではとほのめかす。それよりむしろ、それらの異常は、生殖、感染や疾患の免疫反応、渡りのような激しい身体運動など、他の酸化ストレス原因を反映している。


「わたしが親しみながら成長し、これまでの60年間も読みこんできた、すべての[文献]証拠が、(ムソーの知見は)たぶん間違っているとわたしに告げています」と、チェサーは日本における鳥の減少の背後にある原因を放射能とする説に反論する理由を説明していう。「わたしには他人さまを中傷するつもりはないですが、証拠がほんとうに標準から外れていれば、それを裏付けするなにか異常なデータを掴んでいるはずです」


ムソーは、自分の研究手法が、動物個体のガイガー計数器読み取り値にもとづく放射線反応測定を典型的な生業としてきた「守旧学派・放射線生物学者たち」のそれからは逸脱していることを承知している。ムソーが自分は気にしないというように、厳密な放射線レベルに無頓着であれば、だれかの逆鱗を収めさせることはよくわかる。


「わたしたちは生態学的および進化論的反応の計測に厳密に動機づけられています。わたしたちの常軌を逸した証拠は、こうした個体数調査、景観規模全域にわたり、両側地点[研究対象区と比較対照区]を含んで大規模に複製した生体目録を反映しており、この手法は彼ら他の研究団体のどれも、いかなる厳密な形であれ、実行したことのないものです」と、ムソーはいう。


「データは無作為抽出したものではなく、現実的であり、厳密です。それは空間と時間を写しとったものです。データをどのように解釈するかは把握力にかかっており、このような減少にともなうメカニズムをさらに適正に評価するためには、もっと多くの実験を実施する必要があります」と、彼はつづけていう。ムソーの研究チームの側としては、次の目標として、彼らのデータにある異なった鳥類種がさまざまなレベルの放射線感受性を示すように見受ける理由を解明したいと願っている。彼らは来週、チェルノブイリに向かい、7月にフクシマに戻る。



【姉妹記事】


2015524日日曜日


【関係論文】


2015518日月曜日

(末尾にT・ムソー関連記事と【論文】日本語訳稿のリンク集)


【解説記事】


2015422日水曜日


鉱業ニュース「ウラニウム業界は一歩前進、二歩後退」~世界の投資家は日本の原発再稼働の動きに一喜一憂

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ウラニウム業界は一歩前進、二歩後退
Onestep forward, two steps back for uranium: report

アンドリュー・トープ Andrew Topf 2015524


ダンディ・キャピタル・マーケッツの最新報告によれば、核燃料価格とウラニウム採掘企業に影響をおよぼす可能性のある3つの動きがあり、ウラニウム投資家は短期的には警戒を迫られている。


ダンディの部門専門家3名が執筆した報告によれば、この3つの要因は、2011年福島事故後に停止している日本の核反応炉の非常に重要な再稼働と東京電力の動きに関連している。


東京電力に関しては、経費の削減に併せ、閉鎖中の原発の再稼働が不透明であることから、同社が在庫しているウラニウムを売却したがっていると伝えるメディア報道がある。売却額はスポット市場規模の15パーセント、昨年のウラニウム取引総額の3パーセントにあたり、これでは市場がだぶつくのにじゅうぶんであり、多くの関係筋は価格を押し下げると恐れている。ダンディは、市場が短期的な影響をこうむるが、「ウラニウム生産が反応炉側の必要量に追い付いていない」と反論する。


市場に悪影響をおよぼしかねない第2の要因は、大阪の北方に近接する大飯原発の停止中の反応炉2基を再稼働させる計画を実行することを関西電力に禁じた裁判所の決定である。


訴訟の対象になった大飯原発の反応炉2基は、2012年に一時的に再稼働されており、フクシマ後に発電を再開したのは、日本国内でこの2基だけである。だが、2基とも昨年9月に点検のために再び停止した。


この決定は、関西電力が核反応炉の安全性を法廷で証明できるまで、再稼働できないことを意味する。ダンディは、このニュースは需要以上に投資家心理に影響し、「わたしどももまた、この訴訟と差し止め命令がビジネスを前進させる正常なコースに戻されることを期待しております」と記す。

報告によれば、期待できるウラニウム市況動因は、日本で5番目の核反応炉と3番目の原発の再稼働が認可されたことに関連している。愛媛県の四国電力伊方原子力発電所3号炉が地震と津波に対する安全防護対策が強化され、安全審査で承認されたので、投資家心理が上向くだろうとダンディは述べる。3号炉は2016年はじめに始動すると期待されている。


ダンディは投資家に向けて、ウラニウムのスポット価格とウラニウム株の短期的な弱含みを予測し、したがってUr EnergyUranerz EnergyEnergy FuelsCamecoなどに対する固定価格契約を推奨している。ダンディは、Paladin Energy (TSX:ASX:PDN)を避けることと助言し、長期見通しとしては、ウラニウム探鉱企業はおおむね影響を受けないと見ている。



【記事の元ネタ】

5月20日付けDUNDEE CAPITAL MARKETS - Uranium Sector Outlook (PDF)

表1.再稼働認可を提出した日本の核反応炉の現状