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R・ジェイコブズ「放射線は人を不可視にする~グローバル被ばく者の視座から」 @JapanFocus

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アジア太平洋ジャーナル/ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析


アジア太平洋ジャーナルVol. 12, Issue 31, No. 1, 201484.

放射線は人を不可視にする~グローバル被ばく者の視座から
ロバート・ジェイコブズ Robert Jacobs

凡例:(原注)、[訳注]、原文イタリック
放射線は人を不可視にする。わたしたちは、放射線が人の健康に有害であり、病気を、あるいは高線量の場合、死さえも招きかねないことを知っている。だが、放射線はそれ以上のことをする。放射線に被曝した人、あるいは放射線に被曝したと疑われる人でさえ、放射線に関連した病気になっていなくても、自分の人生が永久に変わってしまった――ある種の二級市民とみなされる――ことを思い知らされるかもしれない。その人たちは、彼らの家族、彼らの地域社会、彼らの町、彼らの食生活との関係が、あるいは彼らの伝統的な知識体系さえもが断ち切られたと悟ることになるかもしれない。彼らは、戻りたい、ものごとが正常になってほしいと願いながら、しばしば彼らの人生に残されたものを使いつくす。彼らは、自分が棄民になってしまった、彼らの政府は、また彼らの社会さえも彼らの福利にもはや労をとってくれないと徐々に理解する。

筆者は、核技術の社会的・文化的側面を研究する歴史家として、放射線に影響を受けた世界中の社会の研究に何年も費やしてきた。そうした社会の人びとは、核実験、核兵器生産、原発事故、原発の稼働や[廃棄物の]貯蔵、あるいは筆者の暮らす地域社会、ヒロシマが標的になったように、核爆弾の直撃による放射線被曝を体験している。筆者は、最近の5年間、オーストラリアはパースのマードック大学、ミック・ブロデリック博士とともにグローバル被ばく者プロジェクトで活動してきた。わたしたちの研究は、広範な文化、地理、人びとの違いを越えた放射線被曝体験の緊密な共通性を明らかにした。この研究の開始時から今日までのほぼなかばで福島第1原子力発電所の災害が勃発した。危機が勃発して以来、(数多くある)最も悲惨な状況のひとつは、人びと、それもしばしば政治的な権力と影響力を有する人たちが、核惨事に被災した人びとの未来は不透明であると語るのを聞かされることである。福島第1原発メルトダウン現場の近くに住んでいた人びとの未来は予測可能であることは、歴史に深く刻まれた前例が示唆していると筆者は願うし、また実際にそうなのである。



ブラヴォー実験のあと、健康への影響を示す子ども

5福竜丸乗組員の頭蓋の放射線火傷


ここで、放射線の影響を受けた人びとの共通性について、いくつか概要を述べてみよう。以下に記すことのほとんどは、たとえ健康への影響に苦しんでいなくても、放射線被曝を疑われる人たちにも当てはまることである。その多くはすでに、フクシマ惨事の影響を受けた人びとの経験の一部になっている。もちろん集団ごとに違いと特異性が数多くあるが、やはり顕著な共通性が見受けられるのである。

疾病と死亡率――疾病、さらには死亡さえも、高レベル放射線被曝の場合に予期されるようになった結果である。放射線に被曝したあと、人びとが多く異なった形で病気になると理解することが大事である。高レベルのガンマ放射線に被曝した人たちは、急性の放射線病になりかねず、何日かあと、何週間かあと、または何か月かあとに死亡しかねない。ヒロシマとナガサキでは、何万人もの人びとが核攻撃を生き延びたあと、急性放射線病で亡くなっている。日本のマグロ漁船、第5福竜丸の無線長、久保山愛吉は、マーシャル諸島近くの操業海域から100キロ以上離れたビキニ環礁で実施されたブラヴォー核兵器実験による高レベルのガンマ放射線に被曝してから6か月半後に死亡した(他の乗組員全員が放射線病を患った)。核兵器は非常に短い時間内に突発的に膨大な線量のガンマ放射線を放出し、体が高レベル放射線で被曝すると、かなり速やかに病気と死を招きかねない。核爆発による高レベル放射性フォールアウトもまた、第5福竜丸の乗組員の場合がそうであったように、爆発地点から遠く離れた場所でもガンマ放射線被曝を引き起こしかねない。

核兵器の爆発地点に近くなかったり、チェルノブイリやフクシマの核惨事のような災害現場に近かったりすれば、病気は体内に入ったアルファ放射線照射粒子の結果である場合が多い。これは、核爆発に伴うフォールアウトに運ばれて降下する。これまでの民生用原子力発電所の2大事故、チェルノブイリとフクシマの場合、このような粒子が爆発によるプルームとして広大な地域に降下し、地表に沈着した(フクシマでは、プルームが原発から100キロを超えて降り注ぎ、チェルノブイリの場合、プルームが主として北方の国境を超えてベラルーシに降下したが、はるか遠くの英国やスウェーデンの各地まで汚染した)。アルファ放射体粒子はガンマ放射線のように皮膚を貫通しないが、呼吸や嚥下によって、あるいは皮膚の傷を経由して体内に入る(アルファ、ベータ、ガンマ放射線の基本知識は、を参照のこと[日本語は、とりあえず放射線影響研究所「放射線にする基礎知識」)。

これらの粒子は大量の放射線を放出するわけではないが、体内に留まると、1日に24時間、少数の細胞を放射線被曝させつづけ、しばしばそれが生涯におよぶ。その結果、数年後、あるいは10年後か20年後、癌や免疫障害になりかねないことになる。フクシマの三重爆発に伴うプルームが広大な地域にわたってアルファ放射体を堆積させたので、このことは、汚染地域で暮らす人たち、とりわけ、体が速やかに成長しているので、成人よりも放射線被曝の重大な影響をこうむる子どもたちに深刻な危険を投げかける。

核産業の御用人衆が「福島原発事故で死亡者は出ていない」などというのは、たいがいの人が徐々に病気になり、時間がかかることをよく知っているはずなので、不誠実である。現時点はこのような病気の潜伏期にあたっており、この点は周知のことのはずだが、核産業や政府の広報係によって抑えこまれているのだ。最近の調査によって、福島県で311災害のあと、津波の死亡者より多くの人たちが、ストレス、適正な医療の不足や自殺で亡くなっていることが示されている1



福島第1原発爆発のプルームによる地表ガンマ線量とセシウム137堆積

平和の折り鶴で構成されたビキニ環礁地方政府庁舎の壁画(写真:筆者)


家、地域社会、アイデンティティの喪失――放射能汚染をこうむった地域は、そこに住む人びとに放棄されなければならない場合が多い。放射線レベルが高い場合、住みつづけるのは健康に有害でありうる。この場合、人びとはふるさとを失い、それも永久になる場合が多い。

放棄しなければならない地域社会にとって、築き上げられ、地域共同体の福利を維持してきた絆が断ち切られてしまう。友だちは別れ、大家族はしばしば離れ離れになり、学校は閉鎖される。生涯を同じ場所で暮らしてきた人たちが、老若問わず、新たな生活を築かなければならない。顔見知りの商店主、頼りになる隣人、地域社会の単純な親密さといった、人びとを支えてきた共同体構造が破壊される。父か祖父が植えた木のリンゴをもう食べられないとすれば、なにが失われたのだろうか? ニューメキシコ州ギャラップ出身の元ウラニウム鉱夫、トニー・フッドは、ナヴァホ共同体がウラニウム汚染のために故地を捨てなければならないと熟考したときの喪失感を、「わたしたちのへその緒はここに埋められ、子どもたちのへその緒はここに埋められている。それは自動誘導装置のようなものだ」と表現した2

共同社会の喪失に伴い、多くの人たちは暮らしを失う。世代を重ねた農民、漁民、牧畜民の場合、これはなおさらのことである。農耕しか知らない農民が慣れ親しんだ土地から引き離されるとすれば、漁民が自然のリズムと魚の癖を理解している海域で漁労できないとすれば、初めからやり直すのは不可能だ。そのような人たちは、サービス業に就職したり、国の助成金に頼ったりすることを余儀なくされる場合が多く、さらに自己意識と安寧が蝕まれることになる。汚染のために自分の土地から追われた人たちは、一般的に仮設住宅に入居させられることになる。フクシマの場合、10万人の人びとが仮設住宅に取り残され、他にも数十万人が政府に住居を提供されることもなく地域を逃げ出しているありさまである3。公的に認定された被災者に提供された公共住宅は、ほとんどすべてのケースで、一時的なものでなく、恒久的なものになっていることが判明している。

ビキニ環礁(左)とフクシマ(右)からの避難民用「仮設住宅」


カザフスタン、ポリゴン(核実験場)に近い汚染地の栽培試験圃場(写真:筆者)


何十年も一緒に暮らしてきた多世代家族は、多くの場合、一緒に生活することが不可能とわかることになる。そのために高齢者の世話や幼児の養育ができなくなり、家族意識、知恵、支えの継続性が蝕まれることになる。土地からの離別はまた、伝統食の喪失を伴う。家族の食べ物をもたらしてくれていた土地や海を活かせなくなった人たちは、混乱と不健康の旅路をたどりはじめることになる。カザフスタンは旧ソ連核実験場[セミパラチンスク]の周辺の小村落のような一部の地域では、人びとが危険なほどに汚染されたふるさとにただ住みつづけている。彼らの被曝に責任のある国家(ソ連)はもはや存在しておらず、ロシアとカザフスタンの両政府とも、彼らを避難させたり、あるいは障害者たちに医療を提供したりする責任を感じていない。多くの人たちは、自分の畑を作物を栽培したり、汚染された自分の土地で家畜を育てたりして糧を得ながら、とても伝統的な暮らしを守っている。半減期の長い放射性核種の多くがこのようなエコシステムを単に循環し、住民たちは世代を超えて汚染され、また再汚染される4

日本政府は福島県で、20キロ圏内を強制避難区域に宣言し、さらに20キロから30キロの圏内に避難「勧奨」区域を指定した。これらの区域は、放射線レベルを直に反映していない。強制避難区域の一部では、ガンマ線量レベルが避難勧奨区域の一部より低い。50キロから80キロも離れ、プルームが降り注いだ地域の一部で、さらにレベルが高い場合もある。強制避難区域の区分けは、政府の直接責任を限定する施策を反映している。今日でさえ、子どもたちが屋外で遊んだり長時間を過ごしたりするのが許されない地域に住んでいる5



屋内の砂場で遊ぶフクシマの幼稚園児たち(写真:Toru Hanai


伝統的な知恵の喪失――一部の遠隔地では、何世紀も前から伝わってきた土地に対する古い理解に頼って生きている。オーストラリアのマラリンガでは、英国が1956年から1983年にかけて核実験を実施した地域は、生きるのが非常に困難な場所である。これらの地域の伝統社会は、水が見つかる場所、特定の動物を狩る時期、さまざまな場所に移動する時期など、そのように過酷な環境で生存するための基本知識を歌に乗せて伝えている。だが、幾千年かけて集められた知識を核の惨事に適用できるのだろうか?

英国が部族集団全体を故地から何百キロも離れた地域に移住させると、局地的な知識の連鎖が断ち切られた。避難民が、土地と動物のリズムを知らない地域で伝統的な暮らしを維持するのは不可能だった。自分の土地からのこの追放によって、ますます政府援助に依存するようになり、何千年間もの独立独歩の道は寸断された。アボリジニの人たちに対するオーストラリア政府の野蛮な支配と政策によって、自立が劇的な影響を受けた一方で、実験場の近くに住む人びとは1950年代にまだその土地で生きていた。強制移住は、部族共同体、家族と個人の福利をさらに蝕んだ。

差別――放射線に被曝したかもしれない人びとは新しい居住地で差別を経験し、社会の除け者になるかもしれない。これの生々しい最初の実例は、配偶者になりそうな相手が奇形児の出産を恐れるので、結婚相手を見つけるのが非常に難しかったり、雇用主が慢性病を疑い、仕事を見つけにくかったりすると思い知ったヒロシマ・ナガサキ被爆者に見られた。さらにまた被爆者の子どもたちは、しばしばいじめの対象になった。家族が放射線に被曝している事実を隠すことが著しく一般的になった6

2歳の時にヒロシマの核攻撃による放射能で被曝し、12歳で亡くなった禎子の物語を親しく知る人は多い。佐々木禎子は、1000羽の折り鶴を折ると願いが叶うという日本の伝統に従って、折り鶴を折った。禎子の物語はよく知られるようになり、世界中の子どもたちがこの話について学ぶと、折り鶴を折って、その多くがヒロシマに送られてくる。禎子は非常に多くの被爆者の純真さのシンボルになったが、彼女の父親は、家族が差別をこうむらないように、この事実を隠そうとし、禎子の苦しみがとても有名になったことで気が動転してしまった。

東京電力の原発における三重メルトダウンのあと、福島県から避難した家族の子どもたちは、新しい学校でいじめの被害者になった。福島ナンバーの車は、他県で駐車中に傷つけられた。これは、毒物に被曝した人びとから連想する汚染に対する自然な恐怖の結果であることが多い。マーシャル諸島において、1954年の米国によるブラヴォー実験による放射性フォールアウトに覆われて、居住不能になったロンゲラップ、その他の環礁から避難してきた人びとは、ふるさとに帰島する展望もなく、他の環礁で難民として生きなければならなかった。マーシャル諸島の居住可能な土地はわずかにしかなく、従来から他人に属する環礁に移住を強いられた身では、質の良い畑地や好漁場、手頃な船溜まりを使うことができなかった。彼らは新たな受け入れ先の善意頼みで生活し、よそ者視されることに耐えなければならなかった。

医学の被験者になる――放射線に被曝した人たちの多くは、医学研究の被験者になり、自分が受けている医学検査の情報も往々にして与えられず、検査実施者による治療も施されないことが多い。ヒロシマ・ナガサキの核攻撃による被爆者は、第二次世界大戦後の日本の米軍占領期に原爆傷害調査委員会(ABCC)の医学被験者になった。この調査は日米共同管理の放射線影響研究所のもとで今日まで続けられている。研究の初期のころ、日本人被爆者は医学検査の被験者になるか否かの選択権がなかった。米軍のジープが自宅の前に現れ、都合の良し悪しにかかわらず、検査を受けに行かなければならなかった。検査結果に関する情報が伝えられなかっただけでなく、米国政府は治療も提供しなかった7。同じ事態が放射能の影響を受けた地域社会の多くで起こった。

ブラヴォーの放射線に被曝した幼いロンゲラップ島民を検査する米国人医師

避難途上で放射線検査を受けるフクシマの子ども(写真: Christoph Bangert

ABCCで撮影された、放射線病を患う幼いヒロシマ被爆者


1966年のこと、米軍核戦略爆撃機が空中で爆発し、残骸がスペインはパロマレスの小さな村落に堕ちた。4発の水爆が爆撃機から落ち、1発は海に、3発は小村に堕ちた。1発も爆発しなかったが、2発は破裂して、集落の一部をプルトニウムと他の放射性核種で汚染した。今日にいたるまでの毎年、パロマレスの住民の一部は医学検査を受けにマドリッドに連れていかれ、彼らの健康への被曝の影響を追跡記録されている。彼らは、検査結果をなにひとつ教えられず、病気にかかっても、被曝と関連していると伝えられることもない。彼らは被験者であり、自分の体に現れる放射線の作用の収集と評価の参画者ではない。このような研究は疑う余地なく、放射線被曝による健康への影響に関する科学の知見のためにデータを提供する(そのデータそのものには、後述の理由により問題がある)だろうが、情報収集の対象である人たちにとって、研究対象になりながら、情報を伝えられないのなら、人としての統合感覚と健康維持の当事者意識が損なわれてしまう。米国、英国、フランスの核実験によって放射線に被曝した、太平洋の島々の住民たちの多くは、検査され、結果を見せられないまま、送り返され、医療管理も望めなかったという経験をしている。その多くは自分の体から自分の経費負担でデータを掠め取られる感覚を報告している。

不安――放射線に被曝した人たちは、なにも心配することはないと諭されることが多い。彼らの不安は馬鹿にされる。放射線は非常に抽象的で、理解が困難である。放射線は感知できない――味もなければ、匂いもなく、眼にも見えない――し、そのうえ、被曝したのか、どれほど被曝したのか、自分と自分の愛する人たちが健康に影響されて苦しむのか、不安を感じるばかりである。医学の権威者や政府当局に不安を否定されても、気懸かりが募るだけである。何年かたってから、同じ地域社会の人たちが、甲状腺癌や他の病気など、健康問題を抱えることになれば、自分自身の安心感が陰鬱な影を投げかけられ、その後の一生、覆われてしまう。

熱を出したり、胃痛や鼻血、ありふれた体の不調があったりすれば、この不安が頭をもたげ――これがそうだ、とうとうやられたと思ってしまう。このような恐れが、両親、子どもたち、その他の愛する人たちに拡がる。子どもが発熱すれば、自分の子どもが死んでしまうと恐怖に駆られる。禎子は、2歳のときにヒロシマで放射線に被曝してから9年間、健康だったが、ある日に突然、首が膨れはじめ、ほどなくして白血病と診断された。これは、放射線に被曝し、あるいは単に放射線被曝が疑われる子どもをもつ親たちが日常的に経験する悪夢の世界である。ちょっとした病気になるごとに、身を裂きかねない。

放射能恐怖症と被災者バッシング――だれかが、危険なレベルの放射能、とりわけ体内に入ったアルファ放射体粒子に被曝したか否か、わからない場合が多いので、なんらかの放射線事故の現場の近くにいた大勢の人びとが自分の健康と愛する人たちの健康を心配することになる。この集団のなかに、被曝した人もいれば、被曝していない人もいる。不確実性がトラウマの一部になる。最近ではフクシマの人びとに見受けるように、このような人びとのすべてが、必要以上に放射能を怖がっていると厄介者扱いされ、あなたの健康問題は、あなたがクヨクヨしている結果に過ぎないとしばしば諭される。それが本当である場合もあるかもしれないが、見当違いである。

核惨事を体験した人たちにとって、家や地域社会から引き離され、絆と支えあいを失った人たちにとって、インフルエンザに感染したり、胃が痛くなったりするごとに、破滅の前兆なのではと覚束ない思いをする人たちにとって、わが子が公園で遊んでいると、見つけるのが難しいアルファ放射体粒子で汚染されるか否か、確信がもてない人たちにとって、不安は当然の反応である。急性的な健康問題の原因になるか否かにかかわらず、自分が左右できない外側の力が彼らの人生を狂わせたのである。彼らは不透明な人生を生きなければならず、しばしば差別を経験する。無論のこと、彼らはこの状況が生みだす不安に苦しむことになる。彼らをこのことで非難するのは、被災者を責めているのであり、さらなる新たな形のトラウマづくりになる9


カザフスタン、セメイ[旧称セミパラチンスク]の「死よりも強い」記念碑(写真:筆者)


終わりに――放射線は人びとを不可視にする。放射線は人びとを二級市民に落とし、その彼らは、彼らの近くの核施設を管理する連中によって、人びとを放射線に被曝させる業務を遂行している軍や核産業によって、また多くの場合、彼らが避難民になったときの新しい隣人たちによって、尊厳をもって扱われることをもはや期待できなくなる。放射線に被曝した人たちは、強制退去させられたり、住むのが危険なほど汚染されたりして、しばしば家を失い、時には一生戻れない。彼らは、彼らの暮らし、彼らの食、彼らの地域社会、彼らの伝統を失う。彼らは、土地に結びつけ、福利を保証する知識基盤を失いかねない。

放射線は健康問題と死の原因になりうるし、そうでなくても、重荷となりうる不安と不透明性の原因になりうる。放射線に被曝した人たちは、被曝に付随するあらゆる問題のゆえに非難される。核惨事のあと、わたしたちは被害を死者数の形で数えるが、亡くなる人たちは、本当の意味で事故の犠牲になる人びとのほんの一部にすぎない。数えきれないほど多くの人びとが、彼らの地域社会、彼らの家族、彼らの福利の破壊に苦しむのだ。核災害がもたらす惨状の全体像は知りようもない。

放射線に被曝した人たち、あるいは放射線被災地に住みながら、被曝の有無が不確かな人たちの人生は、決して同じでありえないだろう。フクシマ三重メルトダウンの2か月後に公表されたインタビュー記事で、チェルノブイリの「リクビダートル」[事故処理作業員]、ナタリア・マンズロヴァが語るように――「その人たちの人生は二つに、フクシマの前と後に分かれるでしょう。自分の、そして子どもたちの健康を絶えず心配することになるでしょう。政府はおそらくそんなに大量の放射線はなかった、人体に害を及ぼしたはずはない、というでしょう。そしておそらく人々が失ったものすべてを補償などはしてくれないでしょう。彼らが失ったものは計算不可能です」10

(本稿は、SimplyInfoサイト掲載の初出記事の拡大版である。オリジナル版を閲覧するには、こをクリック

【筆者】

ロバート・ジェイコブズRobert Jacobsは、広島市立大学・広島平和研究所の准教授、アジア太平洋ジャーナルの協賛会員。“The Dragon's Tail: Americans Face the Atomic Age”(2010年)著者、“Filling the Hole in the Nuclear Future: Art and Popular Culture Respond to the Bomb”(2010年)[『核の未来の穴を埋める~爆弾に対応するアートと大衆文化』]編者、“Images of Rupture in Civilization Between East and West: The Iconography of Auschwitz and Hiroshima in Eastern European Arts and Media”(2012年)[『東西間文明断絶のイメージ~東欧の芸術とメディアにおけるアウシュヴィッツとヒロシマの図像学』]共同編集者。“The Dragon’s Tail”の日本語訳書は、『ドラゴン・テール――核の安全神話とアメリカの大衆文化』(凱風社)。彼は、Global Hibakusha Project[グローバル被ばく者プロジェクト]の主宰研究者。

【関連APJ記事】

【推奨されるクレジット表記】

Robert Jacobs, "The Radiation That Makes People Invisible: A Global Hibakusha Perspective", The Asia-Pacific Journal, Vol. 12, Issue 31, No. 1, August 4, 2014#原子力発電_原爆の子/ロバート・ジェイコブズ「放射線は人を不可視化する~グローバル被ばく者の視座から」(井上利男・訳)

【脚注】

1 “Fukushima stress deaths top 311 toll,” Japan Times (February 20, 2014) (accessed July 31, 2014).

2 Dan Frosh, “Amid toxic waste, a Navajo village could lose its land,” New York Times (February 19, 2014) (accessed July 31, 2014).

3 “Fukushima 3 Years On,” SimplyInfo (March 11, 2014) (accessed July 31, 2014).

4 Gusev, et al., “The Semipalatinsk nuclear test site: A first analysis of solid cancer incidence (selected sites) due to test site radiation,” Radiation and Environmental Biophysics (1998) 37: 209-214.

5 Toru Hani and Elaine Lies, “The children of Japan’s Fukushima battle an invisible enemy,” Reuters (March 10, 2014) (accessed July 31, 2014).

6 Robert Jacobs, “Social fallout: Marginalization after the Fukushima nuclear meltdown,” The Asia-Pacific Journal, Issue 28, Number 4 (July 11, 2011) (accessed July 31, 2014).

7 ABCC配属の医師の多くは「テーブルの下で[内密に]」医療を施していたが、無施療が組織の方針だった。

8 これらの研究の多くについて、データの妥当性に活動家や学者が異議を唱えているが、それには理由がある。たとえば、多くの人たちが広島と長崎の放射線影響研究所による生涯調査を考察して、この調査は即発放射線の作用で亡くなった人びとの大多数が死亡したあとで開始されたので、その人たちは統計に含まれていないとか、調査データにアルファ放射体粒子による健康への影響が考慮されていないとか、研究が事実というより希望的観測とみなしうる線量再現操作に頼っているといった事実を言い立てている。

9 Robert Jacobs, “Fukushima Victimization 2.0,” Dianuke (March 11, 2012) (accessed July 31, 2014).

10 Dana Kennedy, “Chernobyl cleanup survivor’s message for Japan: “Run away as quickly as possible,” Desdemona Despair (March 23, 2011) (accessed July 31, 2014, originally published by AOL News) [日刊ベリタ:チェルノブイリ汚染除去処理従事者から日本へのメッセージ「できるだけ早く逃げなさい」]。

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マーシャル諸島に残る核植民地主義の遺産 @JapanFocus @bojacobs

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アジア太平洋ジャーナル/ジャパン・フォーカス

アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析


アジア太平洋ジャーナル Vol 10 Issue 47, No. 1, 20121119

マーシャル諸島に残る核植民地主義の遺産が
国連報告で明らかに

ロバート・ジェイコブズ、ミック・ブロデリック Robert Jacobs & Mick Broderick
凡例:(原注)、[訳注]、原文イタリック

20129月、有害物質および廃棄物の環境的に健全な廃棄処分と人権の関連に関する国連特別報告者、カリン・ジョージェシュク博士は、マーシャル諸島における米国の核兵器実験プログラムの遺産に関する報告を国連人権委員会に提出した1。この遅れに遅れた報告は、太平洋におけるアメリカの核実験の歴史、その後のマーシャル諸島民の健康と福利の両面にわたる過小評価、1946年から1958年にかけて実施された67回の(大気中および海中)核兵器実験がもたらした放射能汚染に関して、手厳しい評価を下している。


マーシャル諸島の核の歴史地図(出処
この報告は、60年間の怠慢が後に残した島嶼社会と環境の両面におよぶ惨状に対処するための重要な手がかりを提示している。日本政府の助成金を受けたグローバル被ばく者プロジェクトの一環として、わたしたち自身が実施継続中である、世界の核兵器実験による社会的・文化的影響に関する調査は、国連報告者の知見をグローバルな情況に敷衍しているが、おおむねその報告を裏づけている。

ビキニ難民に提供された住宅(1948年)
これらの事象の細目はマーシャル諸島民に独自なものだが、残念なことに、この経験は冷戦中を通して国際規模の領域内で繰り返されてきたものである。米国が実施した実験は、全体の一部にすぎない。これらの核実験プログラムもまた、進行中の汚染、否定、怠慢、適正な環境修復と補償の不履行という遺産に結実した。被災した住民には、とりわけカザフスタン(ソ連の核実験)の先住民、ネヴァダ実験場(米国の核実験)、オーストラリアと旧ギルバート諸島(英国の核実験)、アルジェリアと仏領ポリネシア(フランスの核実験)の風下住民、ロプノール(中国の核実験)の少数民族がいる。他の新たな核保有諸国(インド、パキスタン、北朝鮮)においても、数えきれない地域社会が核兵器の工業生産とその燃料サイクルによる悪影響をこうむったのとまったく同じように、遠隔地における地下実験による悪影響が住民におよんだと見るのが公平である。

国連報告は、関与当事者であるマーシャル諸島共和国政府、アメリカ合州国政府、国際連合、全体としての国際社会に対する勧告事項を列挙している。わたしたちは、この誠実な情況評価と怠慢に対処するのに必要な要請を歓迎する。

報告は、米国政府が核被害補償請求裁判所によるマーシャル国民に対する個人補償に全額を拠出し、汚染の範囲に関するすべての秘密報告、米国政府によって収集された健康データ、実験の全履歴を開示し、合衆国大統領による謝罪を実施すべきであると仮借なく述べている2 。これらの国連に対する特別報告者の勧告は、世代を超えたマーシャル諸島民に関連する米国の政策の有責性と影響を公式に認定している。

体内放射性核種の検査を受けるマーシャル市民
報告の勧告項目の大半は賞賛に値するが、一部には問題がある。たとえば、勧告63a)は、IAEAが他の国の他の実験場で実施したものに似たような、独立機関による包括的な放射線学的調査を実施することとなっている。核植民地主義を実行し、維持する当事者である国々で主として構成され、IAEAと姉妹関係にある国連機関によって調査が実施されることと提案するのは、受け入れられないし、異論百家争鳴となるに決まっている。

ブラヴォー実験で放射線に被曝し、原子力委員会の医師による検査をされるロンゲラップの子ども(1954年)
なすべきことは、調査している対象の歴史的な当事者に不当な影響を受けていない適格で独立した権威者たちによる真に第三者的な放射線学的調査である。
さらに勧告63(f)は、合州国政府と締結した自由連合盟約に対する過剰依存を緩和するために経済多様化戦略を展開することと謳っており、これは賞賛に値するとしても、この過剰依存は、マーシャル諸島共和国のような地政学的な小国が超大国(たとえば、米国や中国)と二国間交渉して、経済および領土上の利得最大化の面で著しく不利な立場にあるからなのだ。これまでの例として、(日本、韓国、台湾と交渉した)言語道断なほどにも不利な漁業権付与、米国に対して現在も拡大しつつある、社会、文化、教育、経済面での依存関係と貿易・援助の不均衡などがある。マーシャル諸島やその他の小さな島嶼国が直面する状況のもとで、依存にかかわる基本的な問題を克服する方途を見つける手がかりを報告は示していない。

勧告63(i)は、社会基盤構造を整備するための国際援助を求めている。報告は、給水、衛生、廃棄物管理施設を強調しているものの、現行の輸入に頼る化石燃料に替えて、太陽光、風力、波力、潜在的には地熱といった豊富な地域のエネルギー源を活用する維持可能なエネルギー生産戦略を前面に出して推奨していない。気候変動に関連する海水面上昇と極端な気象事象によって、マーシャル諸島共和国が直面する目下の脅威を考えると、輸入化石燃料依存は二重に問題があると思える。

勧告64(f)は、該当する「アメリカ合州国政府国務担当者」に対して、過去と将来の申し立てを裁定する核被害補償請求裁判所に賠償資金全額を支給するなど、マーシャル諸島の人びとが実効的な救済を受ける権利を保証するように求めている。これは重要で強力な勧告であるが、現行の賠償メカニズムは国際資本とアメリカの株式市況の気まぐれな動きにあまりにも大きく頼りすぎている。この長期投資戦略では、経済的不透明の時代(たとえば世界金融危機後)にほとんど保護を提供しないが、基本的にアメリカの納税者が金を出す助成金がウォール・ストリートに流れ、マーシャル諸島民を利する息の長い取り組みは期待できない。

マジュロ環礁のビキニ環礁行政府庁舎に掲げられたアートワーク[「すべては神の御手に」「核兵器一発が一生を台無しに」]
最後に、また驚くべきことに、報告はクワジェリン環礁を専有する米国戦略軍事基地(ロナルド・レーガン弾道ミサイル防衛試験場)について、ほとんど述べていない。報告がこの施設を無視しているようなら、この軍事基地の運用によるマーシャル諸島民に対する戦力的・環境的影響はお構いなしということになる3。核兵器実験による数十年間の汚染、秘密、排斥、怠慢によるトラウマでいまだに苦しむ国に押し付けられる、現行のミサイル試験の心理学的影響を無視してはならない。さらにまた重要なことで、報告が考慮していないのが、マーシャル諸島共和国が他の域内諸国と締結した、太平洋内に非核兵器地帯を公式に設定するラロトンガ条約4である。
ビキニ環礁を核兵器実験場にするために強制退去させられる島民たち(1946年)
マーシャル諸島に核実験が出現してから70年近くたった今こそ、国際社会が米国の国連信託保護下にあるマーシャル諸島の人びとに降りかかった悲劇を認識する好機である。また、国際社会はこの理解に依拠して、他の植民地にもたらされた影響を認め、各地に対する同じような特別報告者査察を実施すべきである。

アメリカ核兵器ムラによる汚染実態洗浄の一例
[研究所の事業で「取り戻した島の楽園」]
(ローレンス・リバモア国立研究所出版物、1014pを参照のこと:
【筆者】
ミック・ブロデリックMick Broderickは、マードック大学[オーストラリアのパース]メディア・情報・文化学部の准教授、研究コーディネーターであり、大大学の国立映像音響アカデミー(NASS)副所長。ブロデリックの学術文献はフランス語、イタリア語、日本語に翻訳され、主だった出版物のなかに、核兵器映画参照記事(1988, 1991)があり、Hibakusha Cinema: Hiroshima, Nagasaki and the Nuclear Image in Japanese Film [『被爆者映画~日本映画に見るヒロシマ・ナガサキと核兵器のイメージ』]1996, 1999)を編集している。最近の共同編集書にInterrogating Trauma: Arts & Media Responses to Collective Suffering [『トラウマを問う~集団的苦難に対するアートとメディアの反応』](2011)、Trauma, Media, Art: New Perspectives[『トラウマ、メディア、アート~新しい視点』]2010)など。

ロバート・ジェイコブズRobert Jacobsは、広島市立大学・広島平和研究所の准教授、アジア太平洋ジャーナルの協賛会員。“The Dragon's Tail: Americans Face the Atomic Age”(2010年)著者、“Filling the Hole in the Nuclear Future: Art and Popular Culture Respond to the Bomb”(2010年)[『核の未来の穴を埋める~爆弾に対応するアートと大衆文化』]編者、“Images of Rupture in Civilization Between East and West: The Iconography of Auschwitz and Hiroshima in Eastern European Arts and Media”(2012年)[『東西間文明断絶のイメージ~東欧の芸術とメディアにおけるアウシュヴィッツとヒロシマの図像学』]共同編集者。“The Dragon’s Tail”の日本語訳書は、『ドラゴン・テール――核の安全神話とアメリカの大衆文化』(凱風社)。彼は、Global Hibakusha Project[グローバル被ばく者プロジェクト]の主宰研究者。

【追補】

ビキニ環礁の世界遺産指定の可否を考慮する別の国連報告において、検討委員会は、ビキニ環礁、その他の世界中の核実験場が「核兵器の特有の一種の核植民地主義」5に服属させられていると報告した。過去に核実験現場住民に対する比較疫学調査がいくつかあったが、この「植民地的」核の発想は、これらの地域社会に世代を超えてもたらさられる、社会的・文化的・経済的影響を理解する上で不可欠である。これが、わたしたちの進めているグローバル被ばく者プロジェクト研究の基本的な着眼点である。

国連人権理事会報告の原本は、このリンクをクリック。

Recommended citation推奨されるクレジット表記】

Calin Georgescu with an introduction by Mick Broderick and Robert Jacobs, "United Nations Report Reveals the Ongoing Legacy of Nuclear Colonialism in the Marshall Islands," The Asia-Pacific Journal, Vol 10 Issue 47, No. 1, November 19, 2012. 原子力発電_原爆の子ブログ「

【関連APJ記事】

【脚注】

2 The Nuclear Claims Tribunal website.

4 “Treaty of Rarotonga."[長崎大学核兵器廃絶研究センター:ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)

【ブログ内の関連記事】




マイクル・ジェラード「放射能で汚染され、忘れられた太平洋の島~エニウエトク環礁ルニット島のドーム」

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The International New York Times
The Opinion Pages[オピニオン] 特集寄稿記事

放射能で汚染され、忘れられた太平洋の島

マイクル・B・ジェラード MICHAEL B. GERRARD 2014123

マーシャル諸島エニウエトク環礁の放射能汚染土壌を覆うコンクリート製ドーム。Credit: James P. Blair/National Geographic, via Getty Images
凡例:(原注)、[訳注]

米国が1946年から1958年のあいだに67回の核兵器実験を実施したマーシャル諸島エニウエトク環礁に飛ぶ定期便はない。わたしが、海水面上昇がマーシャル諸島におよぼす危険を調査するため、2010年に初めて首都のマジュロを訪問したさい、学校を贈呈するためにエニウエトクに飛ぶ高官たちの特別便になんとか搭乗した。そこから小さなボートに乗り、世界がすっかり忘れてしまった核廃棄物処分場を訪問した。

マーシャル諸島は海水面からほんの6フィート[約1.8メートル]の高さしかない。マーシャル諸島、その他の島嶼諸国の存続が、今週、国連気候変動会議出席のためにペルーのリマに集まった代表たちの念頭にあった。

この場所の不運は群を抜いている。まず第二次世界大戦後に実施された核実験による放射能で荒らされ、いま、上昇する海水面に飲み込まれる危機に見舞われている。

ボートがルニットという名の小島に着くと、わたしたちは跳びおり、細いビーチを横切って、なにかの低木の藪を突っ切って歩いた。前方に直径350フィート[100メートル]ほどのコンクリート製ドームが現れた。標識、フェンス、警備員は見かけない。わたしのガイドはドームのゆるい斜面を登り、天辺に立った。わたしは衝動的に彼を追って登った。ガイガーカウンタを持ってくればよかったと思った。

米国は、ハワイとオーストラリアの中ほどに連なる島々、とりわけビキニとエニウエトクの環礁を核実験に使った。どちらもサンゴ礁が途切れ途切れにラグーン[礁湖]を取り巻く環であり、太古の火山の名残である。米国は1970年代にこの国の独立を承諾することを考慮し、やがてそれが実現したが、核実験が残した混乱をどうすべきか考えていた。

ビキニは放射線レベルが高く、移動させられた住民の帰還を許可することは望み薄だった。だが、米軍は、エニウエトクの少なくとも一部の土地を居住可能にするための除染方法を研究した。国防総省は、セシウム137とストロンチウム90で汚染された土壌があまりにも大量に存在するので、もっとも安全な対処法は、放置して、自然減衰に任せることであると結論づけた。どちらの核種も、半減期が約30年である。

だが、炸裂のもうひとつの置き土産がプルトニウム239であり、こちらの半減期は24,000年だ。適正な状態のプルトニウムが必要量あれば、爆弾ができる。これこそは、米国が15000万ドル[約180億円]を費やして2012年に完了した事業に参加した理由であり、これで、カザフスタンの旧ソ連時代の核実験場のプルトニウムを保全し、浄化したのである。

米国はエニウエトクで、プルトニウムを含有する土壌を可能なかぎり集め、広島の上空で炸裂した原爆とほぼ同規模の1958年の核爆発で形成されたルニック島の深さ33フィート[10メートル]のクレーターにそれを投棄すると決定した。

作業班は汚染土壌に加えて、1発の爆弾が不発に終わったときの落し物であるプルトニウムの断片を地表から拾い上げ、437枚のプラスチック袋に詰めた。この袋もクレーター行きになり、その後、18インチ[約45センチ]厚のコンクリートで蓋をした。残った放射性廃棄物のほとんどは、プルトニウムの量が手間をかけるには少なすぎて、環境保護局やエニウエトクの避難民の反対を押し切って、ラグーンのなかへブルドーザで押し出して投棄した。アメリカの当局者らはまた、米国内の同じような浄化作業で許されるレベルより遥かに高い線量レベルの放射能を土地に残す方を選んだ。

浄化は1980年に完了し、1946年に爆弾に場所を譲るために追い出されたエニウエトク島民の一部が帰還を許された。だが、環礁の約半分がいまだに居住不可能であり、その残りの大半は作物を育てる地力を失っている。スパム缶[Canned Spam=ランチョンミートのブランド名]が主食になった。

長期耐用は、ルニット・ドームの設計基準になかった(連邦政府は最近まで、ネヴァダ州のユッカ・マウンテンで少なくとも100万年の安全を考えた使用済み核燃料の深地下埋設処分施設を計画していたが、これとは大違い)。ドームはじっさい、家庭ごみ処分場の米国基準に適合しない。

連邦政府機関、米国学術研究会議の作業部会は1982年、ドームが激しい台風で破損する恐れがあると警告した。だが、エネルギー省が資金を出した2013年の報告は、心配する理由がないとみなした。「コンクリート製ドームが破局的に破壊され、内容物のすべてが瞬時にラグーンに放出されても、地元住民集団が受ける放射線量に有意な変化が生じることには必ずしもならない」とその報告はいう。

その理由とは、報告書によれば、ドーム内の放射能がラグーン堆積物内のそれに比べれば「矮小化」される。したがって、ドームから漏れ出しても、外側のほうが内側より汚いので、脅威が加わることはない。南シナ海で最近見つかったプルトニウム同位体は、2,800マイル[4,500キロ]かなたのマーシャル諸島が出処であると突きとめられた。

昨年の点検によって、ドームが劣化していると判明し、放射性の地下水は潮の満ち干きによって上がり下がりしている。嵐で砂がドームのうえに流される。裂け目に蔓草が育つ。

現状のままであれば、ルニット・ドームは海水面上昇で水没するか、嵐でバラバラに壊れそうであり、放射性の毒物を海に放出し、われらの先進文明がこの小さな島嶼国に置き去りにした遺産をなおひどいものにするだろう。

【筆者】

マイクル・ジェラードMichael B. Gerrardは、コロンビア大学法学院、セービン気候変動法規センターの所長であり、グレゴリー・E・ワニアーとの共著に“Threatened Island Nations: Legal Implications of Rising Seas and a Changing Climate”[『脅威にさらされた島嶼諸国~海水面上昇と気候変動の法的意味付け』]。

***

この特集記事の紙面版は2014124日付けニューヨーク版p.A31に“A Pacific Isle, Radioactive and Forgotten”の見出しで掲載。

【関連記事】



ナスリーン・アジミ「フクシマ後のいま、日本の自然がはらむ危機と希望」 @JapanFocus

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アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス

アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析

アジア太平洋ジャーナル Vol. 12, Issue 43, No. 1, 2014年10月27日

フクシマ後のいま、日本の自然がはらむ危機と希望

ナスリーン・アジミ Nassrine Azimi
凡例:(原注)、[訳注]
学究肌の英国外交官、サー・ジョージ・サンソムが著した『日本史』第1巻の冒頭に、日本列島の地質が詳細に描かれている。

サー・ジョージは、1958年に愛してやまない「火山活動が力強い」国について書き、標高2マイルにまで聳え立ち、海水面下5マイルに潜り込んだ峰々の自然界のドラマを描き、賢明にも「水平方向に短い範囲内にこれほど膨大な幅で隆起しており、地球地殻のこの部分を高度に不安定な地域にするストレスが蓄積される…」と警告した。

日本地すべり学会は、この列島を簡潔に「傷だらけの島々」と呼んでいる。

今年の8月、わたしたちは傷の深さを目の当たりに目撃した。大量の雨水と地すべりのため、広島市の郊外のあちこちで山頂が丸ごと崩れ落ち、記録的な多数の死者を出した。この悲劇は国のどこで起こってもおかしくなかった。

そして927日、信仰の山、御嶽山で予期せぬ噴火が突発し、名高い秋の紅葉を愛でるために来ていた何百人もの登山客を捕らえた。噴火のため、数千人もの消防士、警察官、自衛隊員たちが大規模で危険な救助活動に駆り立てられた。いまだに60人の人びとが死亡したと報じられている。

政府はこの噴火を受けて、即座に火山監視活動事業の一新を求めた。だが、御嶽山は国内に110ある活火山のひとつに数えられ、すでに気象庁の綿密な調査の対象になっており、火山性微動の活発化が――911日だけで85回――記録されていたが、脅威になるとは考えられていなかった。

テクノロジー過剰の日本で、監視活動が問題であるとはとても思えない。

むしろ、火山噴火――そして、他の自然災害――が、環太平洋火山帯の縁に乗っかり、4つのテクトニク・プレートにまたがる国土の常態であるとみなすべきである。それに、一部の科学者たちは2011311日のマグニチュード9地震がリスクを高めたことがじゅうぶん考えられると懸念しており、フランスの地球物理学者の研究チームは今年の7月、やはり活火山である富士山に圧力が蓄積していると示唆する論文を公表している。

富士山麓の3県は、御嶽山噴火による火山灰が救出活動を完全に妨げた様相に危機感を募らせ、先週、噴火防災訓練を実施した。同じような動きとして今月はじめ、東京大学の名誉教授であり政府の火山噴火予知連絡会の会長を務め、重んじられている火山学者、藤井敏嗣は、休止中の原発を再稼働させる政府のスケジュールで、最初の送電開始が予定されている川内原発の原子炉が火山噴火の影響を受けないとする想定に異論を唱えた。藤井は――原発から、わずか40キロの――桜島の火山噴火による濃密な火山灰が原発に到達しかねず、基本的な避難手順の実施が不可能になると示唆した。

自然災害を断じて避けられないなら、国土がカリフォルニア州よりも小さく、人口が3倍を超える国にとって、原発の存在は、控えめに言ってもロシアン・ルーレットで遊ぶのとたいして変わりない。

2週間前まで与党・自民党の期待の星だった小渕優子・前経済産業大臣は先の国会論戦で、政府が原発の再稼働を推進するにあたり、最も厳格な安全措置を保証する決意を固めていると主張し、その安全基準はフランスなどの先進諸国のそれと同等のものであると述べた。

フランスとの比較は、頻りになされるが、とても妥当とはいえない。フランスは大規模な地震や津波、火山噴火にいつも脅かされておらず、(まさしく今月、ふたつの台風が襲来した日本と違って)巨大台風の通り道ではない。去年だけでも日本に小さな地震が数百回起こり、フランスでは5回だった。日本はまたフランスより小さく、人口はほとんど2倍である。原発のこととなれば、リスク要因が根本的に違っている。

わたしたち、広島のグループは9月下旬、再建がどれほど進んでいるか、自分たちの目で見るために福島を再訪した。2011年の地震と津波の被害をまとめに受けた3県のうち、宮城県と岩手県のほうが津波による人的損失が大きかった(宮城県が5倍)ものの、喪に服し、悼み、津波による瓦礫の巨大な堆積を片付け、いま再建プランを推し進めているが、惨事収束がいまだに覚束ない福島第1原子力発電所を抱えた福島県は、深い不透明性に覆われたままである。

福島でない。県土の広大な部分が片付いていない。原発から20キロ圏内の立入禁止区域のなかでは、ほとんどの町が無人である。打ちのめされた原発に最も近い場所の不気味に静まりかえった街路をドライブしているとき、核事故について大いに書いてきた腕利きの調査報道記者、田城明が事故前の人口の概略的な推計――および現状――をわたしたちに解説してくれた。彼によれば、浪江町が事故前の人口22,000人、現状は一部規制、大熊町が11,515人、無人のまま、富岡町が15,800人、無人のまま、楢葉町が8200人、一部規制である。 

背景に福島第1原発の排気筒を遠望する浪江の町。写真:田城明。
過去の数十年間にわたり東京電力からこれらの自治体に流れこんだお手軽な金は、良質の建物や上品な都市環境という形では、たいしたものをあまり残さなかったようである。それでも打ち捨てられた都市の光景は傷ましい。カーテンがかかったまま、台所用品が窓を通して垣間見え、子どもの三輪車が空き家の外に置かれたままだった。

浪江町請戸地区。写真:田城明
わたしたちは南相馬市で、窮地にある原発から14キロのところにあり、吉沢正巳のいう名の不敵な牛飼い農民が当局者らに逆らい、動物たちと共に残るほうを選んだ、保全農地を訪問した。日本語で希望の牧場と呼ばれる、この場所は、土地を放棄しなければならないが、自分の汚染された家畜をどうしたらよいのかわからない他の農民たちにも土地を提供している。保全農地は一種の非公式な試験場になり、放射能の動物たちに対する影響を見守っている。

だが、飯舘村のような、さらに離れた場所でさえ、中途半端なままである。飯舘村は原発から約45キロ離れ、当初、安全な避難場所に指定されたが、やはり放射能のホットスポットであると判明した。その住民6000人はいま村を離れてしまったか、日中の時間帯だけ帰宅を許されているかのどちらかである。見事な出来栄えの老人ホームはいま、移住するには年を取り過ぎた――平均年齢87歳――という理由だけで残留した少数の入居者の必要に応じている。どの部屋も空っぽである――飯舘に住んで働く意志のある、あるいはそうできるスタッフを見つけるのは不可能である。

核惨事の前は農業と畜産の地域社会だったが、わたしたちが飯舘で働いているのを見たのは、汚染された表土を除去する作業――政府の錯綜した問題の多い除染政策の一環――従事する下請け作業員3000人の一部だけだった。表土は草木などと一緒に何千もの黒いプラスチック収納袋に詰められ、それが見渡すかぎり散在している。当然ながら、どの地域も嫌われものの代物を受け入れるつもりはなく、霞ヶ関の政府が圧力をかけたり、金で丸め込んだりするだけである。浄化は今年3月に終了するはずだったが、つい先程、さらに2年間の繰り延べになった。

写真:田城明
わたしたちが景観を眺めたかぎり、核事故で被災した飯舘や他の市町村が――丹念な屋根磨きと表土除去によって――通常の経済活動に速やかに復帰するとはとても思えなかった。飯舘は福島の他の場所と同じく、山々と森林に覆われ、自然界の元素にさらされているのである。表土除去は一時的に放射線レベルを下げることができるが、テッサ·モリス=スズキは‘Touching the Grass: Science, Uncertainty and Everyday life from Chernobyl to Fukushima’1[『草に触れて~科学、不確実性、チェルノブイリからフクシマにいたる日常生活』]と標題された思慮深く、細心の調査が行き届いた記事で指摘するように、「山林の腐葉に蓄積した放射能が水で流され、常に農地に入りこんで、放射線レベルを再び上昇させる」。

歳月(および巨額の金)をかけて、表土を移動させたとしても、若い家族がそこで子どもを育てたいと思うだろうか?

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会[国会事故調]の委員長、黒川清博士はあっぱれ簡潔に、政府の浄化事業をこのように皮肉る――「水は敷地内に溜まる一方、瓦礫は外に山積みのままです。これは、問題を未来に先送りする、まさにでっかい詐欺行為です」2

それにしても、複雑な事態から当局者らにとって、実務的なもの――つまり、賠償や移住の問題――から優れて倫理的なものまで、基本的な問題が生じると認めるにしても、ただひとつの原発事故がこれほどの障害をもたらすことがわかったのに、激しい大衆的な反対に逆らって、安倍内閣が望んでいるように、停止中の原発の発電を再開することを、どのように正当化するのだろう? また、技術大国である日本が、核事故の余波で国内の町を葬り去ろうとしているのに、計画中の対外輸出をどのように正当化するのだろう?

さて、福島の住民は不透明な状態から抜け出せない。年配の人たちは放射線の長期的影響を受ける恐れが少なく、帰還を受け入れようとしている。幼い子どもたちのいる若い人たちは別である。男たちの多くは仕事のために戻るだろうが、女たちは家族の健康を思う気持ちが強く、戻りたくない。すべての家族にかかる圧力は、とてつもなく重い。新造語、原発離婚がプライベートな悲劇を映す。

モリス=スズキは、環境、また特に核、汚染の顕著な特徴となった陰鬱な不透明性の類を抱えて生きる、ごく普通の人びとの、このインターネット時代に強化された困難を浮き彫りにする。わたしたちは、夜の帳が下りると、特定の刻限を過ぎた人びとの入域を禁止する門限の前に飯舘を離れなければならなかった。山を車で下り、暗い、放棄された家を、1軒、また1軒と通り過ぎていくと、わたしは、福島の県民たちが、訪問し、大きな口を利く代表たち――科学者らや政府当局者たち、歌手、俳優、売り出し中の政治家、理想主義の学生、善意の外国人――の流れにどれほどうんざりしているか、よりよく理解するようになった…日の終りに、わたしたちはみな去っていく。

だから、ある種の無関心が福島に取り憑き、すべての人を悩ませ、たいがいの場所とは対照的に若い人たちを苦しめる。わたしたちがいわき市の近くに訪問した漁協の友好的で積極果敢な幹部職員は、毎週、水揚げされる魚の放射線レベルを検査するために最新型の装置類が送られてきて、安心しているようだった。若手職員は、ややこしい機械を担当しており、時おり、まったく手に余ってしまうと率直に認めた。福島県内3大都市のひとつ、郡山市で、わたしがインタビューした上級建築士は、まもなく大型の建築計画が再開されるだろうと希望を語った。彼の年下の同僚は、幼い子どもたちの父親だが、無表情なままであり、懐疑的だったように思えた。

ヒロシマとナガサキを指して、核の惨事から復興する可能性、「希望」の物語という人たちがいる。これは、被爆者たちとヒロシマ・ナガサキ市民の少なくとも2世代が向き合ってきた代価と差別を忘れろということだ。これはまた、1945年と2011年の違いを忘れた物言いである。当時、どの家にも手持ち式のガイガーカウンタはなかったし、土壌、魚、水の測定結果、あるいはホットスポットの情報を伝えるインターネットもなかった。福島は事故の前まで、日本屈指の食料主産地だった。そのブランドを取り戻すのが、いつなのか、あるいは、たとえ回復するとしても、簡単に評判を得たり失ったりするグローバル化した世界では、疑問が残る。

それでも今となっては、安倍首相が物理的に近くても心理的に遠いフクシマのために政治力を失うことはほとんどない。だが、東京の立教大学の教授で日本のエネルギー政策に関する気鋭の観察者、アンドリュー・デウィットがアジア太平洋ジャーナルで書いたように(http://japanfocus.org/-Andrew-DeWit/4174)、再生可能エネルギーに対する明確な関与(そして段階的な原発の閉鎖)について、政府が明言を渋るようでは、重要な機会が失われる。

原発推進派の政治家がとても好んで口にする、日本が「資源の乏しい」国なんて、とんでもないとデウィットは書く。日本は再生可能エネルギーで言えば――災害要因の明るい側面――豊かな地熱エネルギー源に恵まれ、競合国のあいだでトップの位置を占めている。日本は、力強い風と台風、波力、火山、広大な森林(陸地面積の68パーセント)、河川の急流、焼けるような夏、四季を通した太陽に「恵まれている」。

ドイツは、原発の可否をめぐる数十年来の国民的討論のあと、フクシマ核惨事のメッセージを肝に銘じて、だれもが日本に期待したこと、原発依存に終止符を打ったが、否定論者らは、そのドイツが直面する課題をあげつらう。確かに、いまドイツは炭素排出にてこずっているが、ドイツのグリーン[環境調和型]エネルギーへの移行の――雇用創出を含む――利点が、すでにマイナス面を上回りはじめており、時とともに排出量も減少していくだろう3。むしろ問うなら、これまでの数年に限っても、日本の政治指導者らはドイツの相手方に比べて半分しか「グリーン」でなかったが、それでどんな利点が得られたのだろう? フクシマ核事故後のいま、グリーン・エネルギー戦略の全面展開の障害になっているものを理解するには、日本政治の主流に緑の党に近いものはなにもないと指摘するだけで十分だ。

それでも、地方に行けば、あちこちに明るい場所が見つかる。伊東豊雄――プリッカー受賞建築家、20113月災害後の東北地方における賢明で説得力ある再建プランの提唱者――は、被災地で実験的な再建事業を主導してきた。伊藤は、建築家として、いやそれ以上に人間として、これから何をすべきか問うべきであり、「四角なものに戻って、建築の基本的な意味を問いなおす」必要があると書いた4。同じ考え方の切り替えが、わたしたち全員に、とりわけ「専門家たち」にあてはまるはずである。

世論調査が実施されるごとに、日本人の着実な大多数が、原発に復帰するよりも、再生可能エネルギーおよび「第5の燃料」、保全[節エネ]を支持する意志を政治家たちよりはるかにはっきり表明している。日本の技術力を考えると、正しいリーダーシップ、政策、テクノロジーを選択すれば、転換は最終的に可能である。核事故後の浄化作業は、いかに調整が行き届くとしても――膨大な時間、資金、エネルギーの濫費であり――あまりにも困難であることに変わらず、うまくいくかどうか、だれにもわからない。

歴史に残らない昔から、日本の最大の危難と恩恵は自然に由来してきた。これは21世紀初期のいまでも変わらない――あるいはむしろ、もっと切実になってさえいる。太古の儀礼や儀式は、不可解なようであり、または現代に生きるわたしたちの課題と無関係に思えるが、この不易の現実を告げるものに他ならない。昨年、日本きっての聖域、伊勢神宮は、起源690年以降、20年毎におこなわれる遷宮――建て替え――の儀式を執り行った。この儀礼には、非常に実際的な価値がある。たとえば、骨組みの複雑な構築術と木工技術を維持するために、精巧な建築技術を真剣かつ定期的に世代から世代へ伝える必要がある。重厚な木材を確保するために、指定された森林と水域を維持管理しなければならず、特別な供物を用意するために、近場の水田の注意深い耕作、果樹園の育成、漁場と猟区の管理、土地の生態系にかかわる知識を着実に分かち合うことが必要である。このようなものごとは世紀から世紀へと、単に精神的な豊かさだけでなく、莫大な見返りを三重県にもたらしている。

位置。位置。位置。サー・ジョージ・サンソムが自著の日本史を地理から説き起こしたのは正しかった。あるいは、わたしの亡くなった父が常にわたしたちに思い起こさせてくれるように、「決して、決して君の地理を忘れてはならない」。

***

本稿より短い先行版がHiroshima Peace Media Center[中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター]紙上に掲載された。

【筆者】

ナスリーン・アジミNassrine Azimiは、国連訓練調査研究所(UNITAR)上級顧問。

1959年生まれ、イラン出身のスイス国民。UNITARニューヨーク事務所長を務めたあと、2003年に開設された広島事務所の初代所長に就任。2011年に発足し、ヒロシマ原爆投下を生き抜いた樹木の種や苗を世界中に送るプロジェクトであるグリーン・レガシー・ヒロシマ(http://www.unitar.org/greenlegacyhiroshima)の共同創立者であり、現在も共同世話人。

【脚注】

1 Science Technology and Society Vol 19 No 3 (2014), 331-62 http://sts.sagepub.com/content/19/3/331

3 http://energytransition.de retrieved 27 October 2014

4 “Architecture. Possible here? ‘Home-for-All’”, Toto Publishing, Tokyo, 2013

 【関連APJ記事】

【ブログ内関連記事】

【アンドリュー・デウィット記事】

【ヒロシマ平和メディアセンター記事】




NHK World「南相馬市のホットスポット避難勧奨を解除」#Fukushima Govt. ends Minamisoma "hot spot" evacuations

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Home > NHK WORLD News > Japan



南相馬市の「ホットスポット」避難勧奨を解除






20141228


日本政府は、福島県南相馬市の放射線レベルが高い、いわゆる「ホットスポット」の避難勧奨をすべて解除しました。

Japan's government has lifted all evacuation advisories for so-called hot spots with high radiation levels in Minamisoma City, Fukushima Prefecture.


政府は家ごとに避難勧奨を指定していましたが、除染作業の結果、基準値の年間20ミリシーベルトを下回ったとして、28日に解除しました。

The government lifted the house-by-house evacuation advisories on Sunday because radiation dosage levels in the area have fallen below the benchmark 20 millisieverts per year, thanks to decontamination work.


これは、2年前に同じように解除された別の市と村につづくものです。これで県内のホットスポット避難勧奨区域はすべて解除されました。

This follows similar moves in another city and a village 2 years ago in Fukushima Prefecture. All the hot-spot evacuation advisories in the prefecture have now been lifted.


解除によって、南相馬市の住民152世帯が自宅に戻ることができます。

With the lifting, residents of 152 households in Minamisoma city can return to their homes.


ただ、市の職員によりますと、放射線量への不安が根強いため、住民のおよそ8割が戻らないそうです。

But city officials say about 80 percent of the residents will not return due to lingering radiation concerns.


79歳の佐藤勝治さんは自宅の隣の畑で除染が行われていないとして、当面は仮設住宅ぐらしを続けるそうです。

79-year-old Katsuji Sato said he will continue to live in temporary shelter for the time being, since the fields next to his house have not yet been decontaminated.


佐藤さんは、指定を解除されたが、生活は変わらないといいます。自宅の周りは今も放射線量が高く、孫を連れてくることもできないそうです。

He said the lifting will not change his life. He said he cannot have his first-grade grandchild visit due to the high levels of radiation surrounding his house.


佐藤さんは、周辺も含めて除染し、安心して住めるようにしてもらいたいと話していました。

He said he wants the government to decontaminate the neighboring hot spots in order to create a safe residential environment.


住民たちには、国の指針に基づいて、来年3月まで1人当たり月10万円の精神的賠償が東京電力から支払われることになっています。

The residents will continue to receive monthly compensation money of 100,000 yen, or about 830 dollars, from Tokyo Electric Power Company until March of next year, for the stress and suffering they have had to endure.


ライセンス:標準のYouTube ライセンス


【参照ニュースクリップ】








営利目的での映像のエンベッドを禁じます。

カテゴリ:ニュースと政治

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わたしたちは種――2015年 ヴァンダナ・シヴァ博士の新年メッセージ

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SEED FREEDOM

わたしたちは種――2015年 ヴァンダナ・シヴァ博士の新年メッセージ

POSTED IN IN FOCUSLATEST NEWS




2015年は種の年と宣言されましたので、
種のなかに、また土壌のなかに
わたしたちが向きあう危機のすべての答えがあると認識しましょう」

“As 2015 has been declared the Year of Soil,
let us recognize that in the seed and the soil
we can find answers to every one of the crisis we are facing.”


ヴァンダナ・シヴァ Vandana Shiva



「わたしたち皆は種」 ヴァンダナ・シヴァ博士の新年メッセージ

0:12

友だちのみなさん、みなさんの一人ひとりが過ぎ去った1年を通してなさったことに、ありがとうと言わせてください。

0:23

ヨーロッパで、コロンビアで、園芸家や農民が独自品種の種を入手するのが違法になる法律を退けた年でした。インドネシアで種を取っておいた農民の逮捕の却下を祝った年でした。

0:47

GMO(遺伝子組み換え作物)産業が捨て鉢になり…わたしたちのことばを使って、広告を打ちはじめた年でした。わたしたちが言っている作物を育てる喜び、食べる喜びのことです。それこそ、未来そのものです。

1:08

わたしたちには、化学物質と遺伝子組換え作物を製造する企業が、広告を制作するにしても、その約束を実行できないとわかっています。

1:19

最も大事なことに、世界中いたるところ、「わたしたち全員が種だ」というフレーズが、地下に潜んでいるかもしれないが、正しい時に芽を出し、力いっぱい生い茂るのだと、反響しあいながら、鳴りわたった年でした。

1:46

新年を迎えるにあたり、みなさんにご挨拶します。種の年と宣言された年であり、わたしたち自身の地球性、わたしたち自身の大地性、わたしたち自身の根源性の年です。わたしたちが撒く希望と愛の種、わたしたちが撒く豊穣と創造性の種の年、増殖し、前進する道を、わたしたちお互いにだけでなく、相変わらず目が見えず、ためらいがちの世界に示す種の年です。

2:26

そして、土壌の年には、母なる大地とわたしたち自身の結びつきを祝いましょう。わたしたちは、結局、土地でできており、土でできています。母なる大地の日となった422日を、大地を守る行為として祝いましょう。

2:54

名高い作家、アリス・ウォーカーが言ったように、「わたしたちはいま母性主義を採用しなければなりません」し、わたしたちは母なる大地の母となって、愛で大地を守るのです。そして、SEED[種]は愛がはじまる場です。大地がわたしたちに種を与え、わたしたちが大地にそれを返します。大地が肥沃な土壌を生み出し、わたしたちが大地に返します。

3:26

種と土壌のなかに、わたしたちが向きあう危機のすべて、暴力と戦争の危機、飢えと病の危機、民主主義の破壊の危機の答えがあります。

3:40

わたしたちは、企業が人びとに企業みずからを「人間」と信じこませるのを許しません。企業は法的構築物であり、それが企業の地位です。人びとが民主的な手続きによって、どのビジネス活動が維持可能なのか、どのビジネス活動が公正なのか、どのビジネス活動が、この惑星の命、すべての生類の命、全人類の命を、敬意をもって尊重するのか、判断して許すのです。

4:16

マウイが「われわれは遺伝子組換え作物なしでやっていく」といい、ヴァーモントが「われわれは自分が食べているものを知っていたい」といったので、企業がヴァーモントなどの州やマウイ郡を提訴しはじめましたが、企業は企業の人格性を言い立てているのです…これは最高峰に達する幻です。

4:38

わたしたちは、惑星のエコロジカルな生命過程の現実、わたしたち自身の命の現実、わたしたちが形作るデモクラシーの現実、現実が支配する現実を創造しようとしています。

4:55

このデモクラシーの挑戦は、2015年を通じて単一最大の挑戦になるでしょう。

5:03

連帯を保ち、強さを保ち、喜びを保ちましょう。

5:09

最も大事なことですが――土壌の年なので――有機農法のなかに、エコロジカルな農業のなかに、化石燃料が作り出した大混乱に対する答えがあります。わたしが『石油ではなく土壌』を書いたように、「土壌のなかに、石油が作りだした問題の答えがあります」。

5:32

気候変動と生物種多様性の減衰が合体した危機ですが、生物種多様性であふれ、福利と豊穣に満ちた命の祝祭であふれた農園をいたるところに創造すれば、どちらにも対処できます。

5:50

どこにでも農園を、本物の食べ物を提供する農場を。

5:56

わたしたちは、種をひと粒ずつ、畑に一寸ずつ、人から人へ、地域社会から地域社会へと撒いていく別の世界を創造し、この惑星全体が蘇る命と蘇る愛のひとつの輪になるまでつづけます。

6:21

わたしたちは諦めません。

6:25



サンクレメンテ住民シンポジウム【Q&Aビデオ】危険なレベルの放射線に被曝している日本の子どもたち

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危険なレベルの放射線に被曝している日本の子どもたち





2013/10/23 に公開
ミキ・ベイがドン・ムージア博士に、福島第1原発の複合メルトダウンのあと、日本政府が放射線被曝許容限度を劇的に引き上げたが、子どもたちが福島から避難するべきとお考えですかと質問します。

この質疑応答は、20131019日にカリフォルニア州サンクレメンテで開かれた、放射性廃棄物とサンオルフレ原発の解体に関する地域住民シンポジウムの一部です。

ミキ・ベイはカリフォルニア州アーヴィンの住民です。ドナルド・ムージャ博士は、カリフォルニア州ラ・ホーヤのスクリプス研究所免疫学・微生物学部の教授です。

ご視聴、ありがとうございました! ご登録をよろしくお願いします。

カテゴリ教育


トランスクリプト

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ドナルド・ムージア博士


サン・オノフレ原発の解体に関する地域住民シンポジウム

0:05

ミキ・ベイ


20131019

0:14

子どもの放射線量について、お聞きします。日本政府は311の後、年間1ミリシーベルトの規制を20ミリシーベルトに引き上げました。日本では、汚染地域に大勢の子どもたちがいまも住んでいます。専門家のあなたにお聞きします。日本の子どもたちに福島から離れるように促しますか?

0:57

日本の規制について、知っています。20ミリシーベルト・レベルは高すぎると思います。だから、間違っていると思います。この小児被曝の研究によれば、20ミリシーベルト被曝では、最大約50パーセントの発癌リスクがあります。

ずっと安心なレベルが1ミリシーベルトです。30分ほどの短時間で全線量を受けるCTスキャンは、1年間に20ミリシーベルトを受けるのと比べて、違いがあります。20ミリミーベルトの人体に対するリスクがよくわかっていませんので、賢い決定ではありません。

2.12

おっしゃるとおりです。ありがとうございました。

1:53

ジョン・ゴフマン「原子力発電の免許を与えることは、わたしに言わせれば、計画的な無差別殺人の免許を与えることだ。第一に、原発を認可するとき、なにをしているのか、わかっているはず――だから、熟考したはずである。だから、『知りません』では済まない。第二に、放射線由来の癌の証拠には疑う余地がない…もはや議論の段階ではない…放射線は癌を誘発し、その証拠は最低限の線量にいたるまで有効なのだ」



レベッカ・ソルニット、巨大エネルギー企業の神権に対する挑戦を語る @TomDispatch

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トムディスパッチ・コム 抗主流メディア常備薬

トムグラム:レベッカ・ソルニット、巨大エネルギー企業の神権に対する挑戦を語る

レベッカ・ソルニット Rebecca Solnit 20141223
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@TomDispatch.

凡例:(原注)、[訳注]

【サイト主宰者、トム・エンゲルハートによるまえがき】

トムディスパッチが伝統的なサイトだなんて、だれも思わないだろう。それでも、わたしたちにだって、伝統はある。数あるなかで一番の「伝統」といえば、一年の締めくくりとして、レベッカ・ソルニットに登場願うことだ。年が終わるとき、彼女は未来を夢見ることもあるし、時に過去のことを考え、また時にはほんの数秒前のことに注目するが、このウェブサイトに初登場した瞬間から常に、他の人たちが考えるのも嫌なほど辛くて険しいと思う現実を前にして、なんらかの形の希望を示してくれる。

2014年のヒット作“Men Explain Things to Me”[『男たちがわたしに説明してくれる』]とさらに新しい本“The Encyclopedia of Trouble and Spaciousness”[『厄介事と雄大さの百科事典』]の著者、ソルニットは年の終わりにあたり、終末論的な世界に向かう人類の最近の画期的なできごとを考察した。彼女は気候変動を冷徹な目で見つめ、しかも希望と目的意識を失うことがない。それはいつもの通り、印象的な能力であり、わたしたちを真に危険にさらしているものを注意して見つめているならば、未来はわたしたちの手中にあることを思いださせてくれる。いつかある日、利益を念頭に置いて意図的に温室効果ガスの最終便を待機中に送りこんだ連中は――わたしはもちろん、エネルギー大手のCEO[最高経営責任者]たち(および、わたしたちの名指しする、サウジアラビア、ロシア、「サウジアメリカ」のエネルギー事業を運営する、さまざまな連中)のことを言っているが――歴史上最悪の犯罪者、わたしたちの時代の真のテロリスト(あるいは、わたしのいう「地球抹殺者」)として記憶されることだろう。わたしたちアメリカ人が、コントロール下に置かなければ、わたしたちには未知の種類の危険がわたしたちに振りかかるのが必定である現象、気候変動に真剣に取り組まないで、911後の歳月、何兆ドルもの税金をいわゆる「国家安全保障」に文字通りに鋤きこんできたのは、わたしたちの時代のジョークのひとつである。皮肉というか、愚行というか、なんというか。

さて、秘められた監視の世界について、とても多くのことがわたしたちに暴露された年、2014年を閉じるにあたり、新年に向けたわたし自身の願いをいわせていただきたい。2014年の終わりにかなり慎ましいことが許されるなら、元陸軍兵のチェルシー・マニング、元CIA諜報員のジョン・キリアコウの釈放、NSA[国家安全保障局]内部告発者のエドワード・スノーデンの追放解除をお願いしたい。彼らの正真正銘の奉仕により、わたしたちが住むアメリカ世界の性格について誰も知らなかったことをわたしたちに知らせてくれたことにより、彼らはこの国から耐え難い現状よりずっと厚遇を得てしかるべきである。いつかある日、彼らを投獄したり追放したりした者共が忘れ去られたり叱責されたりするとき、彼らはわたしたちの時代のヒーローとして記憶されているとわたしは確信している。それまで、一介の男が希望を述べてもかまわないだろう。2014年を終えるにあたり、わたしは彼らに脱帽する。トム

すべてがバラバラになるとき、すべてが統合する

2015年の気候

Everything’s Coming Together While Everything Falls Apart 
The Climate for 2015 

レベッカ・ソルニット Rebecca Solnit

それは、わたしがこれまでに見たなかで一番ワクワクする官庁文書だったが、それにはただひとつの理由があった。日付がフランス革命暦6年テルミドール[熱月]21日になっていたのである。ぼってりした紙にセピア色のインクで記されたその文書は、わたしたちの暦なら1798年の晩夏にあたる日にフランスで行われたありきたりの土地競売を記録していた。だが、その通常でない日付は、フランス革命がまだ日常を包み込む現実であった時期にその文書が作成されたことを示しており、権力の配分と政府の性格といった基本的なことが驚くべき形で生まれ変わっていた。1792年を第1年と呼び替える新暦は、社会をそっくり始め直すために制定された。

わたしはサンフランシスコの閑静な通りに面した、あの小さな古物店に、前千年紀屈指の大動乱の遺物を掲示した。そのことから、わたしは偉大なフェミニスト・ファンタジー作家のアーシュラ・K・ル=グィンがほんの数週間前に作成した並外れたことばを思い起こした。彼女は著作の受賞スピーチで、「わたしたちは資本主義のなかに生きています。その力から逃れられません。国王たちの神権もそうでした。いかなる人間の権力も、人間によって抵抗され、変革されえるものです」と語った。

わたしが掲示した、あの文書は、フランスが国王の神権は逃れられない現実であるという思念を克服してから、ほんの数年後に書かれた。革命派は国王の罪状を並べて処刑し、違った形態の統治を試行していた。その実験は失敗したというのが一般的だが、それでは解釈として狭すぎる。フランスは断じて絶対君主制に復帰しなかったし、フランスの実験は世界中の自由主義運動を鼓舞したのである(その一方、どこでも君主と貴族を恐怖させた)。

アメリカ人は、自己満足と、ものごとは変わりようもなく、われわれ、民衆はものごとを変革する力を持たないという絶望とを組み合わせることに巧みである。それにしても、わたしたちの国とわたしたちの世界が常に変化してきたのであり、いま大いなる恐るべき変化のまっただなかにあって、時として大衆の意志と理想主義的な運動の力によって変革すると見ないようでは、歴史について、また現代のできごとについて、底抜けに無知である。時あたかも、惑星の変動する気候がわたしたちのエネルギーの化石燃料時代からの(そして、たぶん資本主義時代の特定部分からも)脱却を要求している。

巨人を倒す方法

ル=グィンのことばを用いるには、物理学が避けられない。大気中にもっと二酸化炭素を加えれば、惑星が暖かくなり、惑星が暖かくなると、さまざまな種類の混乱と崩壊の羽目が外れる。その反面、政治は避けられなくはない。たとえば、何年も前の話ではないが、現在アメリカで第3位の大企業、シェヴロンが自社の支配地域とするカリフォルニア州リッチモンドの町で精油所を運営することは避けられないと思われていた。シェヴロンの神権は神授されたようなものだと思えた。例外として、リッチモンドの人びとはそれを拒み、107000人の主として貧しい非白人から成る、この町は押し返したのである。

シェヴロンは、エクアドルの内陸とブラジルの沖合で膨大な量の石油を漏出し、半世紀来、ナイジェリアの石油採掘とタールサンド瀝青のカナダからリッチモンド精油所までの鉄道輸送による汚染をもたらしたが、その莫大な額の支出にもかかわらず、近年になって、進歩派グループが市議会と市長職の選挙で勝利した。リッチモンドは主として犯罪率の高さとシェヴロン精油所の毒性排出物で有名であり、周期的に緊急事態が発令され、時には全員が屋内退避を要請され(そして、屋内にいれば毒がおよばないふりをし)、空高く舞い上がり、遠くオークランドからも見えた1218日の炎のように、時には――シェヴロンによって――無害だと言われるような町で、ガイル·マクローリン市長と彼女の仲間たちは、ちょっとした革命を組織した。

マクローリンは彼女の市長時代を次のように描く――

「わたしたちは、呼吸するためのより良い空気、汚染の削減、よりきれいな環境ときれいな仕事の構築、犯罪率の低下など、とても多くのことを達成しました。殺人件数は33年間で最少になり、一人あたりのソーラー発電装置設置容量でベイ・エイアの先進的な町になりました。わたしたちの町は自然保護都市です。わたしたちは住宅所有者を保護し、差し押さえと立ち退きを防ぎました。また、シェヴロンに11400万ドル[137億円]の徴税を追加しました。

世界第2位の石油大手は、201411月の選挙でマクローリンや他の進歩派候補を打倒し、お気に入りの市長と議員を据えるため、公式に310万ドル[37000万円]を支出した。この額は、リッチモンドに有権者一人あたり約180ドル[22000円]になるが、リッチモンドの政治に長らくかかわってきたわたしの兄、デイヴィッドにいわせれば、会社が地域政治を動かすために使った裏金に注目すれば、ざっと10倍になるそうである。

それでも、シェヴロンは敗北した。会社側候補はひとりも当選せず、広告看板、メール広告、テレビ広告、ウェブサイト、その他、金にあかしてありとあらゆる中傷キャンペーンを打った草の根進歩派は全員が当選した。

このような小さな連合が2013年度の売上が2289億ドル[276000億円]である企業を相手にして地域で勝てるとすれば、大きな世界規模の連合が化石燃料の巨大企業に対して何ができるか想像してみよう。リッチモンドで容易でなかったし、最大規模の場合でも容易でないだろうが、不可能ではない。リッチモンドの進歩派は、現状が避けられないものではなく、永久的な暮らしのあり方ではないと想像することによって勝った。彼らはその必然性を弛める仕事をするために姿を現したのである。億万長者と化石燃料企業はどこでもいつでも身を入れて政治に勤しんでおり、わたしたちに傍観者のままでいることを期待している。さまざまな運動に対する彼らの反応を観察すれば、わたしたちが覚醒し、姿を現し、彼らの力に対抗するためにわたしたちの力を行使する瞬間を彼らが恐れていることがわかる。 

先週、ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事に州内全域のフラッキング[シェールガス水圧破砕採掘法]を禁止する法律に署名させる目的で、地域活動家たちと公衆衛生専門家たちがじゅうぶんな圧力をかけたとき、その力がもっと大規模に発動された。1217日にニュース速報が流されるまで、結果は不透明に思えた。これは画期的なできごとであり、分岐点となる決定だった。ひとつの州が相当な埋蔵量の化石燃料を予見しうる未来まで採掘しないと決定し、別のものごと――州民の健康、州内の清浄な水――のほうが大事であると示したのだ。ここでももう一度、市民の力が産業の力よりも強大であると示されたのである。

ニューヨーク州内のでっかい勝利の数日前、世界の国ぐにがペルーのリマで地球気候条約に関する最近の会合を終え――事実上の暫定合意、発展途上諸国だけでなく、初めてすべての国ぐにに排出削減を求める合意に達した。合意は、201512月にパリーで開催される地球気候サミットまでに、もっとよいもの――もっと実効的なもの、すべての国ぐににもっと要求するもの――にならなければならない。

現地点からそれまでどこまでできるか、予見するのは難しいが、活動家たちと市民が自分たちの国に強く要求しなければならないことは容易にわかる。フランスが絶対君主制を終わらせたように、わたしたちは化石燃料時代を終わらせる必要がある。ニューヨーク州とリッチモンドの町が実証してみせたように、なにが可能なのかは急速に変わりつつある。

3種類のヒーロー

再生可能エネルギー技術における革新を観察すれば――また、これは技術者らがわたしたちの報われない功労者である時代ということになるが――未来は途方もなくワクワクするものになると思える。つい最近まで、気候運動は技術が気候変動の略奪からわたしたちを救ってくれるという希望に反対することをめざしているだけだった。いま、921日、ニューヨーク市でおこなわれた40万人強の行進で掲げられた6枚の大横断幕のひとつが宣言したように、「解決策はある」。風力、太陽エネルギー、その他の技術は、設計がよくなり、コストが下がって、間違いなくこれから実現するものの一端にすぎないにしても、多くの非凡な改良が施されて、急速に普及しつつある。

米国と世界の各地では、クリーンなエネルギーがじっさいに化石燃料よりも安くなっている。石油価格が突如として急落し、当面の状況にスクランブルをかけているが、その肯定的な副次的利点として、汚い炭素集約型の最先端エネルギー抽出計画案を現時点の費用対効果分岐点以下に追いやるだろう。

クリーン・エネルギー技術そのもののコストが相当大きく下落しているので、イングランド銀行総裁のような分別のある財政顧問は、化石燃料と集中型の在来発電所は不良投資先になるかもしれないと示唆しはじめている。彼らはまた「炭素バブル」(脱化石燃料運動が業界の倫理問題に加えて現実的な問題にも注目を集める効果を示した兆候)についても語っている。だから、テクノロジー戦線は心強い。

これは行動のアメである。ムチもある。

科学者たちによる気候報告に注目すれば――科学者たちもまたわたしたちの時代の功労者集団だが――ニュースは恐ろしいものになる一方である。あなたもおそらく肝要な事項をご存知だろうが、混沌状態の天候、陸上と海上で高温に貼り付いているのが常態になった記録(2014年は全時代を通した最高温度に向かっていた)、355か月連続した平均値超えの気温、氷の溶融の加速、海の酸性化、「第六の絶滅」、熱帯病の蔓延、結果として飢餓を伴う少量生産の下落といった具合である。

とても多くの人たちは、地球とそのシステムについて大して考えず、あるいは最後の氷河期が終わり、豊かで平穏な惑星が出現して以来、平常な状態を保ってきた精妙で入り組んだ互恵性と平衡を理解しないので、わたしたちがなにに直面しているのか、わかっていない。わたしたちのほとんどにとって、そのどれもリアルでなく、生々しくも、理屈抜きでもなく、目に見えさえしていない。

専門分野がなんらかの形で気候と関連している科学者たちの大多数にとって、実にそのとおりなのだ。彼らは多くの場合、おびえ、また悲しみ、狼狽しており、気候変動がわたしたちの種とわたしたちが依存しているシステムにもたらす影響の悲惨さの程度を抑えるために行動に出ることの緊急性について明快にわかっている。

科学者でない人たちのなかには――未熟な絶望がいつもそうだが――なにもしないことの言い訳として――なにをやっても手遅れだとすでに決めつけている人たちがいる。しかしながら、内部情報通は一般的に、最良シナリオと最悪シナリオでは大違いであり、未来はまだ記録されていないので、わたしたちがいま行うことが東邦もなく重要であると確信している。

わたしがあの巨大規模の気候行進のあと、350.orgの共同創立者で広報部長、ジェイミー・ヘンに、この瞬間をどうお考えですかと質問してみると、彼は「すべてがバラバラになるとき、すべてが統合します」と、ああいう凄まじい科学論文の影に代替エネルギーと気候直接行動に関する元気なニュースが存在する状況を完璧に寸評してくれた。わたしたちはこのことから、第3の功労者集団に思い至るのであり、彼らは気候という単一範疇に没頭し、そのためには特別な資格、直接行動主義者であることを必要としない。

新テクノロジーが導入され、古い炭素排出技術がしだいに廃れ、あるいは凍結されるなら、それが唯一の解決策になる。わたしたちが石油時代から抜け出るとすれば、化石燃料の蓄えはまさしく今ある場所――地中――でその大部分が保全されなければならないのは自明の理である。そのことは、科学者たちがおこなったかなり最近の計算と、活動家たちが広報し、後押しした(それに、たぶん代替システムを設計する技術者たちが目に見える形にしてくれた)おかげで、明々白々な事実になった。これらすべての目標――惑星の温暖化を摂氏2度(華氏3.5度)に抑えることは、何年も前に確定した目標値だったが、摂氏1度だけの気温上昇でもすでに影響が出ているので、いま不安を感じている科学者たちは疑問を唱えている。

化石燃料経済を解体すれば、世界政治と国内政治をゆがませる石油の力の何ほどかを打破する副作用が疑問の余地なくあるだろう。その力に挑戦しても、猛烈な戦い――脱化石燃料運動から、フラッキング反対闘争、アルバータのタールサンド製品を輸送するキーストーンXLパイプラインやその同類を止める取り組み、米国内で成功した石炭火力発電所の閉鎖運動、そして他の石炭火力発電所の新設を阻止する運動にいたるまで数多くの戦線で気候運動が担ってきた戦いそのもの――がなければ、もちろん、実を結ぶことはないだろう。

気候直接行動~世界と地域の運動

気候変動について情熱的であり、わたしたちが地球と人類の運命を決する瞬間に生きていると理解する人たちのだれもが、運動のなかに自分の場を見つけるなら、驚くべきことが起こっただろう。いま起こっていることは、すでに特筆ものであるが、危機に対してまだ十分ではない。

公共団体の化石燃料企業株保有をやめさせるために2年前に立ち上げられた脱化石燃料運動は、控え目な形ではじまった。それがいま、世界中、何百もの大学構内や他の公共団体で活動している。官僚機構の非協力、あるいは先例主義は、並外れた力であるが、顕著な勝利がえられた。たとえば9月下旬のこと、ロックフェラー兄弟財団――石油産業の勃興期にジョン・D・ロックフェラーが基礎を築いた富を元に財を成した一族――が資産の86000万ドル[1036億円]を化石燃料株から引き揚げると約束した。これは、教会信徒会、大学、都市、スコットランドやニュージーランド、シアトルの財団など、すでに資金引き上げを表明した800以上の公共団体のひとつにすぎない。

活動家たちが介入していなかったら、キーストーン・パイプラインは何年も前に完成し、操業していただろう。それは優れて社会的で激烈な論議を招く問題になり、近年にいたって、大統領が姿を現す数十回の機会にデモが仕掛けられるテーマになった――そして、この騒動のあいだに、(わたしを含め)非常に大勢の人びとが、化膿したスラッジや瀝青の巨大な腫れ物、そしてアルバータのタールサンドでできた毒の湖の存在に気づくようになった。

カナダの活動家たちは、他のパイプラインを阻止して、この内陸にある代物を輸出するために沿岸部に搬送するのを妨げるのに有効な活躍をした。この結末のひとつとして、とても大量のタールサンドがいま貨車に積載されている(衝突事故になれば、悲惨な結果になり、衝突しなくても、長期的には悲惨な結末になる)。この並外れて汚い原油は、精製工程だけでなく、採掘現場でも極めて高レベルの毒性物質を後に残す。

ウォールストリート・ジャーナルも先日、次のように報道した――

「キーストーンXLパイプラインは、トランスカナダ社が6年前、1700マイル[2700キロ]のパイプラインの建造を発表したとき、エネルギー自給と雇用創出のモデルケースになると宣伝されていた。だがその後、この原油パイプラインが招いた政治および規制の混乱が、北米全域で他の少なくとも10ルートのパイプライン計画に対する抵抗を活気づけた。その結果、計画では150億ドル[18000億円]またはそれ以上の費用をかけ、3,400マイル[5,500キロ]以上に延びる6ルートの石油と天然ガスのパイプラインが遅れていることが、ウォールストリート・ジャーナルの記録でわかった。他にも少なくとも4ルート、投資合計額が250億ドル[3兆円]、総延長5,100マイル[8,200キロ]の事業が反対にあっているものの、まだ遅れは出ていない」

たいがいの人は個々の運動を見ていないので、気候運動は見かけ以上に大きく、効果的であることを実証した。目を凝らして、ふつう見えてくるものは、一方で世界規模の問題に取り組むグループと他方で地域グループの一群の奔放なまでに多様性のある混合体である。米国内では、それはテキサス州デントンの11月選挙におけるフラッキング禁止であり、あるいは全米いたるところの石炭火力発電所の閉鎖であり、あるいは201527日の巨大なフラッキング反対デモに向けて勢いづいているカリフォルニアの運動なのだ。

それは大学の脱化石燃料キャンペーンに取り組むことだったり、あるいはエネルギー効率の改善とクリーン・エネルギーの普及によって気候変動に対処するように州法を改正したりすることでもよい。ブリティッシュ・コロンビア州の活動家たちが当面、野営、市民的不服従、ヴァンクーヴァー近くのバーナビー山で大勢の逮捕者を出した行動によって、太平洋沿岸に向かうパイプライン用のトンネル掘削を阻止したことでもよい。逮捕者のひとりがヴァンクーヴァー・オブザーヴァー紙に次のように書いている――

「あの独房に座っていると、わたしの肩の重荷が抜けたように感じました。その重荷を今まで何年も担いでいたのですが、完全に気づいていたわけではありません。カナダが京都議定書から抜け、わが国が気候変動に対して卑劣な立場にあることに、わたしは恥ずかしい思いをしています。これらがわたしたちの社会の価値であるとすれば、わたしはそのような社会の無法者でありたいと望んでいます」

未来を築く

あの9月のニューヨーク気候行進を目前に控えていたとき、わたしは今から100年後の人間たちが、気候変動が認識された時代に生きていたわたしたちを見て、もっと多くのことができたはずだとみなすだろうとつくづく考えはじめた。その人たちはわたしたちにひどい軽蔑を感じるかもしれない。彼らはわたしたちのことを、家督を賭け事で潰した呑んだくれのように相続財産を浪費した連中とみなすかもしれず、この場合、家督とは万人の森羅万象なのだ。わたしはもちろん、順調に機能している自然界そのもののことを言っている。彼らはわたしたちのことを、すべてが燃えているときに酔っ払っていた人たちと見るだろう。

彼らはわたしたちのことを、セレブのことや束の間の政治スキャンダル、あるいはナイス・ボディであるかどうかを気にかけて、正気を失っていたと考えるだろう。彼らは、新聞の第1面の折り目のうえに連日、巨大な黒枠が印刷されており、「別の記事もいくつか掲載されているが、気候がやはり最大のニュース」と告げていたと考えるだろう。

彼らは、わたしたちがどこでも破壊エンジンの前にわが身を投じ、天に声を上げ、荒廃が止められるまで一切を犠牲にしていたと考えるだろう。彼らは少数派を祝福、賞賛し、多数派を呪うことだろう。

惑星上のほぼすべての国に英雄的な気候活動家がいたし、いくつかの特筆すべきことがすでに達成されている。運動は規模、力、洗練性において育ってきたが、まだ必要なことが成就したとはとても言えない。12月にパリーで国連が主催する地球気候条約策定会議の下準備期間として、2015年は決定的なものになるだろう。

いまこそ――気候運動の世話人たちがこれまで以上に手を差し伸べ、家に引きこもった人なら手紙を書いたり、20歳の若い人であれば、進んで遠くの直性行動に赴いたりするなど、この変身において、すべての人に役割を与えてくれる時期なので――あなたがまだであれば、発展途上の運動に自分の立場を見つける好機なのだ。これは最大の光景であり、だからだれにでも役割があり、他にもとても多くの重要な問題がわたしたちにのしかかってくるにしても、たった今、これこそが万人の最も重要な働きであるべきなのだ。(フィリピンのカリスマ的な元交渉代表、イェブ・サノも指摘するように、「気候変動はほとんどすべての人権と衝突しています。人権がこの問題の核心なのです」)

多くの人たちは、私生活における個人のおこないがこの危機で問題になると信じている。それはよいのだが、肝要なことではない。車より自転車を使い、動物より植物を食べ、屋根の上にソーラー・パネルを設置するのは、見上げたことだが、そのようなジェスチャーはまた、あなたが問題と無関係であるという間違った感覚を植え付けかねないことになる。

あなたは単なる消費者にとどまらない。あなたは地球の市民であり、あなたの責任は、プライヴェートでなく、公的なもの、個人的でなく、社会的なものである。英語圏に住むほぼ全員がそうであるように、あなたが炭素の主要排出国の住民であるなら、あなたはシステムの一員であり、システムの変革を措いて、わたしたちを救うものはなにもない。

戦いはたけなわである。科学者たちは生態学の観点から、わたしたちが敏速に化石燃料から決然と離脱することによって、未来に生きる人たちに押し付けようとしている打撃を制限できるようにする時間が少しはあると助言している。政治的な観点から言えば、果てしない足踏みとはぐらかしと阻止と行き詰まりとため息のあと、数十年もかかってようやく、パリー気候サミットで諸国間の意味のある気候合意を達成するまで、わたしたちには1年ある。

リマ準備会合に行ってきた友人が今月はじめ、わたしたち全員が政府を猛烈にせっついていれば、チャンスがあるとわたしに言った。変革をもたらす真の圧力は、国家間で互いにかける圧力よりも、世界的に諸国の国内からもたらされる。(部分的には米国製品の相当な割合の製造国になることによって、中国が米国を追い抜くまで)長らく世界最大の炭素排出国であってきた、ここ米国で、わたしたちには圧力をかける格別な責任がある。圧力は効く。大統領は明らかにそれを感じていて、最近の米中間排出量抑制合意に――完璧または適正なものからは程遠いにしても、巨大な前進の一歩として――それが反映されている。

わたしたちがいる必要のある場所に、どのように辿り着くのか? だれにもわからないが、炭素排出量削減、エネルギー経済転換、化石燃料専制からの離脱、すべてがつながっている世界の展望の方向に進みつづけなければならないことはわかっている。この1年の物語は、わたしたちが書く物語であり、気候革命の、200年前にフランスの人びとが彼らの世界を(そして、わたしたちの世界を)変革したのに匹敵する基本原則の変革を大衆の抵抗がもたらす物語でありうるのだ。

今後200年たって、どこかのだれかが2021年の文書を手にして、それが、古い必然性がついに一掃され、わたしたちが可能性を獲得し、わたしたちのものにした気候革命暦6年に書かれたものなので、驚異に打たれているかもしれない。「いかなる人間の権力も、人間によって抵抗され、変革されえるものです」と、アーシュラ・K・ル=グィンはいう。それがわたしたちのなしてきたなかで最も困難なことであっても、彼女は正しい。いま、すべてはそれにかかっている。

【筆者】

レベッカ・ソルニットRebecca Solnitは、アーシュラ・K・ル=グィンの本を読んで育ち、長年、トムディスパッチ歳末記事の掉尾を飾ってきた。最近著作に2014年の独立系ベストセラー、 Men Explain Things to Me[『男たちがわたしに説明してくれる』](Dispatch Books)20145月刊のTheEncyclopedia of Trouble and Spaciousness [『厄介事と雄大さの百科事典』](Trinity University Press)はどこでも年間ベスト本リストに入っている。

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Copyright 2014 Rebecca Solnit
暗闇のなかの希望―非暴力からはじまる新しい時代
災害ユートピア (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) 
Men Explain Things to Me 
The Encyclopedia of Trouble and Spaciousness
 
Shadow Government: Surveillance, Secret Wars, and a Global Security State in a Single-Superpower World

【海外情報】核企業アレヴァは破産状態 納税者が救済

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The News That Matters about the Nuclear Industry

アレヴァ社は不調から絶不調へ、巨大核企業が破産

http://sansdrapeauxnibanderoles.wordpress.com/  Sortir du Nulcleaire , France

201514Noel Wauchope英訳 

フランスの世界No.1核企業グループ、アレヴァは破産している。株価は値崩れし、年度初めから55%下落した。すでに債務超過に陥っており、2014年のアレヴァの損失は10億ユーロ[1440億円]を超えている。

惨状の原因
  • 原子力はあまりにもリスクが高く、高価になっており、民生用の核はもはや世界市場で売れなくなっている。アレヴァはこの7年間、原子炉を1基も供給していない。
  • フィンランドとフランスのEPR[ヨーロッパ型加圧水型炉]2基の建設工事が長引き、コストが3倍になって、現在では90億ユーロ[13000億円]に達している。フィンランドは追加経費の支払いを拒否しており、現在では違約金を要求している。このままでは完全に財務の大欠損である。
  • フクシマ事故以降、日本の原発が停止したままなので、日本向けの核燃料の出荷が保留されている。これによる核燃料輸出の減退がアレヴァの財務悪化に拍車をかけている。
  • フクシマ事故後、シーメンスがアレヴァから再生可能エネルギーに乗り換えた。シーメンスはアレヴァ・グループ株の20%を保有していた。

2007年のウラミン社買収:ニジェール、中央アフリカ共和国、ナミビアのウラニウム採掘権を獲得したが、まもなく無用と判明。買収交渉中の逆ざやコミッションや操業の不首尾が重なり、アレヴァの損失は30億ユーロ[4300億円]に膨れあがった。救済提案は、納税者負担を最前線に。
フランス政府はアレヴァの資本金の86%を保有しており、同グループがフランス国内の原発用の核燃料と交換部品を供給しているので、介入を余儀なくされている。

アレヴァ

  • 子会社の株式を売却すれば20億ユーロ[2880億円]を調達できる。
  • CEA[フランス原子力庁]を排除し、赤字部門を吸収する救済会社を設置することによるリストラを計画。クレディ・リヨネが採用した方式であり、民有化による儲けと国民の損失!
  • 納税者が株主を救済。
  • EPRの新規建設は放棄されるだろう。
欠損、債務、解体、廃棄物――これらがわれわれの子どもたちに手渡す核の遺産である。アレヴァが私企業であれば、すでに破産を宣告され、建造中のEPRは完成しないだろう。

だが、アレヴァは不沈企業である。


国家が控えており、この混乱を不問に付し、われわれは税金を納付しながら、われわれの役に立つはずだった再生可能エネルギー発展の足を引っ張るのである。

【TV朝日】隠蔽か黙殺か ~封印された米軍核特殊部隊実測の汚染マップ~

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隠蔽か黙殺か~封印された汚染マップ~
TV朝日テレメンタリー2014211

カテゴリ:ニュースと政治 ライセンス:標準の YouTube ライセンス




0:00

東日本大震災の直後、アメリカが下したある決断…それは、核テロや原発事故に緊急対応するスペシャリスト、核特殊部隊を日本に派遣すること。

0:23

国務次官補(当時)カート・キャンベル:アメリカは絶望的な大惨事になることも考えました。政府は汚染状況がどれぐらい危険か確かめようとしたのです。


0:39

核特殊部隊の切り札は空中測定システムAMS上空から地上の放射線量を実測し、広範囲に汚染状況を分析できる。

0:56

駐日米大使(当時)ジョン・ルース:目的は、できる限り最高の情報を得て日本が危機に対処する手助けをすることでした。


1:07

その当時、日本はまだ人海戦術による陸上モニタリングに頼っていた。

1:22

これは、事故発生から6日後におこなわれた陸上モニタリングの結果。これでは、汚染状況を点でしか把握できない。


1:34

原子力安全委員会委員長(当時)班目春樹:ほんとにポツンポツンとあるだけなんです。場所によって全然、値も違いますし、全体として本当にどうなっているんだろう…

1:46

この写真は、実際におこなわれたモニタリングのようす…来日した部隊は、上空からの測定で地上1mの高さの放射線量を算出…この測定値と地理情報を併せて汚染マップを作成した。

2:10

京都大学原子炉実験所 今中哲二助教:NNSA(国家核安全保障庁)は、とにかくフクシマの上空をヘリコプターや飛行機で飛ぶわけです。これは飛行機が飛んだ軌跡ですよね。

2:23

福島第1原発から半径およそ45kmの地域を40時間以上飛行…放射能汚染の全容を把握していた。

2:29

今中哲二:そこで得られたデータを地図にすると、こういう汚染マップですね。ここが原発で、浪江から飯館、福島のほうに汚染が拡がったとわかります。


2:53

これが、完成した汚染マップ…北西方向に30km以上、1時間あたり125マイクロシーベルトを超える汚染地域が拡がっている。


3:14

汚染状況を予測するSPEEDIの公表遅れが問題になったが、SPEEDIはあくまで予測値である。AMSが決定的に違うのは、これが実際に測ったデータだったこと。

3:36

班目春樹:これ(AMS)は、まさに実測値ですから、それこそSPEEDIを使って予測するよりもはるかに信頼性が高いので、これをもとにいろいろな決定をするべきだと思ったわけです。


3:53

しかし、情報は公表されず、わざわざ放射線量が高い福島県北西部に避難してしまった人びとも多い。3人の子どもと浪江町から避難した被災者…汚染された食べ物による内部被曝を心配する。

4:19

浪江町から北西方向に避難した石井薫さん:山に入って、椎茸を採ったりとか、そういうものを食べていました。水も山の引っ張り水とかだったし…


4:34

検査の結果、高校生の長男から微量のセシウムが検出された。さらに甲状腺からも…

4:39

石井薫さん:のどのエコー検査で(嚢胞が)3つか4つ見つかったんですけど…「なんで俺ばっかりでるんだ」って言っていたのを覚えてますけど…政府も人事ですよね。(汚染マップの情報を)言ってくれれば、正しい判断ができたんじゃないかなって思いますけど。

5:00

語り/遠藤憲一だが、この汚染マップの存在が取り沙汰されるのは、事故から1年以上もたってからのこと…

5:25

2012710日、衆院予算委委員会/浪江町議会吉田敦博議長(当時):避難にあたって、なんの対策もデータも持たないわれわれにとって、(アメリカの情報は)得難い情報であったはずです。その情報すら公開しなかったことは、人災そのものであって…


5:40

参議院佐藤正久議員:政府の隠蔽で浴びなくてもよい放射能を浴びた方がいます。SPEEDIの推測値と違い、これは実測値なのです。

5:49

野田佳彦前総理大臣:住民の皆さまの命を守るために適切に情報を公開していくという姿勢が希薄だった…

6:00

なぜ汚染マップは封印されてしまったのか? 

6:16

2011311日/陸上自衛隊東北方面隊:福島第1原子力発電所の建物群の…上空であります。

6:24

福島第1原発の事故以来、日増しに募るアメリカの危機感…314日には1号機に続いて3号機でも水素爆発。


6:41

日本では情報不足が混乱に拍車をかけていた。そのころ、アメリカでは、情報収集のために緊急招集された核特殊部隊の精鋭、33人がおよそ8トンの機材を積み、日本に向け出発…17日には、被害状況の測定にとりかかった。ちょうどその日、アメリカでは独自の避難勧告が発令される。

7:22

カーニー報道官:福島第1原発から半径60km圏内にいるアメリカ人に対して避難するように勧告する。

7:33

アメリカが80km圏内の避難指示を出したのに対し、日本はまだ半径20km圏内を避難範囲としていた。汚染マップを見ると、避難対象から外れている場所でも、放射線量が高い地域が…


7:58

国務省日本部長(当時)ラスト・デミング:ホスト国と異なる発表をするのはやりにくいものでしたが、日本はアメリカと違う判断をしていたので…

8:13

国務次官補(当時)カート・キャンベル:日本よりも避難範囲が拡がった理由は、アメリカが慎重であったからです。ごく短い期間ですが、日米間には緊張した空気がありました。

8:35

避難指示にあたって、アメリカでは、AMSの実測データが重要な役割を果たす。

8:45

国務省対日支援担当(当時)ケビン・メア:どこまで汚染されているかを、できるだけ速く測りたかった。80kmの避難区域で十分か、もっと縮小するべきかを判断するときに、もちろん、そういう情報も使っていました。

9:03

アメリカ原子力規制委員会(NRC)の議事録でも、汚染マップを有効活用したことがうかがえる。

9:13

318日/NRC電話会議録:汚染が集中しているのは現場から北西方向であることがわかりました。約20kmを超えて帯状に4日間で10ミリシーベルト近くに達したり、それを超える地域があります。80km圏内の人を非難させる、われわれの提案は正しい決断でしたね。

9:38

独自データをもとに米軍の撤退も検討された。

9:45

米軍トップ、統合参謀本部長(当時)マイケル・マレン:同盟国の支持だけではすまされなかったのです。多くの部下も放射能にさらされる危険がありました。

9:57

カート・キャンベル:撤退案は確かに検討しました。しかし、オバマ大統領と大統領補佐官が米軍に断固として「撤退するな」と命じたのです。

10:16

もし日本が同盟国でなければ、全米軍が国外退去していた可能性があったという。

10:28

情報はすべて提供されていた

10:32

317日(現地時間)エネルギー省/ボネマン副長官:AMSによる最初の調査をおこない、情報収集をしています。すべて日本政府と情報共有しながら進めています。


10:48

日本に留まることを決めたアメリカは、自国民を守るためにも、日本への情報提供をつづけた。

11:01

ラスト・デミング:わたしたちが得た情報は、できる限り日本に提供していました。アメリカとしては、まったくダブルスタンダードはありませんでした。

11:17

NRC委員長(当時)グレゴリー・ヤツコ:わたしたちが焦点をあてたのは、できる限りの情報を提供することです。AMSのデータもありました。


11:35

確かに、測定前に打診を受けた日本政府の対応は、こう残されている――「日本政府はAMSの測定を含む、エネルギー省放射線プログラムチームの支援を受け入れた」

11:56

カート・キャンベル:これは日米共同の決断でした。原発周辺の状況を把握するために専門家が必要だと日米両政府が判断したのです。

12:12

番組が入手した内部文書によると、AMSのデータは翌日には外務省を通じて原子力安全・保安院に送られた――318日のメール)「訪日中のアメリカ・エネルギー省がおこなったモニタリングの結果をまとめた資料が、在京アメリカ大使館より送付されてきました…」

12:38

320日のメール)資料は文部科学省にも届けられた。しかし…

12:45

カート・キャンベル:危機レベルが極めて高いのに、日本の対応はすべてを否定するというものでした。

12:57

データ提供後も、日本では…

13:00

321日、枝野幸男官房長官会見:こうした大気中の放射性物質の濃度について、この詳細を文部科学省から、ご報告をさせていただいておりますが、まったく人体に影響をあたえるようなレベルのものではない…


13:16

汚染マップが活用されることはなかった…

13:22

田坂広志元内閣官房参与:実測の技術、航空機で実測していくという技術は、日本に比べて数段進んでいます。ですから、これくらい迅速にデータをとるわけです。そういう意味では、堂々とこれを活用するという考え方を本来とるべきだろうと思いますね。

13:40

今中哲二助教:それにもとづいて、そこの汚染地域の人たちに対して警告をするなり、避難指示をするなり、もっと早くできたはずだと…

13:52

なぜ地図は封印されたのか

13:56

情報を受け取っていた保安院は、こう弁明する…

14:03

2012618日、原子力安全・保安院会見:データを全部一元的に管理して、公表するというには、文部科学省の役割ということで、こういう海外のものというところはどうするか、確かにちょっと明確ではなかったと思います。


14:18

一方、文部科学省は…

14:20

2012619日、平野博文文部科学大臣(2012年当時):文科省の立場でいきますと、地上でのモニタリング担当ということでございまして、保安院のほうに(モニタリング結果は)送られているということですから…


14:33

責任を押し付け合う保安院と文科省…官邸に助言をおこなう原子力安全委員会にもデータが届けられたが…

14:51

Q:原子力安全委員会委員長の立場として、なんでこの地図を使って避難しないんだということを、一言いうことはできなかったのか…

14:57

班目春樹:避難をするかしないかということに関しては、避難指示を出すのは政府の仕事ですね。原子力安全委員会はそこまでは言えないというかですね…


15:20

国会事故調査委員会は、縦割り行政の結果、情報は止まったと結論づけた――「文科省は、このデータをみずからが所管するモニタリング・データでないとし、官邸に伝達しなかった。保安院においても、官邸に送付した形跡は認められない」

15:50

官邸は本当に知らなかったのか

15:53

カート・キャンベル:わたし個人は、そのデータを駐米日本大使・藤崎氏に渡しましたし、大使に渡された情報はすべて総理に渡ったと思います。

16:10

実は、アメリカは測定直後から(エネルギー省の)HPで汚染マップを公開している。

16:20

ケビン・メア:おかしいでしょ。一番重要な問題があったときに、どういう情報があるか、(官邸が)知らないという立場であるのは、ちょっとおかしいと思いますよね。菅政権の反応のやりかた、あまりうまくいってなかったとはっきり感じました。

16:42

しかし…

16:46

2012710日、衆院予算委/枝野幸男官房長官(事故当時):なぜ官邸に報告があがらなかったのかということについては、厳しく経産省内・保安院に問いただしておりますが…

16:56

完全否定する官邸サイド…だが、国会事故調の元委員は…

17:05

国会事故調査委員会委員(当時)野村修也:どう考えてもですね、この情報というのは、耳に届いていたんじゃないかと思われるわけですね。国というのは、そんなに情報に疎いわけではなくて、やっぱり国家の中枢というものは、情報はきちっと取れなければいけないわけで…


17:26

実は、核特殊部隊のデータは、測定をサポートした防衛省にも入っていた。

17:36

Q:その話は、北澤元大臣のもとには入っていましたか?

17:40

防衛大臣(当時)北澤俊美:そりゃ、もちろん入っていました。防衛省は(米軍と)一緒に仕事をしていたから、情報を早く入手できる…

17:48

Q:初めて17日に(AMSの)結果をご覧になったときは、どういうふうに思われ…

17:56

北澤:これは大変な事態だということは、われわれもすぐに認識しまして、活用したどうかというのが、防衛省側の考えだったですね。


18:09

では、官邸は汚染マップの存在を知っていたのか。北澤元大臣はこう断言した…

18:18

Q:モニタリングの結果を知らないことは…?

18:21

北澤:ありえない。それはありえない。

18:26

語り/遠藤憲一:封印された汚染マップ…官邸サイドは、その情報が届かなかったと主張した。だが、当時の菅政権の主要閣僚はこう断言する…

18:44

Q:(AMSのデータを)活用したほうがいいと…(官邸に伝えたか)?

18:47

北澤:情報として(原子力事故)対策本部にはどんどん出していましたからね。

18:53

Q:モニタリングの結果を(官邸が)知らないということは…?

18:56

北澤:ありえない。それはありえない。それはない。わたしはそれはないと思いますよ。

19:02

Q:それは早い段階で…? それぐらい重要なデータということで…?

19:04

北澤:それは官邸が知らないということはないと思うよ。

19:15

こちらは、番組が情報開示請求で入手した日米首脳の電話会談の記録である。

19:28

317日(日本時間)電話会談の様子/オバマ大統領:エネルギー省から専門家を派遣している。彼らはアメリカで最もよい人材であり、日本の災害対策本部と協力している。


19:44

核特殊部隊の派遣は、オバマから菅へ直接伝えられていたのだ。公表されなかった背景を、関係者は…

20:00

カート・キャンベル:日本政府はパニックを引き起こすことを恐れて、アメリカとは少し異なる立場をとったと思います。

20:12

北澤俊美:特に放射線量の高いところに避難指示を出すとなると、混乱を起こすと、それからその地域に荷重な恐怖感を与えると、そういう考え方があったのでは…

20:38

それは、隠蔽だったのか、それとも黙殺だったのか? 菅元首相とは数か月にわたり、書面や電話で交渉したが、インタビューは実現しなかった。しかし、官邸の原子力対策本部にいた福山は、汚染マップの存在を憶えている。

21:10

官房副長官(当時)福山哲郎320日前後だと思いますが、アメリカのモニタリング結果がこんなだと、A3版の非常に大きな資料として、東北全体の地図があって、そこにモニタリングで線量が色分けされているような資料をもらった記憶があります。

21:37

Q:それを総理とも共有された…?

21:17

福山:はい、当然です。当時は官房長官と総理とは、ずっと一緒にいたと言っても過言ではないぐらい…官邸では共有しています。

21:55

Q:国内での公表はできなかったのですか?

21:57

福山:アメリカの測定したものを日本が公表する…それはアメリカが持っているものですから…


22:08

だが、外務省の内部文書には、こんな記述が記されている――「在京アメリカ大使館から外務省に対し、本件モニタリング結果は公開されており、日本側での公開も可能である旨、連絡あり」

22:35

アメリカ側の測定で高濃度汚染が確認された飯舘村に5月末まで留まってしまった親子…

22:46

5月末まで飯舘村に滞在した母親:後から子どもたちの部屋の線量を測ったら高かったんですよ。わからなくていてしまったので、しかたないです。

23:10

娘の甲状腺に2cmほどの嚢胞が見つかった。

23:15

母親:長女には結局、(検査結果を)言ってないですよね。「大丈夫だったよ」としか言ってないですけども……(汚染マップが)どこで止まってしまったのか、止めたのは誰なのかと言いたいところです。なんと悔しいというか、怒りというか、ちゃんとご存じの方はいたんですね。

23:50

政府が汚染の激しい福島県北西部の一部を計画的避難区域に指定したのは、核特殊部隊の測定から1か月以上たった4月下旬…ほぼ全住民の退去が終わったのは、7月だった。時計の針は、もう巻き戻せない。


3分間ビデオで見る世界10年間(2004年12月~2014年11月)の地震

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気象ネットワークThe Weather Network
3分間で観る世界10年間の地震



スコット・スザーランド Scott Sutherland

気象学者 theweathernetwork.com

201512日金曜日

わたしたちの足の下で1年間に何百万回もの地震が発生していると推測されており、人間や地震計が検知できるのは、そのほんの一部だけである。このビデオは米国海洋大気庁(NOAA)の太平洋津波警報センター(PTWC)が作成したもので、過去10年間分、最も破壊的なものいくつかを含め、さまざまなマグニチュードの数十万回の地震をざっと観察することができる。

ビデオは非常に迅速に進行するが、いくつかの重要な特徴が即座に明確になる。

1)「環太平洋火山帯」


地球上で最大の――2600万平方キロを超える――構造プレートである太平洋プレートが、アニメ画面中央部の大きな「空白」域として非常に明確に浮き彫りになる。その周囲、実質的にすべての周辺が、環太平洋火山帯――たいがいの時期、アルゼンチン中央部から展開し、アラスカへ北上し、シベリア東部へわたって、南太平洋の諸列島へ南下し、ニュージーランド、オーストラリア東部、タスマニアに連なる、ほとんど途切れのない地震の列――である。その「ほとんど途切れのない」部分は、下図に示される、過去10年間に記録されたすべての地震を記したアニメーションの最終映像でとりわけ顕著になっている。
Credit: NOAA/NWS/PTWC
「環状火山帯」に沿って発生する地震の圧倒的な大多数は小さい――感じるか感じないか程度に軽度の――ものだが、地球上最強の地震のいくつかもまた、この地域内で数えられている。

22004年「ボクシングデイ*」地震・津波

*[クリスマス翌日の1226日。郵便配達人や使用人などに日頃の感謝を込めてギフト・ボックスを贈る習わしがある]

ビデオがはじまってまもなく(ちょうど10秒後)、アニメ画面の左側に大きく明るい閃光が現れる。その後に残る大きなオレンジ色の円(下図)が、破壊的な2004年のインド洋地震・津波である。

2004年地震・津波のあと、当日の画像。Credit: NOAA/NWS/PTWC
Credit: Vasily V. Titov, NOAA/PMEL - UW/JISAO
この巨大断層地震は、マグニチュード9.1から9.3と記録され、インドネシアから西方の海底で発生した。海洋底が大規模に隆起したため、津波が発生し、インド洋全域に拡がって、あらゆるものを洗い流した。

地震は8分間ないし10分間つづき、1900年に記録されはじめて以来、2番めに最悪のものとして登録されている。非常に強力な地震であったので、惑星全体が――まるで巨大なベルのように、だれかが惑星の表面を打ったように――1センチメートルも振動したほどだった。

その津波は史上最悪の激しいものにランクづけられ、いくつかの地域では波高30メートルに達して襲来した。

この壊滅的な災害の最終死者数は現時点で不明のままである。最大230,000人が命を奪われ、125,000人以上が負傷し、45,000人以上が行方不明、175万人が移住を余儀なくされたと推定されている。

32011年「東日本大震災」

ビデオの126秒目に、2004年地震にほぼ匹敵するマグニチュード9.0地震が発生する。2011年東北大地震(別称、東日本大震災)は惑星の地軸を最大25センチメートル動かしたと推定され、11,000回の余震を伴い、その最近のものは、なんと20149月!

2011年地震・津波当日の画像。Credit: NOAA/NWS/PTWC

2011年津波の伝播。Credit: NOAA


これは、史上最大規模で集中的に記録された地震と津波であり、地震そのもので被災したほぼ全域、そして――いくつかの地域で最大波高40メートルに達し、内陸に最大10キロメートルまで押し寄せた強力な津波に浸水された――日本東岸すべての写真やビデオが残された。

死者は16,000人近くに達し、6,100人が負傷、2,600人が行方不明のままである。

推定被害合計額――災害そのものの被害額だけでなく、その波及効果による経済要因すべてを含めたもの――は2350億ドル[28兆円]に達し、史上最高額の被害を出した天災とされている。

次のでっかいやつは?

地震予報は、せいぜい言っても困難であり、実際にはほぼ不可能である。それでも科学者たちは諦めず、次の地震がいつ発生するかを予告するための研究に精を出している。信頼しうる予測システムが開発されるなら、数えきれない人命を救うことができるだろう。

特定の地域において大地震が発生する頻度を調べることが、現時点でも可能な最善の研究であり、それによって、大地震が次に起こる時期をおおまかに把握することができる。

目下、ブリティッシュコロンビア州各地を含む北米西岸にかなりの地震が襲う将来のリスクがある。20139月、気象ネットワークでお話しいただいたサイモンフレーザー大学地球科学教授、ブレント・ワード博士によれば、ヴァンクーヴァーを含む太平洋北西部の「でっかいやつ」はマグニチュード9.0に達しかねず、2004年と2011年の災害に匹敵する被害を地域にもたらしかねないという。問題は、いつ起こるかだけである。

ビデオ:「ヴァンクーヴァーが不安定な地震活動の中心部にあることを示す新研究」

マンハッタン計画の置き土産~ニューヨーク州タナウォンダ埋め立て処分場の核廃棄物

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WKBW BUFFALO[ニューヨーク州バッファロWKBK



トナウォンダに置き去りにされたマンハッタン計画の核廃棄物







エド・レイリー Ed Reilly 201515



住民や当局者らは憤慨し、米陸軍工兵隊にトナウォンダ埋め立て処分場からのマンハッタン計画の核廃棄物の除去を要求している。WKBW


[リヴァーヴュー小学校位置図]


【ニューヨーク州トナウォンダ(WKBW)】チャールズ・シュマー上院議員(民主党・ニューヨーク州)は、米陸軍工兵隊がトナウォンダ埋め立て処分場の放射性廃棄物の処分方法をまとめるにあたって、もう少し急がせようと努めている。

シュマーは、怒りの住民、そしてトナウォンダの市と町の当局者らが出席した朝の記者会見で、「工兵隊はこの作業を2104年末までに完了するとされています。いまは2015年です」と語った。

その核廃棄物は、世界最初の原子爆弾を開発した第二次世界大戦時のマンハッタン計画の置き土産である。エネルギー省が1991年に広さ55エーカー[222,600 m2]のトナウォンダ埋め立て処分場を調査したさい、その核廃棄物が見つかった。

2010年の調査によって、埋め立て処分場の近くに住む多くの住民が雨や雪のときに感じていた現象、土壌の侵食のために放射性廃棄物が露出すれば、問題が発生することが判明した。

「正義のために団結する市民たち」代表、ジョイス・ホーゲンカンプは、「水によって、裏庭、住宅地、学校へ一直線に流れ込みかねません」と付け加えた。

廃棄物が深さ約2フィート(60 cm)の土で埋められている区域に非常に近い場所に、トナウォンダ市立リヴァーヴュー小学校がある。

「わたしたちの子どもたちは外で遊んでいるのですよ。子どもたちにとって、真っ当ではありません」と、ホーゲンカンプは評した。

米陸軍工兵隊バッファロ地区司令官、カール・D・ジャンセン中佐は批判に対して、次のように応えた――

「シュマー上院議員殿にトナウォンダ埋め立て処分場に感心と注目を寄せていただき、工兵隊は感謝を申しあげます。われわれは、権限と資金の限度内で、人間の健康と環境を守り、技術的に堅実、環境的に維持可能、経済的に妥当である解決策に向けて全力で取り組んでおります」

工兵隊は、後ほど2015年春に実現可能性調査報告とプロジェクト案を公表するという。

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米陸軍工兵隊の対応の全体像は次の通り――

-        工兵隊は、1974年に始められ、元使用敷地修復行動計画、略称"FUSRAP"と称するプログラムにもとづいてトナウォンダ埋め立て処分場を調査しており、米国の初期原子力・核兵器開発計画の結果として汚染された用地を特定、調査し、浄化または制御しようとしている。

-        工兵隊は1997年にアメリカ連邦議会によってFUSRAP管理を付託された。バッファロ地区部隊は、五大湖・オハイオ川師団の内部でFUSRAP現場管理を委任されている。

-        工兵隊は、1980年包括的環境対処・補償・責任法(CERCLA)修正条項および国家石油・有害物質汚染緊急時対応計画(NCP)に定める検証・対処枠組みに従う法的責任を有する。初期対応として、①汚染の性格と範囲、人間の健康と環境に対する潜在リスクを判断する修復調査、②FUSRAP関連物質に対する被曝による将来の潜在的な許容不可リスクを緩和するための修復方針を開発、評価する実現可能性調査、③工兵隊が好む修復案をパブリック・コメントに付し、最終的な修復案の決定にいたる手続きを記録した上でのプラン提案などが求められる。決定記録が完成した後に、選択された修復方針が実施される。トナウォンダ埋め立て処分場の修復作業の時期は、すでに修復が実施されている用地の完工とFUSRAP資金の調達可否にもとづいて決定される。

-        トナウォンダ埋め立て処分場はエネルギー省(DOE)が1991年に実施した放射線学的調査の結果、やはりトナウォンダ町にあるリンデFUSRAP対象地の近隣地所としてFUSRAP対象に指定された。工兵隊は、連邦議会が1998年度にプログラム管理を移管したときに、プロジェクト実施を開始した。

-        海兵隊は、処分場に埋設されたFUSRAP関連物質に対する被曝による将来の許容できないリスクを緩和するための修復代替案を開発し、評価するための実現可能性調査を準備している。実現可能性調査と併せて、工兵隊が好む埋め立て処分場修復案を提示する計画案が今年の春に公表される。この計画案に対する一般の人々による検討とコメント表明が推奨される。海兵隊は、実現可能性調査と計画案の公表を同時におこなうことで、埋め立て処分場のFUSRAP関連物質に対処する方法の決定に要する時間を大幅に短縮することにした。計画案に対する一般の人びとと利害関係者のコメントは、最終修復案の選別期間に考慮され、2016年に作業現場に関する決定の記録として公文書になる。

-        リスクは被曝によって生じる。埋め立て処分場の放射性物質は、敷地の大部分で深さ約2フィートの土で埋められている。埋め立て処分場にいなければ、被曝することはない。一つの理由としてニューヨーク州環境保全省(DEC)が地域で実施した調査によれば、トナウォンダ埋め立て処分場に埋設された放射能汚染物質が近隣住宅地や小学校に移動したか移動していることを示す形跡はない。DEC2007年にこれらの地所のガンマ踏破調査を実施した。評価の結果、調査地域内にウラニウム選鉱の放射性廃棄物の存在を示す兆候はないと結論づけられた。DECはさらに2008年、トナウォンダ埋め立て処分場に近接する地所の地下から排水試料を採取した。埋め立て処分場に境界を接する住宅の排水に埋め立て処分場の汚染物質は入り込んでいなかった。トナウォンダ町埋め立て処分場に埋設されたFUSRAP関連物質による人間の健康と環境に対するリスクは、現在の用地の状態と使用状況において、NCPで定められた許容限度内に収まっている。

-        連邦議会が国家プログラムに対する年度ごとの予算を割り当てる。国家プログラム予算は、人間の健康に対するリスク度と浄化作業局面にもとづき、対象地ごとに配分され、対象地の浄化作業が完全・効果的に完遂されるように保証する。

-        近隣地所のFUSRAP調査によって埋め立て処分場に埋設された土壌のウラニウム、ラジウム、トリウム濃度が地域で自然由来とされるレベルより高いと認定された。これらの物質は、トナウォンダ町内の他のFUSRAP用地のそれと同じだった。

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シュマー上院議員事務所が公表した埋め立て処分場に関するプレスリリースの全文――

チャールズ・E・シュマー米国上院議員は本日、米陸軍工兵隊に対して、トナウォンダ埋め立て処分場の地下に数十年にわたり埋設されてきた放射性物質に関し、待望久しい浄化計画を公表するように要請いたしました。

この廃棄物は大部分がマンハッタン計画の時代から置き去りにされてきたウラニウムであって、各所の土壌を汚染しており、なんらかの対処を施さなければ、汚染現場からほんの数フィートの場所にあるリヴァーヴュー小学校の生徒たちなど、地域住民に健康上の悪影響をおよぼしかねないと専門家たちは信じております。シュマーはトナウォンダ埋め立て処分場に隣接したラス・ホフマンの住宅の現地に立って、地域住民と連邦政府はこの汚染について何年も前から気づいていたが、用地を修復し、不安を軽減するための計画は提案されなかったと述べました。

陸軍工兵隊は、2014年末までに一連の用地修復案を開発する予定でしたが、現在のところ、一案もできていません。シュマーは工兵隊に計画立案を急ぐように求めるとともに、放射能汚染地を浄化する連邦プログラム予算の増額を確保するための行動を開始しました。シュマーは、この元使用敷地修復行動計画(FUSRAP)と称するプログラムの予算が長年にわたり嘆かわしいほど不足していたと述べるとともに、国内のどの地域にも増して修復の必要がある放射能汚染地を抱えるニューヨーク州西部にとって、格別に予算増額の確保が重要であると語りました。

シュマーは次のように述べました――

「トナウォンダ埋め立て処分場の地下に埋設された放射性廃棄物は潜在的な危険の温床であり、いまこそリスクを軽減するための計画を実行に移さなければなりません。トナウォンダの住民には陸軍科学顧問団(ASAP)の計画案の提供を享受する資格があり、これがあって初めて、最初の原子爆弾の置き土産を裏庭から決定的に除去できるでしょう。工兵隊は用地のリスク・モニタリングでは優れた仕事をしましたが、彼らによる最近の評価の結果、埋め立て処分場は早急に浄化される必要があり、さもなければ、人びとの健康に深刻なリスクがおよぶことが明らかになりました。ご両親たちは、ご自身のお子さんたちが屋外で遊ぶのを心配したり、リヴァーヴュー小学校に通学させるかどうか迷ったりするべきではありません。これこそ、わたしが工兵隊に用地浄化計画をただちに完了させるように求める理由なのです。それが地域の不安を和らげ、リスクを管理する最善の方法なのです。

「ニューヨーク州西部には他にも、国内のどの地域にも増してマンハッタン計画の置き土産である放射能汚染物質を抱える用地が多くあり、これらの用地を浄化するプログラムの実行予算が来る年も来る年も不足しているのは受け入れられないことです。ニューヨーク州西部は5か所の放射能汚染地を抱え――そのすべてがやがて近隣の住民に脅威をもたらしかねず――問題が深刻になる前にすべてを浄化するためには、FUSRAPプログラム予算の増額を確かなものにしなければなりません。わたしは次の議会で、これがニューヨーク州西部にとって、どれほど重要であるか、同僚議員に明らかにし、FUSRAP予算の増額のために全力をあげて戦います」

ニューヨーク州が実施した調査の報告によれば、1944年から1946年にかけて、陸軍のマンハッタン計画から排出された膨大な量の放射性廃液がリンデ・セラミックス工場ウラニウム精製場の地下井戸に注入されました。それらの井戸が目詰りし、あふれるようになると、作業員らはツーマイル川に流れる水路に廃液を投棄しはじめました。1940年代末から1950年代初頭にかけて、ツーマイル川から掘りあげられた放射性堆積物が、トナウォンダ市とトナウォンダ町の境界上のI-290地点のすぐ北にある55エーカー[222,600 m2]の地所であるトナウォンダ埋め立て処分場の地下に投棄しました。これまでの調査によって、トナウォンダ埋め立て処分場の小区域の土壌のラジウム、トリウム、ウラニウム濃度レベルが高まっていることが判明しています。

放射性廃棄物がトナウォンダ埋め立て処分場に長年にわたり投棄されていたにもかかわらず、エネルギー省(DOE)が地所の放射線調査を実施した1990年代初期まで知られずにいました。この調査によって高レベルの放射性廃棄物が見つかった結果、埋め立て処分場の一部が隣接する干潟とともにFUSRAP対象地に指定されました。米国は1940年代、1960年代、1960年代を通して、初期の原子爆弾および原子力の国家開発によって汚染されましたが、FUSRAP1974年、現場を特定、調査して、浄化したり管理したりするために発足しました。

FUSRAP対象地に指定されてから、FUSRAPを担当する米陸軍工兵隊(USACE)は、放射性廃棄物が人間の健康にリスクを負わせているかどうか判断するための調査を2度実施しました。最初の基本調査では、人間の健康に対するリスクはないと判断されましたが、最初の調査で用いられたデータについて疑問が持ち上がった結果、2010年に実施された2度目の調査では、特に土壌侵食の結果、放射性廃棄物が露出した場合、潜在的なリスクがあることが判明しました。第2回調査による知見の結果、目下、工兵隊は人間の健康に対する将来の潜在的リスクを緩和するための計画案を開発、評価しております。シュマーは工兵隊が2014年にこの評価を完了する予定であると述べましたが、地域住民はいまだに計画案や提案を受け取っておりません。

シュマーは工兵隊に対して、潜在的な修復案を仕上げ、できるだけ早く公表するように申し入れました。シュマーは、トナウォンダ埋め立て処分場が非常に多くの住宅や近隣の学校に近接しているので、放射性廃棄物の封じ込めと浄化が特別に重要であると述べました。埋め立て処分場の北に境を接してトナウォンダ市の主要住宅地があり、埋め立て処分場からほんの数フィート離れてリヴァーヴュー小学校があります。シュマーは、埋め立て処分場から流出する雨水が汚染されかねないと住民が心配しており、控えめに言っても、ただちに修復計画を実行しなければ、自然侵食によって、地下に埋設された放射性物質が露出しかねないと懸念していると述べました。シュマーは、計画をただちに実行して、近隣のお子さんたちが屋外で遊んでも、ご両親たちが地下に埋められたものについて不安に感じなくて済むようにしなければならないと語りました。

シュマーに、トナウォンダ町行政官のアンソニー・カルーアナ氏、トナウォンダ市長のリック・デイヴィス氏、「正義のために団結する市民たち」代表のジョイス・ホーゲンカンプ氏、ラス・ホフマン氏など、埋め立て処分場の近隣に住む地域住民たちが同伴していました。

トナウォンダ町行政官のアンソニー・カルーアナ氏はこう述べました――「トナウォンダにFUSRAP対象地に指定された地所が5か所あります。一部が改善されただけです。わたしたちはすべてが改善されるための計画と行動を何十年も待ちました。わたしたちの町とニューヨーク州全域に残っている地所を改善するためのFUSRAPプログラム予算の増額を求めて戦う旨のシュマー上院議員の決意表明をわたしたちは大いに評価いたします」。

トナウォンダ市長のリック・デイヴィス氏はこう述べました――「この問題に関してなんの行動もなく、健康と安全について心配なので、わたしたちの地域から友人たちや隣人たちが転居するのを目にしてきました。本日、シュマー上院議員に当地にお越しいただき、トナウォンダ市住民の生活の質を改善するために、この地所を浄化することの重要性を認識していただき、ありがとうございます」。

「正義のために団結する市民たち」代表のジョイス・ホーゲンカンプ氏はこう述べました――「わたしたちは地域住民と住宅所有者を代表し、シュマー上院議員には、早急に浄化プランを実施させるためのわたしたちの取り組みを支援するため、本日、当地においでいただいたこと、このようなトナウォンダにある地所の浄化をなおも遅らせるのを防ぐために、予算増額を図るように動いてくださっていることについて、とても喜んでおります。わたしたちの全員が暮らし、家族を養っているトナウォンダを、清浄で安全な場所にするために、上院議員に頑張っていただいていることに拍手いたしします」。

ハケット通り85番地の自宅裏庭が汚染された埋め立て処分場に向かう合うラス・ホフマン氏はこう述べました――「わたしには5歳になる孫息子がいますので、この運動にかかわることになりました。孫のためにも、将来の世代のためにも、清浄な環境を遺産として残すのが、われわれの義務であるとわたしは信じております。シュマー上院議員には踏み込んでいただき、陸軍工兵隊に浄化プランの公表を求めたこと、またこのような場所を浄化するための予算を増額させたことに感謝いたします」。

シュマーはまた、FUSRAP連邦予算をさらに増額するための活動を開始しました。シュマーは、ニューヨーク州西部には、目下、米陸軍工兵隊が監視し、修復処理をしようとしている放射性廃棄物がある地所が5か所存在すると指摘しました。トナウォンダ埋め立て処分場以外の4か所とは、①ロックポートの元グタール特殊鋼製鉄所、別称シモンズ鋸・製鉄社工場、70エーカー[283,300 m2]、②現在、プラクスエアー社が所有・操業しているトナウォンダのリンデ工場、135エーカー[546,300 m2]、③ルイストンの連邦所有地、ナイアガラ滝貯蔵所、19エーカー[76,890 m2]、④やはりトナウォンダの民営埋め立て処分場、シーウェイ処分場、93エーカー[376,400 m2]です。

シュマーは、現在、実施中のFUSRAPプログラムは10州の24か所におよび、ニューヨーク州西部の5か所はどの地域よりも多いと言いました。このような地所がニューヨーク州西部に多いこと――そして、そのいくつかは進展が芳しくないこと――が、FUSRAP予算増額を求める取り組みをはじめた主な理由のひとつであると語りました。陸軍工兵隊がプログラムを担当しはじめた1997年以来、FUSRAPの年間予算は14000万ドル[165億円]から15000万ドル[177億円]の範囲内にとどまっており、2009年に米国再生・再投資法成立の余波の一環として追加予算が配分され、最高額の24000万ドル[283億円]を記録しました。しかし、2012年以降、相当な幅で減額され、11000万ドル[130億円]以下にまで落ち込みました。じっさい、本年、大統領は2015年度予算として1億ドル[118億円]を要求しただけです。シュマーは、この減額傾向は容認しがたく、ニューヨーク州西部のリスクを――全米のどの地域にも増して――放置するものであると述べ、来るべき2016年度予算編成手続きの一環として予算増額を働きかけると約束しました。

以下に、シュマーが米陸軍工兵隊宛てに送付した書簡のコピーを添付しておきます――

ダーシー次官補殿

拝啓

わたしは本日、トナウォンダ町に所在する元使用敷地修復行動計画(FUSRAP)対象の地所にかかわる緩和プランの完了が遅れていることに懸念を表明いたします。当該の物件は、トナウォンダ埋め立て処分場の地下に存在し、1992年からFUSRAPプログラムの対象とされておりますが、陸軍工兵隊は、現地を浄化し、人間の健康に対する潜在的なリスクを緩和するための実現可能性調査計画案をいまだに公表しておりません。工兵隊が実施した調査によって、住民が浸食作用により汚染物質に被曝しかねないので、緩和措置が必要であると判明した結果、現地の基本リスク評価は20126月に改訂されております。緩和計画の前進を期するため、工兵隊は実現可能性調査計画案を公表しなければならず、したがって、わたしは貴官に対し、できるだけ早急にこの計画案を前進させるため、バッファロ管区に働きかけていただくようにお願いいたすものです。

工兵隊自体の予定によれば、計画案は2014年末までに公表されるはずでしたが、いまだに実現可能性調査計画案は提出されておりません。緩和予算確保のために要する時間が長引くことに鑑み、工兵隊ができるだけ早急に実現可能性調査計画案を公表することが決定的に大事です。わたしとしても、このような現場が本質的に複雑であり、徹底的な検討が必要であることは理解しておりますが、トナウォンダの住民はこの現場の作業をあまりにも長く待ち望んできました。さらに、現場が住宅地に近接していることを考慮しますと、計画立案手続きを迅速化し、緩和プラン実施に向けて前進することは、工兵隊の最優先事項とされるべきです。

貴官には、この問題にご注目いただき、またこの現場の浄化作業の進展にご助力いただき、感謝いたします。質問やさらなる情報請求の必要がございましたら、ご遠慮なくわたしの事務所にご連絡ください。

敬具

米国上院議員 チャールズ・E・シュマー

英紙インディペンデント:アントロポセン~核実験が開いた地質年代の新しい時代

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アントロポセン[人新世]:最初の原爆実験が人類時代の幕開け

核時代の幕開けが、人類進出「大促進」時代の始まり
スティーヴ・コナー STEVE CONNOR 科学部編集員  2015115

1945716日、ニューメキシコ州アラモゴードの米陸軍実験場で最初の原子爆弾実験がおこなわれ、この最初の歴史的な爆発をもって、地球の新しい地質年代の幕開けになったと科学者たちが決定した。


その後の一連の核実験が消すことのできない放射性降下物の刻印を地球の全域に残すと同時に、他の人間活動の「大促進」が世界規模ではじまり、それが新たな地質年代を招来したと科学者たちは語った。


アントロポセン[大気化学者パウル·クルッツェンの2000年の造語。anthropo(人間)+ cene(新しい)]――人新生[仮訳:顕生代第四紀完新世につづく最も新しい時代とする仮説]――は、まだ地質学者の国際学会で論争の渦中にあるが、これを研究するために設立された検討部会は、その幕開けを区切る特定の日付があるとすれば、1945716日がそれにあたるだろうと信じている。


「あれは年代のなかでとても重要な歴史的な瞬間だったので、その日を選ぶのは現実的な決定でした」と、レスター大学の地質学者でアントロポセン概念構築の第一人者のひとり、ジャン・ザラシーヴィッツはいう。


科学者たちはこれまでにも、人新生は10,000年前のメソポタミアにおける農業の創始、または18世紀の英国における産業革命のどちらかではじまったと言えるのではないかと論じていた。


しかしながら、この二つはどちらかと言えば、地域的なできごとであり、20世紀中葉の核兵器実験は放射性核種を世界中に拡散した。これは、最初の実験こそが人間活動による消し去ることのできない痕跡が世界全体に刻印される始まりであったことを意味すると、地質年代区分の変更を管理する国際層序委員会が設置したアントロポセン検討部会の座長でもあるザラシーヴィッツ博士は語った。


「どのような地質年代指標もそうですが、これは完璧な指標ではありません。1950年代初頭に核実験が一斉に実施され、世界の放射能レベルは一気に上昇しました。だが、これは、人間主導の惑星規模の変化の証拠を一本化するための最適な方法なのかもしれません」と、ザラシーヴィッツ博士はいう。



これまでの地質年代を区切る転移、または境界は、超巨大火山の大噴火とか、6500万年前に恐竜の絶滅を促進したものなど、巨大な小惑星の衝突といった地球規模の事象が原因になった地質記録における「絶好の激変」によって刻印されていた。


核時代の幕開けはまた、科学者たちのいう「人間活動の大促進」を招来した世界規模の戦後経済拡張と同時進行していた。後者もまた、地球、その地質、その生物圏に消すことのできない刻印を残したと、ストックホルム、地球圏・生物圏国際協同研究計画のウィル・ステフェン教授は語った。


「変化の規模と速度を過剰評価するのはむつかしいです。人類は1世代のあいだに惑星規模の地質改変勢力になってしまいました」と、ステフェン教授はいう。


科学者たちは、気候変動や世界人口の拡大からミネラルや栄養素の循環まで、広範な惑星規模の「指標」を研究し、人間活動はいまや地球上の変化の主要な駆動力になっていることを究明した。


ステフェン教授はこういう――


「これらのデータの組み合わせを最初に統合したとき、重要な変化を目にすることができると期待していましたが、驚いたのは、そのタイミングでした。



「ほとんどすべてのグラフが同じパターンを示しています。最も劇的な転移が1950年から生じているのです。1950年ぐらいに大促進が開始したといえるでしょう。


1950年以降、主要な地球システム変動が世界経済システム関連の変革に直結するようになったのを見ることができます。これは新しい現象であり、人類が世界規模で惑星に対する新たな責任を負っていることを示唆しています」


アントロポセン・レヴューAnthropocene Review誌上で公表された知見は来週、スイスのダヴォスで開催される世界経済フォーラムで紹介される。


韓国水力・原子力発電がハッキング攻撃を受け、老朽原発閉鎖の可能性

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韓国水力・原子力発電がハッキング攻撃を受け
老朽原発閉鎖の可能性

ロイター REUTERS

2015112

ミーヤン・チョー Meeyoung Cho

【ソウル、112日(ロイター)】韓国の核事業会社[韓国水力原子力発電株式会社]がハッキング被害をこうむった結果、安全上の懸念が生じたため、国内で2番めに古い原子炉が恒久的な停止を余儀なくされるかもしれないと複数の原子力規制委員が述べ、老齢化した他の原子炉も停止される恐れも浮上している。

「事業会社はハッキングを防止できず、どれほど多くのデータが漏出したかも把握できていない。それでも老朽原子炉の稼働が許されるなら、リスクが高まる一方になる」と、月城1号炉の再稼働申請を今月中に審査することになる委員9名のひとり、キム・へジュンはいう。

月城1号炉は2012年に30年の耐用年数に達して停止しており、その将来は、耐用年数が2017年まで10年間の延長を認められた最も古い古里1号炉など、他の原子炉の命運を左右する。原子力発電は韓国の電力供給量の約3分の1を占めている。

2012年に原子炉の一部が停止し、このアジア第4の経済大国は原子力の代わりに液化天然ガスと火力発電用の石炭を使うことを余儀なくされており、さらに原子炉が停止すれば、燃料輸入が急増するだろう。

その結果、温室効果ガスの排出量も増え、韓国政府にとって、2020年までに産業部門の排出量を30パーセント削減する目標の達成も困難になるだろう。

出力679メガワットと小型の月城1号炉を運営する韓国水力・原子力発電株式会社は、先月、本社コンピュータ・システムがハッキング被害にあったが、すべての原子炉は安全であると発表した。

この事業会社は国営の韓国電力公社の傘下にあり、月城1号炉の再稼働を企てており、韓国の電力の3分の1を生産している。

原子力安全委員会は早ければ115日、月城1号炉の耐用年数を2022年まで10年の延長を認めることの可否の審議をはじめる。

委員9名のうち、ロイターが接触した5名は、月城1号炉の運転期間延長を疑問に思うと述べた。「この原子炉は設計耐用年数に達しています。改修しても、やはり安全ではありません」と、キム・イチョン委員はいう。

5名が再稼働反対を表明すれば、この原子炉は恒久的に停止する。他の委員は接触できなかったり、発言を拒んだりした。

韓国水力・原子力発電は、同社の原子炉が、ハッキングされた同社のコンピュータやインターネットのように外部から接続されることがないので安全であると主張する。

韓国水力・原子力発電の広報担当者は、規制当局がいかなる決定を下しても、同社は受け入れると話した。

原子炉が安全だと判断している委員たちでさえ、世論の圧力などの他の要因が、早くて2月に予想される彼らの決定に影響すると考えている。

2011年に日本でフクシマ惨事が発生し、2012年に韓国で原子炉部品の偽造品質証明が発覚して以来、原子力に対する不安が深まっている。


http://link.reuters.com/pyx92w
【外部リンク】

セラフィールド――世界一危険な核廃棄物施設のショッキングな状態

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セラフィールド――
世界一危険な核廃棄物施設の衝撃的な状態
フレッド・ピアース Fred Pearce 2015年1月21日

核時代の黎明期にまで遡る放射性廃棄物を抱える英国のセラフィールド。Image: Sellafield Ltd
謎めいたスラッジの巨大なプール、漏れのあるサイロ、爆発の危険――セラフィールドは支援を必要としているのに、英国政府は浄化を実施している企業体をお払い箱にした。

世界で最も危険な放射性廃棄物貯蔵施設2か所で安全上の懸念が高まっているにもかかわらず、急を要する浄化作業は少なくとも5年間は延期されるであろう。

その廃棄物は、核時代の黎明期にまで遡る時代の放射性廃棄物を抱える英国のセラフィールド核再処理施設で保管されている。放置された施設で事故が発生すれば、放射性物質が大気中に放出され、英国全域とその彼方まで拡散しかねない。

英国政府は先週、民間共同企業体に委ねていたセラフィールド浄化作業の800億ポンド[143000億円]契約を破棄し、外郭団体の原子力廃止措置機関NDA)に再度その仕事を任せることにした。浄化作業は2120年に完了する予定であり、英国政府の年間支出は1900万ポンド[34億円]である。

民間共同企業体であるニュークリア・マネジメント・パートナーズは、2008年当時のエネルギー大臣、マイク・オブライエンの声明によれば、「世界有数の専門技能を導入」し、それによって政府は「数十年間、無為に過ごしても、遺産を相続できる」はずだった。だが、この民営化実験は6年目に放棄されてしまった。

この突然の再国営化は、優先的に浄化される4か所の廃棄物保管施設のうち、2か所で遅れが出たのを受けたものである。4か所の貯蔵槽とサイロは60年間以上の操業で貯めこまれた高レベル放射性物質を何百トンも収容している。朽ちかけた構築物はひび割れ、土壌に廃棄物を漏出し、腐食で発生するガスによる爆発のリスクを抱えている。

昨年4月に公表されたNDA事業計画[NDA Business Planによれば、使用済み燃料および1950年代から60年代にあたる英国初期の核兵器製造の廃棄物を収容している100メートル中堀燃料貯蔵槽の保管物除去は2025年までに完了する計画になっていた。だが、協議のために12月に配布された新たな事業計画案[NDA Draft Business Plan]の予定表によれば、この作業は2030年までに完了しない。1964年以来、満杯になっている高さ21メートルの中堀燃料被覆サイロも同じように、除去作業の完了予定は2024年ではなく、2029年になっている。

NDA広報担当者はニュー・サイエンティスト誌に次のように語って、予定変更を認めた――「独特の技術的な課題、それに、廃棄する方法も考えずに建造された、これらの施設の複雑さを考慮すれば…計画に不確実性がつきまとい続けます」。

セラフィールドは1940年代末、英国の原子爆弾のプルトニウムを製造するためにイングランド北西部、カンブリア州の海岸に建造された。用地内に世界初の商業用原子力発電所も抱え、また原子炉の高レベル放射性廃棄物の貯蔵センターにもなった。

高レベル放射性廃棄物の大半は、それぞれがオリンピック水泳競技用プールの数倍の規模の貯蔵槽に廃棄された。常時循環している冷却水が廃棄物を低温に保っているが、燃料棒の金属被覆を腐食させ、数百立方メートルのスラッジを発生させてもいる。

その結果、貯蔵槽の正確な内容物は不明であると、セラフィールドの政府所管、国立核研究所の業務執行監督、ポール・ハワース(Paul Howarth)はいう。「モノを回収する方法を究明する前に、在庫の特性を明らかにするためだけで、われわれは研究開発をどっさりこなさなくてはなりません」。

そして、問題は悪化する一方である。将来、施設が閉鎖されるとき、廃棄物はやはりセラフィールド送りになる。英国の施設は、大部分が鋼鉄でなく、コンクリート製であり、そのため、解体がずっと困難になると、マンチェスター大学のティモシー・アブラム(Timothy Abram)はいう。それはまた、30倍の放射性物質が発生することも意味する。それに、サマセット州[イングランド南西部]ヒンクリー・ポイントで新たな原発が建造されようとしているので、セラフィールド送りの放射性廃棄物の量が増えるかもしれない。

もうひとつの独特な遺産は、燃料被覆材に使われ、セラフィールドで保管中の90,000トンの放射性黒鉛である。黒鉛は放射線を浴びると、ウィグナー・エネルギーと呼ばれるエネルギーを蓄積し、これが1957年の英国最悪の核事故の原因になった。研究者らはいまだに安全性に信頼の置ける放射性黒鉛の廃棄法がわかっていない。

他の欧米諸国は古い核施設をできるだけ早く解体する政策を採用しているが、英国はまず1世紀かそれ以上長く先延ばしするように計画している。すでに存在しているものを浄化する前に、もっとたくさんの放射性廃棄物を欲しがるものはいない。

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本稿の印刷版の表題は、"New delays hit Sellafield clean-up"[「セラフィールド浄化作業に新たな遅れ」]。

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危険分野

パイル1号炉は、英国の原子爆弾プロジェクトを支えるために建造された原型炉2基のひとつである。1957年に炉心が発火し、国内最悪の核事故になった。火災が収束したとき、炉心は封印され、目下のところ、放置しておくのが最善の策であると考えられている。

パイル燃料貯蔵槽は、兵器用原子炉と発電用原子炉、両方の使用済み燃料を収容している。放射性廃棄物に加えて、貯蔵に要する作業で生成されたスラッジが、水を満たし、劣化しつつあるコンクリート構造物のなかに格納されている。スラッジの除去作業が進められている。この貯蔵槽は1970年代以降、廃棄に使われることもなく放置されてきた。

パイル燃料被覆サイロは、燃料棒を囲い込む3200立方メートルのアルミ被覆をびっしり詰め込まれ、その多くは1950年代の兵器用原子炉から送られてきた。これは1960年代中ごろ以来、封印されているが、腐食のため、水素が発生し、爆発につながる恐れがある。

使用済みマグノックス炉燃料貯蔵槽は、ヨーロッパで最も危険な産業建造物であると考えられている。長さ150メートルの露天貯蔵槽に鳥が飛来し、ひび割れのため、放射性物質が土壌中に漏れだしている。そこになにがあるか、誰にもわからないが、1トンものプルトニウムを収納しているかもしれない。

マグノックスくず保管サイロは、ヨーロッパ第2の危険な産業建造物であると考えられている。これは、燃料のマグネシウム被覆を水中で保管している。コンクリートのひび割れからスラッジの一部が漏れだし、貯蔵容器の腐食によって放出される水素のため、爆発のリスクを抱えている。

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ニュー・サイエンティスト【論説】英国の核廃棄物浄化計画が迷い込んだ長い隘路

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論説
英国の核廃棄物浄化計画が迷い込んだ長い隘路
We're in for the long haul in UK's nuclear clean-up

2015122


核の基幹施設の廃棄処理より厄介な工学的な課題はほとんどない。そして、セラフィールドの閉鎖より厄介な廃棄処理の課題はほとんどない。英国の核計画発祥の地――そして、世界最初の大規模原発事故である1957年のウィンズケール火災の現場――は、10,000人の労働者が暮らす、狭苦しく古い施設である(当ブログ記事「世界一危険な核廃棄物施設のショッキングな状態」を参照のこと)。

セラフィールドの浄化に関して、英国政府は入札めいたことをしている。大変なことに、これは結局、この施設に特有で複雑な問題に対する財務調査になっている。これは否応なく、新たな問題を招き、請求金額が膨れ上がり、予定表の期限が先延ばしになる。

そうなれば、管理職の首を切り、総入れ替えしたなる誘惑に駆られる。2008年、労働党政権は浄化作業を民営化し、先週、連立政権は国営化に戻した。だが、首脳陣を入れ替えても、基本的な問題の解決にはならない。

英国は半世紀前、大急ぎで核抑止力と原子力発電を構築した。当時の拙速主義の結果、われわれは今、長い隘路に迷い込んでいる。浄化プログラムは、ずっと先の2120年まで延々とつづく。きっと不愉快な想定外の事態が勃発するはずだから、それがさらに先延ばしにならない方に賭けるべきではない。指揮者が誰であっても、その保証にかかわらず、それは延々とつづく。延々と。

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いまこそ憲法9条を2015年ノーベル平和賞に @JapanFocus

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アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス

アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析


憲法9条を2015年ノーベル平和賞に

2015119

アレクシス・ダデン Alexis Dudden

ノーベル平和賞委員会は昨年4月、長年にわたり国の交戦権を禁止してきた日本国憲法の条文、第9条の保全に努めてきた日本国民を授賞候補に採用した。

いまさらながら、元来の定義付けが時には役に立つ。スウェーデンの化学者、アルフレッド・ノーベルは18951127日付けで記した遺言で、彼の財産の大部分を5分野の賞のために使うこと――そして、説明を付さずに、その一つを「平和」賞とすること――と定めた。そのため、セオドア・ルーズベルトやヘンリー・キッシンジャーなどに賞を授けることになり、このような人物らは多くの人が戦争を連想するので、賞の徳を眉唾ものにしてしまった。それにしても、ノーベルが定めた元来の条件は、「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最大または最善の貢献」をした人物に賞を授けるというものであり――2014年のあっぱれな受賞者、マララ・ユスフザイおよびカイラシュ・サティーアーティ、以前のやはり立派な受賞者、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、アルバート・シュバイツアーなどのように――希望を表すことには変わらない。

アルフレッド・ノーベル書簡のことばに込められた意図に従うなら、第9条に定める、暴力の極致を遂行する国権の放棄の保全に努める日本国民を措いて、最もふさわしい個人や集団はいないようである。

その条文は、理想としても、また道義の多様なありかたを想起するためにも、ここに書き留めておく価値があり、それに日本で異論にさらされつづけている――

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日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

9条支持グループは昨年の受賞を逸したが、その候補指名は国内的な支持と国際的な支持[ニューヨーク・タイムズ英文記事]を集め、論争の的にもなり、独自のウィキペディア項目[日本英語版]さえも登場している。

今年の賞のエントリー締切日は201521日である。指名手続きをもっと知りたかったり、関わったりしたい読者のみなさんは、次のリンクを参照のこと――

委員会の候補指名ルールは、みなさんのお好きな草の根型のものではない。2013年に鷹巣直美が立ち上げたオンライン署名運動は手始めに広範な支持を国内的にも国際的にも集めたが、この種の運動は、ノーベル平和賞委員会が候補に指名してからのみに手続きとして有効になる。第9条の意義を説く論文や論説も同じように、候補指名リストが――一般的に4月初めごろ――公表された後でのみ、委員会の協議にとって重要になる。

ノーベル賞委員会の定める資格基準――たとえば、特定学問分野の教授や平和学研究所の幹部――に適格であり、本年の受賞運動に参画なさりたい読者の方は、「九条の会」と「日本被団協~日本原水爆被害者団体協議会」のいずれか、または両者を日本国民の第9条保全運動を代表する実務的な支持団体に指定するべきである。

ノーベル賞委員会はこれら両団体を、第9条指名を支持する日本国民を代表する正統な組織に認定している。安倍政権とその支援者らが第9条を目下の政治的攻撃目標に定めているいま、第9条の指名はとりわけ時宜にかなっている。昨年、首尾よく指名されたあと、中傷の好きな輩たちは指名手続きをあれこれ詮索しはじめた。彼らの中傷の企みは――ノーベル賞委員会のルールによれば、ノーム・チョムスキーのような人たちによる支持が有効であり、おそらく、その過小評価できない理由により――不首尾に終わった。だが、第9条を葬り去ろうとしている連中は、その大義を傷つける取り組みを一層強め、民主党の小西洋之参議院議員、実業家の浜地道雄、ノーベル文学賞作家の大江健三郎など、日本国内で第9条を擁護する人びとの決意を固めさせており、今年の指名手続きは確実なものになるだろう。

【筆者】

アレクシス・ダデン(Alexis Duddenは、コネティカット大学の歴史学教授、アジア太平洋ジャーナルの寄稿・編集者。著書に“Troubled Apologies Among Japan, Korea, and the United States”[『日本・韓国・米国間で紛糾する謝罪』]、“Japan's Colonization of Korea: Discourse and Power”[『日本の韓国植民地化~会話と権力』]。

Also see Dudden's op-ed The Shape of Japan to Come published in The New York Times.

APJ関連記事】

Klaus Schlichtmann, Article Nine in Context – Limitations of National Sovereignty and the Abolition of War in Constitutional Law 

独誌シュピーゲル「不明確な放射線の脅威」ドナルド・レーガン乗組員の集団代表訴訟

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「不明確な放射線の脅威」
フクシマに派遣された米海軍兵らは法の裁きを求める

'Uncertain Radiological Threat': US Navy Sailors Search for Justice after Fukushima Mission

アレクザンダー・オザン Alexander Osang 

201525

米空母ロナルド・レーガンは2011311日、壊滅的な津波のあと、救援のために日本に急行した。艦を降りた水兵らの多くが、フクシマの原子炉メルトダウンによる放射線被曝の結果と思われる病気にかかった。彼らはまもなく法廷に現れる。

AFP/US Navy
20113月、壊滅的な津波が日本の東海岸を襲ってからほどなく、米海軍空母ロナルド・レーガンは人道援助を実施するために登場した。そのため、乗組員たちは危険なレベルの放射線に被曝をしたかもしれない。2011323日、艦上の放射能を除染するために飛行甲板を洗浄する水兵たち。

本稿ドイツ語原文初出
1月31日付けシュピーゲル
米空母ロナルド・レーガンは2011311日、進路変更の指令を受け、津波に襲われた日本の東岸域に向かった。命令が届いたとき、米艦ロナルド・レーガンは韓国めざして航行しており、乗員男女4,500名を統率し、同艦乗務にあたっていたトム・バークは針路を変えた。米海軍将兵らは312日、仙台のすぐ北の日本沿岸域に到着し、数週間、その海域に留まった。任務はトモダチと呼ばれていた。


「友人」を意味する「トモダチ」という命名は、後で考えれば、微妙な意味合いを含んでいた。


3年半後、レティシア・モラレス最先任上級兵曹長(マスターチーフ)はシアトル北方の寂れたデパートのカフェで、10か月前に彼女の甲状腺を切除した医師の名前を思い出そうと頭をひねっていた。彼女の隣に座った配偶者、ティファニーは大きな箱から錠剤を探し出し、モラレスの方に押しやった。


「エリクソンかなにかだったと思うわ。それともエリック、あるいはリック。ああ、わからない。医者が多すぎるのよ」とモラリスはいう。彼女はそれまでの1年半のあいだ、癌専門医、放射線科医、心臓専門医、血液専門医、腎臓専門医、胃腸専門医、リンパ節専門医、代謝専門医に診てもらっていた。「いまのわたしは毎月の半分、医者の診察室にいるのよ。今年、MRT(磁気共鳴断層撮影法)検査を20回以上も受けたわ。もうなにもわからなくなった」


彼女は錠剤のひとつを口に入れ、水を一口すすって、苦笑いする。


ロナルド・レーガンに乗り組んでいましたか、と聞いたのは内分泌専門医だった。トモダチの時でしたか? そうです、と彼女は答える。それがどうかしましたか?


モラリスが言うには、医師は最近の数か月のあいだに6回、同艦に乗り組んでいた水兵たちの甲状腺を切除したと答えた。彼女はその時になってようやく、史上最悪の民生用原発事故と彼女自身の運命の関連を悟った。


フクシマの破局的惨事は世界を変えた。テレビの生放映中に原子炉がメルトダウンを起こし、1989年のチェルノブイリ事故のさいの2倍に達する放射性物質が放出された。核災害のため、15万人の人びとが町や村から追い立てられ、環境全体が数世紀にわたる毒物で汚染され、数十万もの家畜が殺された。この災害はまた、世界中の国ぐにに原子力の使用を考えなおさせることになった。フクシマは単に地名であるだけでなく、歴史的事件になり――おまけに、レティシア・モラレスにとって、人生を一変させることにもなった。


これは痛みの伴う体験であり、それも健康状態の悪化のせいだけではなかった。この体験のため、彼女はみずからの心に奥深く抱いていた確信と衝突するまでに追い込まれた。彼女が仕えた軍隊は、日本沿岸域における任務のせいで健康に危険がおよぶことはないと告げていたが、結局、彼女は病気になっている。彼女が言うには、19歳のとき、人生を組み立て、目的をつかむために海軍に入隊した。母親が子どもたちの面倒を見ることができなかったので、彼女はあちこちの住処や里親の家庭で貴重な青春時代を無駄に費やした。ようやく父親に出会ったのは、成人してからだった。彼女は入隊後、基本訓練のためにネヴァダ砂漠に赴き、さらに海へと向かった。


必要とされるのは素敵


彼女は2008年以来、ロナルド・レーガン艦上の飛行甲板、それに水兵100名ほどの責任者を務めてきた。同艦は甲板の下に100機の航空機を格納する空間を有し、さながら海上の都市である。母港はカリフォルニア州のサンディエゴであるが、モラリスはワシントン州のシアトルに遠からぬ港に駐在していた。彼女は人生のかなりの期間を世界の海洋上で過ごし、アラブ首長国連邦、日本、韓国、フィリピン、中国、マレーシアを経由して航海した。


乗組員たちは通例、艦が岸壁を離れ、海に向かってから初めて、どこに赴くのか、知ることになる。だが、どこに向かうにしても、艦上の日常勤務がしばしば変わるわけではなく、基本的に訓練演習と艦体整備に集中することになる。任務の意図は実のところ、わが艦隊ここにありと世界に見せて、公海にアメリカの勢力圏境界線を記すことにある。モラリスが言うには、折にふれて実際に必要とされること、それ自体が素敵なことだ。


ロナルド・レーガンは201122日、サンディエゴを出港し、寄港予定の韓国釜山に向かった。トム・バーク艦長が艦内拡声装置で日本に津波が襲来した速報ニュースを伝えたとき、同艦は半年がかりの世界一周航海のまだ初期段階にあった。本艦は人道援助を実施するために日本の沿岸域に向かっている、と彼は告げた。


モラレスはもちろん、ことさらなにも思わず、艦の下を大海原が滑るように流れているばかりだった。おまけに彼女は2008年、猛烈な台風がフィリピンを襲ったとき、同じような人道任務に参加していたので、日本への進路変更は初体験ではなかった。「それがわが軍の仕事です。助けるのです」と彼女はいう。


彼女は当初、フクシマの原発における爆発について、なにも知らなかったが、海岸沿いに北上するさい、口のなかに金属の味を感じたという。他の者たちもそれに気づき、水兵らは不安の眼差しを交わしさえした、とモラリスはいう。放射線に被曝した人たちがそのような金属味を訴えることが多く、モラリスはいま、その時が、フクシマが太平洋上に送り出した放射能の雲のなかを航行した瞬間だったと信じている。


後悔することはなにもない


米艦ロナルド・レーガンは313日の朝、日本の沿岸域に到着し、家屋、車、瓦礫が海上を漂う、想像を絶する惨状を初めて目撃した。死体も流れていた。


モラリスは目にした惨状を思い出すと、目に涙を浮かべる。だが、その涙は同時に、任務は遂行するに値するものであったし、彼女と同僚兵たちは可能な限りの救助活動を実施し、後悔することはなにもなかったと気づくのにも役に立った。


彼らは到着ほどなくして、フクシマの爆発を知ったが、バーク艦長は危険にさらされていないと保証した。しかし、母国にいる人びとはもっと懸念しており、モラリスは心配する父親からのメールを受信しはじめた。父親は長年、原子力施設で働いて過ごし、犬――ビーグル――を使って放射線実験を実施していたと彼女はいう。父親は彼女に、甲板に出ないこと、ペットボトルの水だけを引用すること、ヨウ化カリウム錠剤を服用することと警告した。


それなのにモラリスは、本土に向かう救援ヘリに物資を積み込む志願者が募られると、彼女の部隊の兵員らと同じように参加した。それが仕事である。助けるのだ。


彼らは目に見えない危険を心配しないように全力を尽くしたが、それが避けられないこともあった。たとえば、沖合に漂泊してから数日後、突然、艦内放送が、水道水を飲んではいけない、シャワーを浴びてはならないと告げた。モラレスはまた、津波が襲ったとき、南日本に駐在していた彼女の配偶者が、部隊とともに破壊された原子炉から非常に遠い太平洋の真ん中のグアム島に移動したことを知った。だが、ロナルド・レーガンはその海域に留まり、艦長は翌日、検査結果が異常なしだったとして警報を解除した。モラレスは部隊とともに甲板上で働きつづけ、彼らは心配を忘れてしまった。彼女は、「バーク艦長が知っていながら、わたしたちを危険にさらしたとは思いません。海軍はそのようなことをしないものです。もっとマシなやりかたも知らなかったのでしょう」という。


国防総省は後日、議会に提出した報告において、同艦が海岸から100海里(185キロ)以内に接近したことはないという。だが、それはおかしいとモラレスはいう。彼女は自分の記憶を信頼しており、じっさいに彼らは海岸線のすぐ近くで活動したという。彼らは4月になってようやく、日本の東岸域を離れ、タイ、次いでバーレーンに向かう前に、南西に遠く離れた佐世保に針路をとった。彼らは2011710日、母港に帰着した。奇しくもモラレスの32回目の誕生日だった。彼女は2週間後に昇進し、給料は1月あたり400ドル跳ね上がった。


彼女が帰宅したとき、ワシントン州は夏であり、日本における任務のことなど、あらかた忘れ去ってもおかしくなかった。ただし、それも煩わしい書類に記入しなくてすむ場合のことである。貴官は屋外に何時間いましたか? いた場所を正確にご記入ください。

彼女は、わたしは常に飛行甲板上におり、そこで常勤していました、と書いた。


「不明確な放射線の脅威」


彼女の乗艦の艦長から最後のメッセージがフェースブックで届いた。彼は部下の乗組員たちに対して、偉大な任務、とりわけ日本における任務について感謝を表明していた。「歴史上屈指の複雑な人道救援活動を見事に遂行したことを、われわれは誇りとしております。われわれは瓦礫地帯や寒冷・氷結条件をものともせずに活動したのみならず、不明確な放射線の脅威のただなか、物怖じしませんでした。(…)われわれは恐怖を克服し、みずからの仕事を立派に遂行したのであります。トモダチはその圧巻でした」と、艦長は書いた。メッセージは201198日に投稿された。


レティシア・モラレスは20135月に突然、めまいの発作に襲われはじめた。腕が膨れあがり、右手が野球のミットのようになり、視野狭窄症状が出たと彼女はいう。医師たちは彼女の脳のコンピュータ断層スキャンを実施し、夥しい数の血液検査をおこなった。彼女のホームドクターは、なにか深刻な事態が進行しているが、それがなにか、よくわからないと告げた。


2013年の感謝祭(11月の第4木曜日)のころ、腎臓痛がはじまった。医者たちはまたしても原因がわからなかったが、肝臓に腫瘍を発見した。20141月、医者は彼女の脊椎に問題が集中していると告げ、2月になると、甲状腺の悪性腫瘍が見つかった。


モラレスは多少なりとも調査をはじめ、彼女が苦しんでいる症状の多くが、放射線に被曝した人びとが経験する症状と一致していることを知った。「わたしが診てもらった医者の何人かは、そのようだと請け合いました。しかし、医者たちは、わたしがレーガン乗務中に被曝したとは認定することができませんでした。医者たちはできなかったのか、それともしたくなかったのか。わたしになにがわかるでしょう?」


彼女は2014年夏、心不整脈を起こしはじめ、秋になって、医者たちは彼女の胸に転移癌を見つけた。


その一方、国防総省はオペレーション・トモダチにおける海軍の役割に関する調査結果の報告書を議会に提出した。その調査は、米艦ドナルド・レーガンの飛行甲板上で常時勤務していた水兵たちでさえ、危険なレベルの放射線に被曝していなかったと結論づけていた。報告書はまた、汚染水による被曝は、アメリカ横断航空便に搭乗する乗客がこうむる被曝量合計値を超えないと告げていた。さらにまた、放射能による癌の進展は水兵たちの病気の進行よりもずっと遅いとのご託宣だった。


ペンタゴンの代表者は議会が軍人の健康に寄せる関心に感謝を申し述べ、あらゆる側面を検討したが、疑わしいことはなにも見つからなかったと語った。


さて、レティシア・モラレスの側には、名前の思い出せない内分泌専門医、彼女の分厚い医療ファイル、やはり病気になった飛行甲板の同僚カップルの物語が残されていた。


重症肝炎


しかし、彼女はまた、カリフォルニア州で2人の弁護士が集団代表訴訟の準備中であると知った。彼らは福島第1原発の事業会社、東京電力に対して、事故現場の近くにいた米陸海軍兵70,000人の代理人として訴訟を起こすことを狙っていた。モラレスは弁護士らに接触したが、彼女にとって、提訴の相手が海軍でないことが大事だった。なんと言っても彼女は兵士であり、忠誠心を失いたくなかった。健康を失ったとしても、人生の目的を失いたくなかったのである。


法廷代理人らは、フェレス原則[Feres Doctrine]という1950年代の最高裁判例があり、アメリカにおいて軍を相手に訴訟をおこすことさえ不可能であるとモラレスに説明した。その判例は、兵士は軍務を原因とする負傷または死亡の責任を国に帰することができないと規定している。モラレスは安心して、集団代表訴訟原告リストに氏名を登録した。


彼女と同じ部隊に所属し、病気になった他の水兵らも訴訟に加わった。その何人かは、レズビアンのカップル、レティシアとティファニーが寛いで暮らせる地域、美しい太平洋北西岸のモラレスの家からそれほど遠くない場所に住んでいた。二人は昨年、街路が歴代米国大統領と木樹にちなんで命名されている地域の新築住宅を購入した。ワシントンは健全で美しい州であり、マリファナをバドライト[軽口バドワイザー]と同じように合法的に買うことができる。


モラレスの下士官のひとり、ブレット・ビンガムが近所の新築住宅に住んでいる。彼の首はフットボール選手のようであり、チャニング・テイタムのように微笑み、幼い子どもたちに恵まれ、数頭の犬を飼い、車3台収納ガレージを所有している。4台目は路上に駐車している。年に2度の献血をしている。


ところが昨年のこと、いつもの献金を済ませてからほどなく、すぐに連絡してほしいと告げる手紙を血液バンクから受け取った。彼は重症の肝炎にかかっていると告げられ、薬物をやっているかと聞かれ、あるいは汚染された注射針を使ったのかもしれないと言われた。彼はいいえと否定し、医者に診てもらうと、「放射線肝炎」、すなわち放射線に起因する一過性の肝臓疾患にかかったのかもしれないと告げられた。2回目の検査を受け、さらに3回目を受けて、ようやく全快の診断を得た。それでも、もはや献血は許されなかった。


24歳のロン・ライトは2010年に海軍に入隊し、数街路ほど離れて住んでいる。日本への航海が彼にとって最初の空母乗艦・海外任務であり、最近の状態を考えれば、最後の任務になりそうである。寒く、雪が降るなか、飛行甲板にモラレスの部隊とともに立っていたのを憶えている。だが、パンツ、ジャケット、通常のブーツを覆うブーティーといった防護装備を支給されたのは数日後だったことも憶えている。


交代時間に甲板の下に降りると、検査を受け、汚染されているとみなされたものを放棄しなければならず、それらのものは焼却され、ライトが信じるには、次いで海中に投棄された。一度、彼はパンツさえ提出を余儀なくされ、いまでも憶えているが、下着姿で艦内を歩かなければならなかった。だれもが笑い、彼も笑った。そのとき、なにかのジョークだと思った。「彼らは安全だと言っていました」と、ライトはいう。


常備薬


1か月たって、ライト自身の表現によれば、彼の精巣がテニスボール大に膨張し、痛みが耐えられなかった。空母はまだ日本海を航行しており、艦に乗り組んでいた医師は、とりわけライトの疾患の病名がさっぱりわからないという理由により、この若い水兵の航空搬送を勧告した。その代わり、彼は痛み止めを処方された。手当てに変更はなく、ガバペンチン[抗てんかん薬]とパーコセット[複合鎮痛薬]が彼の常備薬になっている。


ライトは、「フクシマの放射能となにか関係しているのですかと質問すると、医者はとてもぶっきらぼうに、『いや』と言いました。なにか国防総省の調査報告を見せてくれましたが、痛みは止まりませんでした。いつも軍病院で、手術を7回受けました。なにも役に立ちませんでした。診断もなく、投薬だけです」という。


ライトは除隊期限になる4年以内に現役に復帰できなかった。彼はいま、家で無為に座って、医者の予約日を待っているだけである。彼はたいがい台所で時間を潰しており、そこから窓の外に森を眺めることができ、足元には愛犬がはべっている。最近に訪問したおり、彼のガールフレンドが居間のソファに座って、スマートフォンを見つめていた。


「ねえ、なんの話をしているの?」と、ふいに彼女が声をかけてくる。
「ぼくの玉のことだ」と、ライト。
「あら、そう」と、彼女はいい、スマホから顔をあげない。


モラレスの部隊で、明確な診断がくだされた唯一の水兵が、テオドール・ホルコムである。副甲状腺の癌にかかり、そのために20144月に死亡した。トモダチ救援任務の最初の死者である。


ホルコムが電話口で話せなくなるほど病気が重くなったあと、モラレスは彼の前妻を通してのみ病状を知ることができた。ホルコムは、とりわけ彼の問題について、決して多くを語らなかったとモラリスはいうが、彼女の最も信頼できる水兵のひとりだった。彼は遠く離れたノースカロライナ州で妻と住んでいたが、後にネヴァダ州レノの友人宅に移り、そこで亡くなった。


「彼は終末期にすっかり落ち込んでいたと思うわ。それも健康問題だけのせいではなくて」と、モラレスはいう。


彼らは艦上で知り合いになっただけだった。彼らは半年間、ともに暮らし、米国のあちこちに向かって、別々の道に進んだ。彼らのほとんどは、自分の健康問題にすべて自分で対処しなければならなかった。


仕事もなく除隊


テオドール・ホルコムは無二の親友であるマヌエル・レスリーの腕のなかで死んだ。二人は6年生のときからの知り合いであり、海軍に一緒に入隊した。レスリーが結婚したとき、ホルコムが花婿付添人を務め、ホルコムが結婚したとき、レスリーがそのお返しをした。彼らの結婚のどちらも永続する運命になかった。レスリーが言うには、海軍が関係を断ち切り、女たちはかくも長く一人暮らしを余儀なくされる。


20131月、レノ郊外のレスリー宅にスーツケースを携えたテオドール・ホルコムが現れた。海軍は彼の登録を延長していなかった。ホルコムは14年間の就役を終えていたが、15年にならなければ、年金は支給されなかった。かくして彼は、仕事もなく除隊を余儀なくされ、妻と娘は何千マイルのかなたに住んでいた。レスリーは2006年に海軍を除隊しており、友人の過去をあれこれ思い描くことしかできなかった。


ホルコムは来客用の寝室に転がり込み、二人の無職退役兵は終わることのない夏休みの学校生徒にようにして暮らしていた。あるいはまるで退役者のようだった。時間の多くを屋外ですごし、しばしば一緒に狩りに出かけた。ホルコムの海上生活は徐々に遠退き、彼は新しい現実に慣れていった。退役を余儀なくされたのは、自分の落ち度のせいでないと友人が考えはじめるまで少なくとも1年はかかったとレスリーはいう。


そして、ホルコムは病気になった。


2013年のクリスマスの少し前、彼は突発的な呼吸困難に陥り、医者たちは翌年1月、彼は胸腺癌にかかっていると告知した。胸腺は胸骨の背後に位置する分泌腺であり、胸腺癌は極めて稀である。しかし、この種の癌になりやすいリスク群のひとつが、放射線に被曝した人たちだった。癌の診断を受けたとき、ホルコムは35歳であり、化学療法がただちに始められた。レスリーは、ホルコムが1か月で体重を10キロ失ったという。胸腺癌は通常、ゆっくり拡大するが、ホルコムの体内で癌が極めて迅速に拡散した。


マヌエル・レスリーはしきりに病院に通い、終焉のときが迫ると、苦痛緩和医療センターの一角を――30歳代の元兵士2名が死を待って座るのに素敵なバラ園を備えた場所に――整えた。ホルコムは他界する直前、彼の妻を許したが、レスリーの言によれば、打って変わった痩せ衰えた姿よりも、強い男として覚えておいて欲しかったので、妻や娘の見舞いを拒んだ。彼はそれでも娘に5歳の誕生日の祝いを述べる機会を願った。レスリーが彼のために電話を掲げた。


女の子はいった。パパ、わたしの誕生日まで、まだ5日あるよ。
わかっている。ホルコムは応えた。
その夜、彼は亡くなった。マヌエル・レスリーはベッドのそばに座っていた。


法廷に立つ


彼は火葬に付され、遺灰は分骨された。ノースカロライナ州に住む彼の前妻は、カリフォルニア州に住む彼の両親と同じく遺灰の3分の1を受け取った。レノにする彼の友人は残った3分の1を取っておき、骨壷に使う桜の木でできた箱を暖炉の棚に安置している。


レスリーは、レノの郊外、10マイル離れた砂漠にあるデパートのカフェテリアに座っている。彼は海軍就役時、26か国に赴いた短身で頑健な体格の男だが、いまではやはり癌を患う両親の世話をしている。そのデパートは狩猟客専門であり、彼の背後に銃保管庫が安置され、アンテロープ、狼、灰色熊だけでなく、象、ライオン、犀といった動物の剥製が陳列されている。男たちとその子どもたちがガラス・ショーケースの前に立ち、15,000ドルの値札が付いたマシンガンを見つめている。


マヌエル・レスリーは海軍を憎んでいるが、同時に愛している。海軍は生命を破壊するが、同時に救済する。海軍は彼の存在の意味であり、同時に元凶である。彼の無二の親友は日本救援任務に参加したのが原因で、不治の病になった。彼の祖父は、日本軍がパール・ハーバーを攻撃したとき、16歳の海軍兵としてハワイにいた。彼自身は人生の最良の時を東京で過ごした。


レスリーはいま友人の意志の執行人の立場にあるが、やらなければならない仕事は二つあるだけだった。一つは、ホルコムの娘との接触を保つことだった。もう一つは、法廷における友人の立場を確保することだった。レスリーは、フクシマの原子炉の操業や建造に加担した東京電力、東芝、日立、エバスコ、ゼネラル・エレクトリックに対する集団代表訴訟において友人の代理人を務めていた。


訴訟を主導するのは、環境を損傷したり、人権を侵害したり、人間を病気にさせたりした企業を追求して人生の大半を過ごしてきた弁護士、ポール・ガーナーである。彼は60歳代後半であり、太りすぎ、汗臭い赤シャツを着用している。乏しい毛髪をなんとかか細い三つ編みに仕立てている。それに彼は、われわれの会見時間に1時間以上も遅刻して登場する。


彼は自分の旧いメルセデスが動かず、兄弟のボブ――ハワイのシャツを着用した小柄で落ち着きのない男――の車に乗せてもらってきたと弁解する。パームスプリングス郊外の寂れたレストランに兄弟が入ってきたとき、10億ドルの賠償訴訟を準備している二人の男たちには見えなかった。


だが、彼らは第一人者だった。


人びとを締め上げる人びとを締め上げる


ボブ・ガーナーは1960年代にロバート・ケネディの選挙運動に参画し、その後、アメリカ大詩集の仕事に関わり、2年前、砂漠のガソリンスタンドでリンジー・クーパーの父親に会った。クーパーは、日本向けの航海時に米艦ロナルド・レーガンに乗り組んでおり、父親は、娘が離任したとき、甲状腺に症状があり、同じように病気になった他の水兵らのことを知っているとガーナーに話した。ボブはその出会いについて兄弟のポールに話し、ポールは、ソーサリトで小規模な法律事務所を経営する相棒のチャールズ・ボバーに伝えた。


二人は公民権運動の現場で出会ってからの知り合いであり、ガーナーはニューヨーク州出身のユダヤ人、ボナーはアラバマ州出身の黒人である。二人の老人は自由時間にカリフォルニア山脈の湖にボナーが所有する桟橋に腰を据えて、ワインを飲み、ピート・シーガーの歌を歌っている。職業生活では、彼らはシェヴロン、エクソン、シェルといった企業を相手に訴訟をしていた。彼らは国防総省作成の米艦ロナルド・レーガンに関する報告が気に入らなかった。彼らのモットーは「われわれは人びとを締め上げる人びとを締め上げる」だった。


ポール・ガーナーは分厚く脂っぽい書類フォルダーをテーブルに据え置く。彼らは事件を検討したあと、日本における任務のあとで病気になった500名以上の水兵たちに連絡した。そのうちの250名が回答を寄せ、彼らの物語が、法廷で主張したいと願っている事件の主柱を形づくった。ガーナーはスープとサンドウィッチを注文し、バインダーのなかで語られている劇的な物語を読み聞かせる。女性水兵は病気の子どもを出産した。ある水兵は、その双子の民間人である兄弟が完璧に健康であるのにかかわらず、遺伝障害を負っていると医者に言われた。別の水兵は日本から帰還したあと、完全に視力を喪失した。もう一つの水兵の物語では、家族と日本に駐屯していたところ、彼は白血病にかかった。海軍航空機整備兵は、説明のつかない筋肉量の喪失をこうむった。


ガーナーは、病気と症状のリスト、多様に異なった形態の癌、内部出血、肉腫、腫瘍、構造線切除、胆嚢摘出、出生異常を読み上げる。彼の兄弟、ボブは、「なんという被害、苦痛。豚め」と口を挟む。ボブ・ガーナーは病気の水兵たちについて弁舌を振るうとき、マーティン・ルーサー・キングとマルクスのことばを引用する。彼は、ヒラリー・クリントンが国務長官の任期中に軍産複合体に巻き込まれていた様相を語る。彼はヴェトナムをアフガニスタンと比較する。


「あの艦はレーガンと命名されています。レーガン自身は1950年代にゼネラル・エレクトリックの代弁者でした。なにからなにまで、このありさまです」と、ボブ・ガーナーはいう。彼の兄弟、ポールは、いい加減に口を閉じてくれるかねと口出しする。


精神的な支援


ポール・ガーナーもまた、資本主義の正体を暴きたい。彼もまた、米艦ロナルド・レーガンに乗り組んでいた水兵らのために、法の裁きと賠償を願っている。彼は、世界の核エネルギー・ロビーがどれほど強大であるか、示したい。彼は審理を、われわれがわが地球を扱う無謀さをボナー・アンド・ガーナーが示す舞台にしたいと願っている。


依頼人たちが任務遂行中に健康に悪い放射線量に被曝し、その結果、病気になったと証明するのは困難であろう。不可能でさえあるかもしれない。大金が賭けられることになるが、そもそも何よりも、まず訴訟を維持できるとサンディエゴ地方裁判所に納得させなければならない。彼らの最初の企ては却下された。


ポール・ガーナーは病気の水兵たちに8月の審理にはサンディエゴに来て精神的に支援してほしいと呼びかけた。だが、ほとんどわざわざ現れず、市内に住む人たちさえ来なかった。たとえば、リンジー・クーパーも来なかった。すべての出発点のきっかけになった女性は、CNN番組で原子力専門家らにズタズタにされ、その後、保守的なラジオ番組でからかわれた。彼女はその体験の再現を望まなかった。


クリスチャン・ウィリアムは、ロナルド・レーガンから日本の本土に援助物資を空輸したテキサス州出身のヘリコプター操縦士であり、たいがい高線量放射線で発症する稀なタイプの癌、副甲状腺癌にかかっている。彼が電話で言うには、自分が癌であるということそのものよりも、メディアで事実を曲げて伝えられることを恐れるので、病身で公の場に出たいと思わない。水兵仲間たちに集団代表訴訟に参加するように奨励したロナルド・レーガン飛行甲板の部隊長、レティシア・モラレスでさえ、サンディエゴ法廷に行くのを避けた。彼女は写真に撮られたくないといった。結局、彼女は兵士なのだ。


米艦ロナルド・レーガンに関する報道は驚くほど限られている。個々の水兵の運命に関する報道は地方ニュースとしてチラホラ伝えられるが、だれも多様な事例を関連付けずに終わってしまう。海軍に進行中の事件についてコメントを控えるという。国防総省は議会向けにまとめられた報告に言及する。


水兵たち自身は、病気になることも、恥をかかされることも望んでいない。彼らは、海軍、彼らの海軍、彼らの国家に楯突くことを望まない。米国は軍隊を尊重する国であるが、また弁護士の国でもある。兵士らは二つの陣営の板挟みになってきた。


誰をも見捨てない


ポール・ガーナーは、ヴェトナムで大量に使用されたエージェント・オレンジが健康に有害であり、致死的でさえあると軍部が認めるまで20年かかったと彼らに説いた。20年とは長い時間である。


サンディエゴの法廷の前には、最終的にただ一人の米艦ロナルド・レーガン乗組員、スティーヴ・シモンズが姿を現した。海軍大尉、シモンズはいま車椅子に頼る身である。車椅子のステッカーが「誰をも見捨てない」と告げている。


シモンズは20146月、医療上の理由により、ワシントンDC、海軍記念プラザにおいて海軍を名誉除隊した。その場に白色の海軍礼装を着用して臨んだシモンズは、17年間の意義ある歳月をもたらした海軍に感謝の辞を述べ、30年間は現役でいたかったと付け加えた。わずかな人たち――シモンズが病院で出会ったもう一人の車椅子の軍人、および彼の教会が開設した出会い系ウェブサイトを通して知り合った彼の妻、ナンシー――だけが除隊イベントに参列した。彼は除隊後、ナンシーとその4人の子どもたちとともにユタ州のソルトレイク・シティからさほど遠くない地区に移住した。そこの気候は、かつて住んでいた湿度の高いワシントンDCより良かった。彼らは車椅子で新居に出入りできるようにスロープを設置した。


サイモンは当日の法廷審理の時間に間に合うように午前4時に起床し、ソルトレイク・シティからロサンジェルス経由でサンディエゴに飛び、レンタカーで裁判所に駆けつけた。審理が終わると、彼は家に飛んで帰ることになっていた。700ドルの費用をかけた彼とその妻の往復の旅である。だが、この旅は彼にとって重要である。彼は最終的になんらかの確信がほしい。


シモンズの疾患は日本から帰国して1年後にはじまった。筋肉が衰弱しはじめ、毛髪が一握り単位で抜けはじめた。偏頭痛に苦しみ、血便が出て、失禁し、指が黄変し、時には茶色になった。いま、足は色が赤黒く、全身痙攣発作に襲われる。肝臓検査の結果はアルコール依存症者のそれといい勝負である。彼は4年前、トライアスロンで勝負し、山々をハイキングしていた。いま、彼は歩くこともできない――そして、だれもその理由を告げることができない。


最悪の日々、サイモンはみずからが陰謀説――診断するには、彼の病苦の原因が放射線被曝であると認める必要があるので、診断されなかったという考え――に傾いていることに気づいた。しかしながら、これでは国防総省の報告が意図的に不正確にされているということになる。なんのために病気になったのか、知らないほうが身のためであると彼に説法した医者がいたと彼はいう。彼は、以前に同様な症状のある別の男たち3人と一緒にワシントンDCの軍病院にいたことがあるという。彼らは原子力潜水艦に乗り組んでいたのだが、次々といなくなってしまい、彼らがどうなったのか訊ねると、だれもが、あたかも彼らは初めからいなかったかのように振る舞った。


幽霊たちの船


シモンズは、その背後に海軍があるとは信じていないし、日本行き任務の公にされた動機を疑っていない。彼は二度の津波救援任務に参加し、可能でさえあれば、三度目もやはり参加するだろうという。彼は、日本の沿岸域における任務の重要な時期に開かれた幹部士官ミーティングのさい、しばしばバーク艦長に会ったが、懸念していても、無頓着には見えなかったという。


シモンズは、どうにもわからないのは、いまバークが沈黙を守るようになっているありさまだという。彼は、彼の元艦長が経歴を台無しにしないように沈黙していると信じている。いま彼はペンタゴンにおり、提督になりたがっているとシモンズはいう。


シモンズはこういう――「個人的、外交的、経済的利害がすべて賭けられています。彼らはわたしたちを放置しています。彼らは目を塞ぎ、沈黙を守って、嵐が過ぎ去るのを待っています。病気の兵士たちが、サンディエゴの病院に大勢、あるいはハワイの医療センター、どこにでもいます。彼らは、保険の乏しい庶民であり、家族を抱え、子どももいます。忠義でありながら、バラバラです。彼らはたいがい対処法を知りません。声を上げるものは、インターネットで非国民と叩かれます。いろいろ我慢しなければなりません」。


これが彼の、サンディエゴの公判に行きたい理由である。彼はみずからを彼らの代表としてみている。


彼が法廷に乗り込むと、調査員チームを引き連れたロサンジェルスの大手企業の弁護士たちが目に入った。他方の側に二人の老練な人権活動家、ポール・ガーナーとチャールズ・ボナーが見える。正面の判事は、ガーナーのシャツとヘアスタイルを疑わしげに見つめているようだった。3,000ドルのスーツを着こんだ東電側弁護士たちの自己満足した薄ら笑いを決して忘れないとシモンズはいう。


判事はシモンズに一度も質問しなかったので、彼は沈黙をつづけていた。だが、ポール・ガーナーはシモンズを弁論に取り入れ、シモンズ大尉を被害者たちの顔に位置づけ、彼こそはアメリカのヒーローであり、第一人者であると話した。ポール・ガーナーは彼に与えられた90分のあいだにシモンズの助力を得て、ロサンジェルスから来た産業弁護士の表情から嘲笑を消し去ることができた。


数週間後に裁判所決定がメールで届いた。法廷は1028日、集団代表訴訟は継続すると判断した。口頭弁論は226日に始まることになっている。


訴状は、100ページの長さがあり、疾患水兵247名の氏名を連ね、原子炉の建造、採取した水試料、海軍の戦術、日本の政治状況に関連した詳細を書き込んでいる。企業の貪欲を攻撃するとともに、フクシマ原子炉の建造企業の怠慢を糾弾し――さらには世界の政治状況と人類のシニシズム[冷笑的な態度]を問責する。一種の旧約聖書的な怒りがテキストに吹きこまれ、その訴状は真の標的の追跡を忘れかねないまでに包括的である。訴状に描かれる米艦ロナルド・レーガンは、人類の最後の船である。航空機積載艦であり、幽霊たちの船である。



REUTERS
津波のため、福島第一原子力発電所で爆発が起こり、大量の放射能が空中に放出された。それ以来、核惨事の結果、1986年のチェルノブイリ惨事よりずっと多くの放射能が放出されたとされている。日本は当初、惨事を過小評価するように努めた。
AFP/ Yomiuri Shimbun
米艦ロナルド・レーガンは、沿岸を襲った巨大津波のために家を失った人びとの救援に駆けつけた。町の全体が押し流された。空母乗組員のひとり、レティシア・モラレスは目撃した惨状を思い出すと、いまでも目に涙を浮かべる。
Brian Smale/DER SPIEGEL

ロン・ライトは、日本における救援任務のあと、病気になった兵士たちのひとりであり、それが放射線被曝と関連していると信じている。彼は任務以来、精巣の膨張に苦しんでいるが、医者たちは原因不明と彼に告げた。

Brooks Kraft/DER SPIEGEL
スティーヴ・シモンズは昨年6月、医療目的を理由に海軍を名誉除隊した。日本から帰還後、約1年後に症状が現れはじめ、筋肉が衰弱し、毛髪が一握り単位で抜け落ちた。彼は4年前、トライアスロンで勝負し、山々をハイキングしていた。彼はいま、もはや歩くことができず――だれもその理由を告げることができない。
Winni Wintermeyer/DER SPIEGEL
マヌエル・レスリーと、無二の親友、テオドール・ホルコムの遺骨を収めた骨壷。ホルコムは20141月、放射線被曝が原因でなりうる稀な形態の癌、胸腺腫と診断された。その後まもなく彼は死亡した。レスリーは友人の代理として、東電、その他に対する集団代理訴訟に参加した。
Winni Wintermeyer/DER SPIEGEL
チャールズ・ボナーは、津波後の日本における救援任務のあいだ、米艦ロナルド・レーガンに乗り組んでいたあと、病気になった多数の水兵たちのために提訴された集団代理訴訟を主導する弁護士のひとりである。
Robert Gallagher/DER SPIEGEL
ポール・ガーナーはボナーの相棒。二人は数十年前の公民権運動の現場で知り合いになった。両名は一緒に、シェヴロン、エクソン、シェルといった巨大企業を相手に提訴してきた。

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【海外メディア】オパレーション・トモダチ Part 2 核の幽霊とイタチごっこ


ニュー・サイエンティスト誌「山火事が再び掻きたてるチェルノブイリの放射能」、そしてフクシマ放射能ゴミ焼却問題

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http://www.newscientist.com/



山火事が再び掻きたてるチェルノブイリの放射能
Rise in wildfires may resurrect Chernobyl's radiation

11:35 09 February 2015 by Debora MacKenzie

ウクライナの森林火災はチェルノブイリの放射能を拡散しかねない (Image: Reuters)
世界最悪の核事故の放射能は、とにかく消えさらない。ウクライナとベラルーシのチェルノブイリの深い森で山火事が発生すれば、土壌の上層部に閉じこめられた放射性物質が放出され、再び放射能の雲がヨーロッパに拡散するかもしれない。

その地の森林火災はすでに、その放射性物質をヨーロッパに再拡散してきた。だが、気候変動、政治的不安定――および枯れ葉に対する放射能の特異な作用――によって、この状況をさらに悪化する条件が整っている。

チェルノブイリ原発の原子炉が1986年に爆発し、ウクライナおよび隣接するベラルーシの最もひどく汚染された4800平方キロメートルの地域の人びとは避難を余儀なくされた。この「立入禁止区域」は、野生生物の安息地になり、深い寒帯林に覆われることになった。

ノルウェー大気研究所(Norwegian Institute for Air Research)のニコラオス・エヴァンゲリオ(Nikolaos Evangeliou )らは、同地域の森林火災の影響を分析し、その将来の頻度と規模を計算した。そのために研究チームは、2002年、2008年の火災実態を示す衛生画像、およびその地域に堆積する放射性のセシウム137の計測値を、大気運動と火災のモデルに入力した。

彼らは、チェルノブイリ事故によって85000兆ベクレルの放射性セシウムが放出され、立入禁止区域の土壌上層部にいまだに2000兆ないし8000兆ベクレルが潜在していると推計した。別の生態系であれば、侵食や植生の除去によって、この放射能値は徐々に落ちていくだろう。だが、これら放置された森林では、「木樹が放射性イオンを取り込み、枯れ葉がそれを土壌に返す」と、エヴァンゲリオはいう。

放射性の煙

研究チームは、3度の火災によって、セシウムの2ないし8パーセント、約500兆ベクレルが煙とともに放出されたと計算する。これが東ヨーロッパに拡散し、南方遠くトルコで、また西方遠くイタリアとスカンジナビアで検出された。

英国政府の放射線リスク委員会の元委員長であり、チェルノブイリの健康への影響を研究したイアン·フェアリー(Ian Fairlie)は、「このシミュレーションは、おそらく潜在的なリスクを過小評価している」という。それは、研究チームが想定したセシウム137の半減期にもとづいて推測値が算出されているためであり、それより長いと信じている研究者もいると彼はいう。

研究チームが計算した放出量にもとづけば、近隣にあるウクライナの首都、キエフの住民は、放射線量を平均して10マイクロシーベルト――年間許容線量の1パーセント――を浴びたことになる。論文の共著者であり、コロンビア市はサウスカロライナ大学のティム・ムソー(Tim Mousseau)は、「この被曝量は、とても小さい。だが、これらの火災は、汚染物質がどこに行くかを知らせる警告にはなります。もっと大規模な火災が発生すれば、人口集中地域にもっと重大な結果をもたらすでしょう」という。

また、平均線量が問題なのではない。火災は、セシウムだけでなく、放射性のストロンチウム、プルトニウム、アメリシウムを不均等に撒き散らすし、たとえばマシュルームがセシウムを取りこむように、食品のなかには、こうした重金属類を濃縮させるものがあるので、ずっと多くの放射線量被曝をこうむる人たちがいる。「摂食による内部線量が重大になりえます」と、ムソーはいう。結果としてこうむる癌を、被曝量の少ない大勢の人びとのなかから特定するのは困難である。「しかし、本人にとって、その癌は非常に重大なことになるでしょう」。

森林火災の発生頻度も、やはり増大しそうである。気候変動に関する政府間パネルによれば、当該の地域は乾燥化に向かうはずである。研究チームは、旱魃のために、森林火災が被災地域と規模の両面で悪化していることを明らかにしており、この傾向がなお悪くなると予測されている。

これは、森林管理の欠如など、一連の要因のためなのかもしれない。たいがいの森林は、枯れ木の除去、道路整備や防火帯伐採によって管理されているが、立入禁止区域の森林は管理されていない。しかも、火災の元凶である枯れ死した植生の堆積物が1986年以来で倍になる率で蓄積している、と研究チームはいう。

殺虫効果?

これは部分的には、放射線そのものが枯れ葉の腐食を妨げるためであり、おそらく放射線が主要な虫類や微生物を殺すせいだろう。「非汚染区域の枯れ葉を運び込んでみると、半分だけの速度で腐食することがわかった」と、エヴァンゲリオはいう。

モデルによれば、森林火災は2023年から2036年にかけて最盛期になる。2060年まで森林火災が発生しつづけるだろうが、そのときまでに放射性降下物の多くは減衰しているだろう。

情けないことだが、いざ火災が発生すると、この地域の消防隊は、1000ヘクタールあたりの隊員数と装備の規模がウクライナ全国の7分の1の貧弱さである――目下の紛争を考えれば、状況が改善するとは思えない。国連環境計画が火災監視ビデオ装置を設置しているが、道路封鎖のため、森林の多くは進入不能であるか、到達時間が遅くなる。「現地はまるでジャングルである」と、エヴァンゲリオはいう。

世界保健機関ヨーロッパ事務局放射線防護部の元部長であり、クオピオ市は東フィンランド大学のキース・バヴァーストック(Keith Baverstock)は、「これは明白に重要な問題であり、かなり広大な森林地が汚染されているフクシマにも当てはまることです。これには非常に正統な論点があります。森林管理の欠如、放射線に被曝した植生の明らかに緩慢な腐食、渇水をもたらす気候変動、森林地の拡大、これらすべてが森林火災のリスク増大に寄与し、したがって半減期の長い放射性核種のさらなる拡散を促します」という。

最近の火災で再拡散された放射能の実際の量は、1986年にヨーロッパに堆積した量の約10分の1であり、その健康に対する影響は、いまだ疫学者たちの論争の対象である。だが、半減期の長い放射線源は存続し、蓄積するので、いかなる線量も凶報である、とムソーはいう。「ますます大きく蓄積する情報によれば、それ以下では影響がなくなる閾値は存在しないという考え方が支持されています」。

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【放射能ゴミ焼却問題を追及するブログ】

鮫川村に秘密裏に建設された放射性廃棄物焼却処分場に反対する住民組織『鮫川村焼却炉問題連絡会』のメンバーによるブログ



田村市都路町・川内村の境界にある東京電力()南いわき開閉所に、放射性廃棄物焼却炉の建設計画が浮上しました。20144月から帰還が始まり、子供達が避難先から元の学校に通う矢先です。元の安心できる暮らしと子供達を守るため、有志の会を立ち上げました。

【参考資料】

【海外ニュース】南オーストラリア州の核開発提案は国際的な核廃棄物処分場のトロイの木馬

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http://thenewdaily.com.au/
原子力へ第一歩を踏み出した南オーストラリア州

201528
ジョージ・レカキス GEORGE LEKAKIS 金融報道編集者

ジェイ·ウェザーリル州首相は南オーストラリア州に核産業の構築に向かう扉を開いた。

原子力発電の可能性調査に乗り気なジェイ・ウェザーリル。Photo: AAP
ジェイ・ウェザーリル南オーストラリア州首相は、王立委員会が核産業に対する州の関与を拡大する場合の費用便益を検討することになったと発表し、原子力論争に新たな局面を開いた。

「われわれは、南オーストラリア州民が、核産業への関与を拡大することによって浮上する、現実的、財政的、倫理的問題を探究する機会を与えられてしかるべきだと信じております」と、彼は28日に語った。

「真実をいえば、われわれはすでに核燃料サイクルに組み込まれて――つまり、われわれは世界にウラニウムを販売して――おります」

ウェザーリル氏は王立委員会の目的について、原子力発電所、ウラニウム濃縮工場、核廃棄物処分場を州内に設置する可能性など、南オーストラリア州が将来、核燃料サイクルに参画することに関して、「慎重かつ率直な会話」を始めることであると語った。

王立委員会の設置は、南オーストラリア州財界の実力者たちによる、州内に原子力発電と濃縮工場を導入する提案の独立評価を求めるロビー活動を受けたものである。

ニューデイリー紙は昨年6月、ニュース・インターナショナルの前理事長、ブルース・ハンダートマークが主導する、有力実業家と科学者のグループが、南オーストラリア州内に原子力発電所を建造する事業提案を準備するための会社を設立したことを明らかにした。

ハンダートマーク氏の他にも、南オーストラリア核エネルギー・システズ株式会社の取締役会には、自由党のジョン・オルセン前首相の前首席補佐官、イアン・コワリックがいる。

コワリック氏は、核産業を発展させれば、製造業部門が壊滅した州経済の活性化に役立つとニューデイリー紙に語った。

「ついに王立委員会が発展可能性論争の口火を切りました」と、コワリック氏はいう。

南オーストラリア核エネルギー・システムズ社は原子力発電を禁止する法律の修正を期待して、連邦と州の政治家たちと同社の事業提案を議論してきた。

連邦生物多様性法が目下、オーストラリア全域で原子力発電所の設置を禁止している。

ハンダートマーク氏は昨年、会社が地域の核事業に出資する国際的な資金源を確保し、世界的に有力な組織との関係を築いたとニューデイリー紙に語った。

その時、ハンダートマーク氏は、「あれこれ欠かすことのできない資金手当が真の問題ではありません。問題は必要な法律の変更を実現することです」といった。

オーストラリア保全財団のスポークスマン、デイヴィッド・スィーニ―は、王立委員会が核廃棄物処分場の設置構想に南オーストラリア州民を慣れさせるための単なる隠れ蓑であるかもしれないと警告した。

「この審議の大部分は、州内に国際的な放射性廃棄物処分場を開設する構想に対して、人びとを鈍感にさせるためであることに疑問の余地がありません」と、スィーニ―氏はいった。

「人びとは、審議が廃棄物処分場建設のための正しくトロイの木馬である可能性を問題にしなければなりません」

スィーニ―氏は、独立調査のどれをとっても、原子力の採算性が成り立たないことがわかると話した。

「再生代替エネルギーが抜群に成長していますので、原子力に限っていえば、まったくの夢物語です」と、彼はいった。


ウェザーリル氏は、政府が王立委員会の付託事項を専門家と相談のうえで最終決定すると述べた。

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